初の小説『赤い砂を蹴る』が第163回芥川賞候補となった劇作家石原燃による待望の性をめぐる3つの物語。2022年3月上演の新作『彼女たちの断片』を初収録し、元「慰安婦」の女性を描き話題となった『夢を見る』、男性の性暴力被害者を描いた『蘇る魚たち』を収録。
1「夢を見る」
1971年の暮れ、電車への飛び込み自殺を見る野次馬のなかで、「私」はヘルに出会った。ヘルは言った。「私は将校さん専門の「慰安婦」だったんだ。」その日から、「私」はヘルの元に通い始めた。「歴史」の暴虐に踏みにじられ、それでも生き、自分と、自分の「場所」を取り戻し、守ろうとする女と、彼女を取り巻くどうしようもない世界、そして、そこに居るしかない「私たち」の物語。
2「蘇る魚たち」
特班記者のコースケは、ベランダに金魚を飼っている。ノゾミの影響だ。ある日、コースケが勤める編集部に子どもの頃、ノゾミの父親から性暴力を受けたという男性がやってくる。甦る過去の記憶。ノゾミとともに過去に立ち向かおうとするコースケに、弟のリオはリスクを問う。妨害。迷い。そして次第に、彼らは空中分解してゆく…。
3「彼女たちの断片」
ある夜、広告デザイナーの晶と、その母で、仏語翻訳者の葉子が暮らす家に女たちが集まっていた。大学生の多部が妊娠し、中絶に付き添うことになったのだ。晶とともにデザイン事務所を経営する天野と、その娘のみちる。デザイン事務所の後輩である涼。そして、葉子の友だちのまゆみ。女たちに見守られ、海外の支援団体から手に入れた中絶薬を多部が飲む。女たちは語り合う。歴史について。政治について。それぞれの経験について。その言葉は、互いに響き合い、いつしか社会そのものを映し出していく。
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性の問題は、いつもそこにあった。
小さい頃、家の近所に露出狂の人がいて、自慰を見せられたことがある。その意味がわからなかった私は、その人がトイレに行きたいのだと思って、近所の家に連れて行ってあげようとした。馴染みだったその家の老婆が扉を開けてくれたとき、露出狂はどこかへいなくなっていた。中学では、スカートめくりが流行っていて、私もされたし、人にもした。まだ不良がくるぶし近くまである長いスカートをはいていた時代。めくったスカートを頭の上で結んで、「巾着」にする「遊び」があって、紺色のスカート生地のなかでもがいたのを覚えている。高校に入ると、電車に乗って通学するようになり、痴漢によく遭った。朝、制服のスカートにつけられた精液を、トイレの手洗いで洗ったのは一度や二度じゃない。大学生にもなると、性行為が日常生活のなかに入って来て、楽しんだ反面、痛い目にもたくさん遭ったし、社会人になり、結婚ということになれば、戸籍や家父長制的な価値観に振り回されざるをえなくなる。婚姻届を出すとともに、銀行口座や免許証の名前を変えるのは大変だったけれど、離婚とともに、それを元に戻す作業はもっと大変だった。
にも関わらず、私は自分の性と向き合いきれないまま長い時間を過ごしてきてしまった。
ある程度鈍感にならなくては生きて来られなかったということもあるだろう。また、社会のなかに溶け込みたい、孤立したくないという想いが、社会が持つ偏見や、ミソジニーを内面化させた面もあると思う。
三十代に入り、戯曲を書き始めてからずっと、女性であることを意識していなかったわけではない。歴史上の人物でも女性のことが気になるし、新聞を読んでいて目にとまるのは、母子家庭の母親が娘を殺した事件や、性産業に従事する女性が殺された事件だ。男性劇作家が描く女性像にもやもやしたこともある。それなのに、作品を読んだ人から「女性作家とは思えない」と「褒められる」ことを嬉しく感じるような感覚を、私は持ったままだった。
『夢を見る』は、そんな私の意識が変わりはじめる転機となった作品だ。(続きは本編で)
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石原燃
劇作家。 小説家。 東京生まれ。 武蔵野美術大学建築学科卒業。2007年より戯曲を書き始め、書き下ろしの依頼を受けるようになる。 2011年の夏に大阪に移住し、演劇ユニット燈座 (あかりざ) を立ち上げる。2016年に東京に戻り、現在はフリーで活動している。 2010年、日本の植民地時代の台湾を描いた『フォルモサ!』が、劇団大阪創立40周年の戯曲賞にて大賞を受賞。2011年には原発事故直後の東京を描いた短編『はっさく』がNYの演劇人が立ち上げたチャリティー企画 「震災 SHINSAI Thester for Japan」で取り上げられ、2012年3月11日に全米で上演された。その他の主な戯曲作品に、義足を盗まれる事件に遭遇した母娘を描いた『人の香り』、 NHK番組改編事件を扱った『白い花を隠す』などがあ る。2020年、自身初の小説 『赤い砂を蹴る』 が出版され、第163回芥川賞候補となった。
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アジュマは韓国語で中高年女性を示す言葉。美しい響ですよね。
たくさんのアジュマ(未来のアジュマも含めて!)の声を届けられたらという思いではじめました。
アジュマブックスのロゴは、急いで書いた手書きの猫。
これは放浪の民ホボがサバイブするために残した記号の一つです。
意味は「親切な女性が住んでいる家」
アジュマと猫は最強の組み合わせですよね。
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