小説「小さいおうち」の作者、中島京子さんに、創作について、最新作である江戸時代にただ一人存在した女性の大名が主人公の「かたづの!」について、そして、今の時代について……様々なお話を伺いました。
■いつから、物語を書くようになったのですか?
中学生の頃から書くことが好きで、こっそり書いていました。ある日、国語のノートに最初の長編小説を書いていたのですが、プライバシーのない家庭で(笑)、父に見つかり、ものすごく怒られたんですよ。
姉(注:エッセイストの中島さおりさん。Love piece clubサイトでも「TALK ABOUT THE WORLD!フランス編」で連載中)はすごく優秀で、私は成績が悪くて、父はこんなことしてるから成績が悪いんだろうと思ったんでしょうね。「二度とこういうことをしてはならん」と言われてしまって。だから、その後、家では密かに、密かに書いていたんです。両親がフランス文学の研究者だったので、家に文学書や小説がたくさんあったことには影響を受けたと思います。ただ、大学生のころは、そんな環境から少し距離を起きたくて、中国語を選択したり、史学科に学んだりしていました。
高校生のある日、姉が勝手に部屋に入ってきて、書いていたものを読んじゃったんですよね。
腹を立てても良いような場面なんですが、その時、姉が、「おもしろい!」と言ってくれ、しかも、「これは面白いから続きが出来たら見せろ」って言われて、怒りどころか、やったー!みたいな気持ちになりました(笑)。
読者を得た最初の体験ですね。
その後、「書いたから、読む?」という流れが出来ました。
姉は笑える話が好きみたいで、笑わせるとすごく喜ぶんだけど、そうでは無い作品を読むと、「今回のはあんまり笑えない」と冷たかったんです。
読者のリアクションを見ながら笑える小説を書くようになってしまったのは、そんな姉の指導のせいかと思います(笑)。
■面白いですね。デビューされるまでそのやりとりは続いたのですか?
そうなんです。デビュー作が出るまでずっと、姉がたった一人の読者でした。20年くらいですかね。
大学を出て、日本語学校に勤めていたのですが、同時に大学時代からライターをしていたので、日本語学校がつぶれてしまった後、そんなご縁でフリーライターになって、編集者になってという感じで、活字の世界にはいましたが、小説はなかなか出せなかったんです。
気が弱いというか、新人賞に応募したりしても何のリアクションもなく、一次選考も通らなかったりしたので、がっかりしたまま、その小説を書き直し続けたりしていました。ある意味、世に出るということにそこまで積極的ではなかったのかもしれません。
そのままずっと、書いては姉に見せ、書いては見せ、を繰り返していましたね。それに、私にとっては姉が「良い読者」だったので、もっと冷たいリアクションのところに送る気になれなかったというのもあるかも(笑)。
姉が渡仏して25年くらいになるのですが、その間も見せていました。27歳の時にファックスを買ったのを覚えているんです。「これで、もう長電話をしなくてもいいよね」と姉と話した記憶があるんですが、結局、その後も長電話もするしファックスもしていて(笑)。メールが登場してからは添付ファイルで送っていました。
結果的に、作家になったのは、そんな姉の存在のお陰だろうという感じですね。
■最新作、「かたづの!」についてお聞きします。
そもそも、どうやって主人公の江戸時代唯一の女大名、「清心尼」(祢々 ねね)の存在を発見されたのですか?
もうどこかにやってしまったのでどなたが書いたのかも覚えていないのですが、たまたま、人にもらったある雑誌、確か研究誌のようなものを読んでいて、「清心尼という女の大名がいた」という一文があったんですね。その時、すごくびっくりして。漫画とかだったらありそうですけど、男社会である武家社会のなかでそんな人がいたんだ!とすごく気になってネットで調べると、確かに史実らしい。遠野にはそういう話が残っているって面白いなと思っていたんですね。
ただ、自分が書くっていう風には全く思っていなくて(笑)、誰か書いたら良いんじゃないかな、くらいに思っていたんです。
当時、編集者さんから「何か書きたいことないですか?」って聞かれた際に、「書くかどうかは別にして、面白い人見つけたんです。こういう人がいるんだけど……」と集英社の担当の編集者さんにはちらっと話しはしました。その方が歴史小説とかも担当されていて、面白そう!と、別の資料を見つけてくれたことくらいはありましたが。
その後、2010年に「小さいおうち」で直木賞を頂いて、夏中、すごく忙しくなって。秋になった頃に少し落ち着いたので、その編集者さんと一緒に遠野に旅行に行ったんです。編集者からしたら、ちょっと書かせようと意図があったのかも知れないのですが、私としてはまだ「書くといったわけじゃないからね」と、いつでも逃げられる状況でした(笑)。
そんな感じでいたので、事前取材をするということもなく、現地で観光地をタクシーで回っていました。
そうしたら、「清心尼の墓」っていう道路標識が出てきちゃったんですよ。それで、「え?もしかしてあの人だよね」みたいな。ほんと、偶然でした。
せっかくなので行ってみると、お墓の場所も山肌にぽつんとある古い地味なお墓。普通、有名な人だったら派手な看板が出ていたりするでしょ。
遠野のメインの観光地はカッパ淵やふるさと村などで、清心尼のことは岩手の方でも「知ってる人は知ってる」くらいのようでした。
墓まで来ちゃったのでお花も持ってないけど、とりあえず墓参りだろうとお参りだけしました。その時に、なんだか運命的、いつか書くことになるのかなって思いましたね。
結局、せっかく来たんだしと思って、資料も集めてから帰りましたが、編集者も今すぐ、ということではなくていつか形になれば、と言ってくれたので、しばらく、そのつもりでした。
そして、その翌年が震災だったんです。やっぱり、東北だし、とても気になってきましたね。
昔の言い伝えをまとめた本があって読んだりしているうちに、また行きたい、行かなきゃっていう気持ちになって、翌年の11年の11月にもう一回、遠野に行きました。釜石にも行きましたが、まだ市街地も生々しい感じでしたね。
遠野では清心尼のいたところを訪ねました。小説にも出てくるんですが、高清水高原という雲海が見える高台があります。
行った時、午後だったのに、すごく天気が良い朝しか見られないと言われていた雲海が見えたんです。タクシーの運転手さんに、「あんた達運が良いねえ。NHKのクルーが三日待っても現れなかった雲海だよ」って言われて、それこそもう、清心尼によばれた……!みたいな(笑)。その時、本格的に、書こうと思いましたね。
資料を調べているうちに、彼女が生きていた時代にも三陸の大津波があったり、色々なことが浮かび上がってくるじゃないですか。自然災害など大変なことが多い土地ですし、さらに、困難の連続みたいな人生を彼女が送るのですが、その際に一つ、一つ、決断して乗り越えるというか、生きる道を選択していっていた人なんです。
そういう人がこの土地から出ているというのを今私が知ったということは、これは、人様にお伝えした方が良いんじゃないかって思ってきたんです。誰か書いたら?と言っていたけど、いや、私、作家なんだから書かなきゃ、と(笑)。
その後、1年間準備して、書き始めました。
■中島さんの作品には、魅力的な女性の主人公が多いですが、今回の主人公、清心尼(祢々 ねね)の魅力とは?
この人の存在自体がとてもユニークで、男しかいないと思った大名に女がなっていたっていうだけでもびっくりに加えて、彼女のやったことがいちいち、納得できる気がしたんですね。
昔の人のことって今の価値観からすると理解できない行動が多い。主君のために我が子を自分の手で殺したり、女が父や夫の道具のように嫁がされたり、子を産まされたり。そういう封建道徳は嫌なんですが、「時代が時代だから仕方がないんじゃないのかな」と思っていました。今の考え方で、やたらと民主的な領主を現代作家が書いたりするのは、かえって嘘っぽいでしょう(笑)。
ところが清心尼のやったことは、現代人の私にも理解できるんです。彼女は封建道徳を軽んじていたわけではないけれど、それより一段深いところで、命の大切さについて考えた人だったと思うんです。
例えば、戦をしないっていう選択について。
今の人の選択じゃないんです。当時、憲法九条があるわけじゃないので(笑)、その時代、戦はある意味てっとりばやい選択肢の一つだったと思うのだけど、彼女はすごいリアリスティックな判断をして、「今そんなことをやってたら皆殺しになるだけだ」と、そうではない道を選択するわけですよね。
そういうリーダーが当時いたということも、新鮮でした。
■中島さんが描いたからこその清心尼(祢々 ねね)とは。
清心尼(祢々 ねね)という人物を造型するにあたって、すごく意識したのが、彼女のお母さん、千代です。
どうも面白い人だったらしいんです。南部信直という、祢々(ねね)のおじいさんにあたる南部の殿様がいるんですが、彼が、娘である千代に送った手紙が残っていて、そこに相談事が書いてある。
小説の中で千代が南部弁でしゃべりはじめるところがありますが、あれは、その手紙の内容をそのまま使っているんですよ。
実際に信直が彼女に送った手紙には、「これからの時代は力じゃなくて知力、あとは人とどう付き合っていくかが大事だ。新しい時代になる」、そういうことが書いてありました。
そういうものを娘に送ってたってことは、当時の価値観からしても相当、信頼された娘だったんだなあと。
そもそも、女の歴史って残ってないんですよね。ポジションがないから。
でもポジションがないだけで、優秀な女の人はいたんです。
清心尼のお母さんも、戦国武将として南部藩をつくった大大名だった男の人がこれだけ信頼したってことは相当頭が良く、政治的センスもあったってことだったと思うんですよね。
私もそのお母さんを発見して、この人の娘だったら大名になっちゃうかも知れない、なってもおかしくない才覚と器量のある人だったに違いないと思えてきました。そうやって考えていく中で、「かたづの!」は、私の中の一つの柱は、とても優秀な「女三代(あるいは四代)の話」になりました。
最初の方でお母さんと祢々がすごい勢いで、政治がらみの論争をするシーンは、自分でもこれは男の作家は書かないだろうなって思いながら書いていました。私が姉妹で育ったからとかは、どうですかね(笑)?ダイレクトにそんなに喧嘩したことはないですけど。母娘ならではの歯に衣着せない感じも書きたかったんです。
■毎回、創作のきっかけは、題材ありき、という感じですか?
今回は出会っちゃったことありきですが(笑)、毎回、違いますね。
「小さいおうち」は、一つの「時代」を書こうと思って、まず、おうちがあって、おうちの話を決めて、そこに住んでいたのはどんな人で……と。さらに、女中さんを語りにするっていうのは決めていましたが、作品ごとに結構、違いますね。
■今年8月、朝日新聞「オピニオン」に中島さんが寄稿された『「戦前」という時代』を読ませて頂き、非常に感銘を受けました。
今から100年前の「時代」を生きた「かたづの!」の清心尼(祢々)と昭和初期を生きた「小さいおうち」のタキ。女の生き方自体のバリエーション、選択肢が無く、女の「仕事」もそもそも無くて、一人一人の女性達が「家」に吸収されて名も無く一生を終えていくことが当たり前だった、そんな「時代」に、祢々もタキも、仕事を持ち、自分の人生をまっとうし、切り拓いていく姿が印象的でした。
そもそも、普通の人の人生って、無かったことになってることが多いですよね。歴史に残らないんですよね。
教科書が教えてくれる歴史って、人々の生活が見えてこないっていうだけではなくて、語られない歴史が無数にあります。
私達の人生は、誰に語られるわけでもなく終わっていくわけで、いくつかのものだけが残されて語られて太い線で結ばれて残っていく。でもその周辺に、無数に、語られない歴史、語られない者達がいた。
そんな語られない者の中には、ある意味ではピンポイントで、今の時代の私達にずしんとピンポイントで響く、繋がってくるものがあるんじゃないかって思います、絶対。
■「オピニオン」の論考の中で、関東大震災の朝鮮人虐殺にも触れられていた。あれも、「無かったこと」にされてきていますよね、最近。
私、本当に危険なことだなって思っています。
今まで、史実としては知っていたのですが、自分自身でも、そこまで切実に考えたことがなかったんです。でも、ドイツがホロコーストを繰り返し反省していることや、碑を建てたりするということが何で大事かというと、みんな、忘れちゃうからなんですよね。
忘れちゃうことってある意味仕方ない。今の人が知らない大昔のことですから。人って忘れていく。伝えないとみんな、忘れちゃう。伝え続けること、繰り返し思い出すことだけが、過ちを避ける唯一の方法なんだと。ヘイトスピーチがこれだけ問題になっているいまこそ、肝に銘じないといけないと思います。
碑が建っていたりすると、今回、私が清心尼のお墓を見つけてしまったように、時々、偶然目にして、ああ、ここであれが!みたいに驚愕することありますよね(笑)。
やっぱり、そういう過去があって、この東京で、大変なことが起こったんだっていうことを私達は教えていないし教わっていないと思うんですよね、きちんとは。
それの何がいけないかというと、同じようなことが起こってしまうということ。
私、「小さいおうち」の時代と同じようなことが起こるって、本当に思っていなかったんですよ。言論弾圧やら思想統制やら一億上げての翼賛体制みたいなこと、もうあるはずない、くらいに思っていて。
でも、ヘイトスピーチや今の時代を見ていると、メンタリティとしては丸々残ってるじゃないかって。それを考えたら本当に怖いです。
■今の日本では、あの戦争のこと、一般の市民も加害の側に回ったという側面、暴力や虐殺についても伝えられていないまま、埋もれていくことが多いですよね。
だからこそちょうど8・15の時期に中島さんの発言と出会えて感激しましたが、今、「発言」をすることが難しい空気、ものを言いづらい、ぎすぎすした空気のようなものを感じられていますか?
あのような発言をされて、バッシングなどはありましたか?
あれは掲載されたのが8月8日でした。
朝日の方から8月15日が近いので今の時代の空気と戦前の空気を、「小さいおうち」を書いた人間として書きませんか?と言って下さったので、書いてみますと言ったんです。
今のところ、バッシングは大丈です。ただ、私自身はまだ経験していませんが、政権批判ととられるようなことを書かないでくれ、と言われたというような話を、あちこちで聞くようになりました。
そして、バッシングが怖いということで、色んなことがやめになっていくことこそが非常に怖いですよね。
各地で起きているようですが、学習会の内容によって市が市民センターを貸さないと言ったり、そういった勝手な自粛が何よりも嫌ですよね、怖い。
■その8月末に「かたづの!」が発行され、拝読させて頂いたので、「戦で一番大切なのはやらないこと」という清心尼の台詞が本当に胸に染みこんできました。
あの台詞を言わせたのは今だからこそ、という思いはありますか?
彼女に出会ったのは2008年頃ですし、書こうと思ったのは震災がきっかけでしたので、書こうと思った時点で、というのはなかったです。
ただ、その後、時代がなんだか変な風になってきっちゃったという実感はあって、そういう意味では、書き手が時代の空気に影響されて書いているので、全く関係がないという訳では絶対ないと思います。
ああ、これは今の時代のことだな、と思いながら書いていたのは、どちらかといえば後半の方です。
2012年の秋くらいから1年とちょっと連載(注:小説すばる誌上にて)していて、その間にどんどん、どんどん、時代状況が悪くなってくる感じがしていました。戦争ということが人々の頭によぎるなんてことはこれまでなかったのに、それこそ集団的自衛権だとか秘密保護法とかが出てきたあたりからみんな不安になって、普通のお母さん達でもうちの子の未来がどうなるのかって素朴な不安を覚えている方がたくさんいるでしょ、最近は。今まで、普通にいなかったでしょう、そんな方(笑)。
書いている間に、そんな気持ちが進んできて、さらに時代の状況が進んで、それに呼応して作品の中にもそういう私自身の不安というか思いみたいなものも入ってきたとは思います。
「戦で一番大切なのはやらないこと」という台詞ですが、彼女が戦をやらなかったのでそうしましたが、『孫子』ってあるじゃないですか。私、結構、好きなんですが、中国の春秋戦国時代に書かれた兵法書で、『孫子』に出てくるんです。とにかく戦は出来るだけやらない方が良いと。
武家のお姫様なので、そういう教養があるはずだと思って書いた面もありますね。
■反原発のアンソロジー作品『いまこそ私は原発に反対します』(平凡社)での中島さんの作品もブラックユーモアにあふれ、面白かったです。
あの本は今後、3・11と原発事故を記憶するために、日本の文学史に残るものではないでしょうか。
ありがとうございます。
あれは私も会員になっている日本ペンクラブ編集のもので、企画から参加していました。あんまり売れなかったんですけどね。色んな方が色んなものを書いて下さって。
でもあれ、もう本当に笑いごとじゃなくなってしまいましたよね。それが、つらい。
色んなことが変な風になってしまって、3、11以来ですかね。なんとかしなきゃね、ほんとに。
■作家やアーティストの中には、作品で表現するから直接的な発言はしないと言う方も多いですよね。
内容によってはインタビューなど取材を断る方も。そんな中で、中島さんはどんな思いで取材、執筆などを引き受けられていますか?
そうですよね(笑)。
基本的には、私は取材を受けてるだけ、お答えしているだけなんですが、最近、私が「発言する人」みたいになっているのが、自分でも不思議。変だなって思うの(笑)。
みんな、断ってるのかなあ? それとも取材自体が来ないのか(笑)。
作品でと言ってもね、私は作品では社会的な発信しようとかはないんです。
「かたづの!」は思いがけず、というか、どうしても時代の空気とかに影響を受けるので、なんとなく、清心尼が「今こそ、書きなさい!」と言っているみたいになってきたんですけどね。
私自身、イデオロギーが先に出てくるようなものを書きたいと思わないし、読みたいと思わないタイプなので、自分は面白い小説を書きたい、それが一番大事って思っているんです。
そうかといって、やっぱり言論が不自由になるような状況になっていくと、そんな中で自分が面白い小説書けるか、それは大きく違うんじゃないかと思うんですよね。
「秘密保護法」みたいなめちゃくちゃな法律には、それこそ、どこで何が引っかかるのかは、自分で判断できないですから、「何が引っかかるのかがわからない」と思っていたら、多分、ものは書けなくなりますよね。
私の作品はそんなに引っかからないと思うんですが(笑)、そもそも、私だけが引っかからなければ良い、っていうのもおかしいでしょ。
書くことを制限される社会、気が付くと仕事が来なくなっている未来なんてものを想像すると、相当怖いんですが(笑)。
でもやっぱり、そういう風にならないことを目指していかないとね。
■作家として、純粋に面白い小説を書きたいのに、それすら脅かされていくような時代の匂いを感じられているということですね。
実はうちのサイトでも、「最近、セックスとラブの話が一番少なくない?」という話になっていて、同じ思いです。こんな時代になってしまっているから、他にしなきゃいけない話が増えすぎていて、本業?の、たのしい話が手薄に、という困った状況で(笑)。
ほんとですよね(笑)。
時代が安定していてうまくいっていれば、小説家は政治状況や政権に対して、からかってるような感じ、面白がっているような感じでいられるのが健全なスタンスじゃないかなって思うんです。
でも、今、そうじゃないから、いちいち、おかしいよねって言わざるを得ない。
とんでもないことになってるって思いますけど。「おかしいよね」って、みんな、思わないのかなあ?
■朝日への寄稿原稿の中で戦争に向かって行く当時の日本市民の描写のくだりが印象的でした。
― 第2次世界大戦に突っ込んでいく日本には「恋愛も、親子の情も、友情も美しい風景も音楽も美術も文学も、すべてのものがあった。いまを生きる私たちによく似た人たちが、毎日を丁寧に生きる暮らしがあった。私は当時の人々に強い共感を覚えた。 ―
あの時代を調べれば調べるほど、自分と変わらない人達に思えてくるんですよね。すごくいいものもたくさんあったし。
「小さいおうち」書いたのは、2009年頃だったのですが、調べていくうちに、また同じことが起こるよって感じました。
資料を見ていくうちに気付いたことなんですけど、庶民は無関心のうちにどんどん戦時体制に巻き込まれて行くし、ちょっと景気がよくなるだけで批判力を失ってしまう。今は、「こんなことがまたあったら」っていうのが仮の話じゃなくなってしまって、「また起こってるよ」って思えてきて。こうなると、進む先は、、、って考えると恐ろしい。今の日本の状況は本当におかしい。
おかしいと思ってる人もいっぱいいると思うんだけどなあ。我々が国民投票で安倍さんを選んだわけではないんですが、ね……。
戦後の歩みそのものに、無理があるんでしょうね。外側からみれば、冷戦構造が終わったとか世界の構造自体が変わっていく中で世界中がナショナリズムとかグローバリズムの波にのまれているのと、日本の今の動きが無関係では無いとは思うんですが。今後、もっとこのことをきちんと考えていきたいです。
日本の国民性というか、自然災害が多いというので作られた国民性というのはあるかも知れない。天災はどうしようもないことなので、作った作物がめちゃくちゃになっちゃっても、諦めるしかない。そういう打ちのめされるほど酷いことがあっても仕方が無いとあきらめる心が育つと思うんですよね。それが有効な場面もあるかも知れないですけど、でも、何でもかんでも諦めて良いわけじゃないだろうっていう風に感じますね。
■今、女性たちの感じている生きづらさは、この時代状況とも結びついていると思います。
女性の「活躍」と叫ばれていますが、今の政権が求めているのは、国が「活用」したい「産めよ増やせよ」の母であり、「銃後で男たちを支える」妻であり……。
女性が色々、生きづらいですよね。
若い女の人達が(高収入の夫のパートナーを目指す)専業主婦志向になっちゃうっていう状況ありますよね。でも、そんな人になれる人は一握りで、ほとんどいないのにね(笑)。
若い女の子がみんな就職もなかなか出来なくて、付き合ってる男の子もなかなか就職できなくて、ふたりとも非正規だからお金なくて子どもも産めなくて……でしょ?
そこはやっぱり、国が、国の政策が間違ってますよね。
だから、あなた達女性の意識の問題ですってそれを女の子達に言うのは酷ですよね。頑張れない状況があるわけで。
貧困へのセーフティネットを作るとか、子どもを産んで育てやすい環境を作るとか、地に足の着いた女性政策して欲しいですよね。すごく変な所へ行っちゃってるからね。産め、育てろ、働け、介護もやれって、何もかも女性に押しつけるような方向へ。
■絶望的なこの状況の中で、どんな風に希望を見いだせばいいでしょうか?
私は今、ある意味、発信しやすい仕事なんです、フリーランスだし、物書きだっていうことで。私も今はこんなことを言ってるし、Facebookとかでもいつも怒り続けた発信をしていますけど(笑)、自分が会社員をしていた頃にそういうことが出来たかなって。人の目とか気になるタイプでしたしね。会社員だと「あの人こうよね、こそこそ……」とかが気になってしまう気持ちもわかるんです。
だけど最近、普通の会社員とかお母さんが「やっぱりおかしい」って、「憲法カフェをやりましょう」とか声を上げているでしょう? あれは偉いと思うし、こういう人達が日本を変えると思います。
こういう同調圧力のある中で、そういった一人一人の方が発信する方が、私が書いたりするより、勇気のいることだなって思います。この国では。
たしかに希望の光が見えづらい時代ではありますが、そういう個人個人の発信を、会社とか学校、地域でやり始めてる人が出てきている、そこに希望を見いだしたいですよね。
中島京子(なかじま・きょうこ)
1964年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒業。
出版社勤務、会社員、ライター・編集者等を経て、2003年、『FUTON』で作家デビュー。
2010年、『小さいおうち』で第143回直木賞受賞。同作は2014年、映画化され(監督:山田洋次)、原作、映画ともに大きな反響を呼ぶ。
著書に『イトウの恋』、『ツアー1989』、『平成大家族』、『宇宙エンジン』、『東京観光』、『妻が椎茸だったころ』等。
最新作の『かたづの!』は江戸時代で唯一の女大名が主人公の物語。