田中美津さんと少年アヤちゃんさんがーーーーーーー!!
こんにちは!スタッフのエマです。
ヴァギナ・モノローグ感想の続きがまだだけど…、今日はこれを!!!
これを!!!これを…書かせてください…!!!!!!
ラブピの寄稿コラム欄に、田中美津さん!!
そして、少年アヤちゃんさんにご登場いただきました!!
キャ―――――――
実はわたくしこのお二人のファンで、一読者として超興奮しています!!!
大学時代、私は女でいること・それによって周囲から私の人格を無視した“女”像を押し付けられるのが辛くて、自分の性別が受け入れず、「自分はなんで女に生まれてしまったんだろう…きっと自分は前世で男で女の人をいじめていて、これはその罰なんだ、だから受け入れないといけないんだ」そんな風に思わないと生きていられないほどでした。
なにより辛かったのはそういう、女で生きづらいという思いをわかってもらえる人が、なかなか周りにいなかったこと。
そんなときに、田中美津さんの『いのちの女たちへ―とり乱しウーマンリブ論』を読みました。感銘を受けた、甚大な影響を受けた、…なんて言うんでしょうか、それはある種の救いでした。
今手元にないので本文を引用できないんですけど…
女であるが上に受けた性暴力、日常に潜むセクハラ、美醜の問題、同じ目的を持ってベトナム戦争反対のため戦う仲間・同士の間でもやはり男は女を仲間とは思っていないこと、理不尽さ…
これは自分の話だと思いました。
まだセクハラという言葉も概念もなかった時代。
男女で扱いが違うのは当たり前だと思われていた時代に。
女であるがゆえの理不尽さと怒りをつづった田中美津さんの文章は、全部田中美津さんの身体を通って出てきた肉声のようで、力強い生命力やみずみずしさに満ち満ちていて、揺さぶられました。
その本を読んでいる時、私は田中美津さんと魂が通じ合っているような気がしました。
この本の初版が出されたのは1972年ですが、まったく古さを感じませんでした。
この本が出版されたてから40年以上が経っているのにそのことが私の共感を全く邪魔しなかったのは辛くもありました。
でもそれ以上に『いのちの女たちへ―とり乱しウーマンリブ論』との出会いは、私に初めて、誰かと時空を超えて太い縦の糸でつながっているような感覚をあたえてくれ、すごく大きなものでした。
また、この本の読書会でたくさんいい友人ができたりもしました。
ぜひ興味のある方は読んでみてください。現在進行形で女・男の生きづらさに苦しんでいる方には辛い部分もあるかもしれませんが、大きなものにふれた気分を味わえると思います!
そして少年アヤちゃんさん!お名前が「少年アヤちゃん」なんですが、二重敬称のような形になってしまうので、ここからはアヤさんと表記させていただきます。
もう…私はアヤさんのブログ『尼のような子』がすごく好きで…。
表現がすごく独創的で誰も真似できないとオリジナリティを感じます。
アヤさんの文章は、どこか冷めた視点で客観的で、でもどこまでも内省的で…
う~ん…私は現在進行形でアヤさんの日に日に進化していく文章に揺さぶられているので、まだ気持ちを整理して客観的に説明や紹介をできません。
読んだことのない人はラブピコラム以外にも、ぜひアヤさんのブログ、連載を読んでみてください!
ちょこっとアヤさん語録を。。。
アヤさんはアイドルにハマるファンの行為を「信仰」と呼んでいるんですが、これ、すごく的確すぎる言葉じゃないですか?
ちなみにアヤさん、数年前まで韓流(K-POP)にハマっていたんですが、今はその熱が冷めてしまったようで、最近今になってK-POPにハマった身として悲しいです…(笑)
でもそういう気持ちって自分でコントロールできないんですよね。よくわかります…。
それではエマでした!
今日の夕焼け。