アレサ・フランクリンを初めて知ったのは32年前、私が16歳のときでした。中学生で洋楽を聴き始め、徐々に自分の好みを確立していく…そんなパターンを踏む人達が多かったと記憶しています。
若い人たちにはイメージが難しいかもしれませんが、当時はyoutubeや各種SNSなんてなかった時代だから、「情報が向こうからやってくる」なんてことはなかった。マドンナやホイットニー・ヒューストンほど大きなセールスを上げていた人ならば、フジテレビでゴールデンタイムにやっていた『夜のヒットスタジオ』あたりで取り上げていたけれど、もっと深掘りしたくなったら、洋楽を取り上げているテレビの深夜番組をチェックしたり、FMのラジオだったり、雑誌から情報を入れるしかなかったの。私が住んでいたのは電車が1時間に2本しか走らないド田舎で、街のそこかしこに音楽が流れている大都市とは違っていたし。
アレサ・フランクリンを知ったきっかけは、ホイットニーの『How Will I Know』のプロモーションビデオ。曲の終盤、ホイットニーが歌う「あなたに尋ねるの だってあなたはよく知っているから」という歌詞に合わせてスクリーンに現れるド迫力の女性がアレサ・フランクリンだと、どこかの雑誌に書いてあった。それを頼りに自分でレコード屋さんをチェックして、まず『Freeway Of Love』という曲を聴いたのが最初でした。
アレサの声を初めて耳にしたときの私の驚きを、どう言えばいいか…。
「大地を割るような低くて重いパワフルな声と、『天まで届く』というよりは『天まで割る』ようなハイトーンの声が、まさか一人の人間の中に同居しているなんて!」
そんな歌手に出会ったのが初めてだったから、とにかく信じられなかったわけです。しかもアレサは、明らかに6割くらいの力で歌っている。「手を抜いている」ということでは決してなく、「時速400キロ出るスポーツカーが240キロでぶっ飛ばしている」「50トンの岩を砕けるハンマーで30トンの岩を砕いている」と言えばいいでしょうか。
「マックスで歌わないのにほかの歌手のマックスをはるかに凌駕する。で、マックスで歌わない余裕が、リズムを引っ張る力にきっちり還元されている」という感じだった。そりゃあハマりましたよ。田舎町のレコード屋には入荷されないアレサのCDを調べに調べて取り寄せてもらう日々が始まったのです。
キャリアを通じてアレサの代表曲となった『Respect』。20代の頃のライブはレコード音源よりもピッチを速めているのに、崩れるどころかさらにリズム感も声の張りが強まり、バックを引っ張っているパワーを見せつける。
アレサのベースにあるゴスペル。『We Need Power』の教会でのライブ。メイヴィス・ステイプルズとの掛け合いで教会を丸ごと包み込んで人々を熱狂の中に巻き込んでいく。
そして、何をおいても若い読者の方々に聴いていただきたい曲がコレ。ユーリズミックスのアニー・レノックスとのデュエット『Sisters Are Doin’ It For Themselves』。
私がこれを聴いたのは1986年、16歳のときです。私はクソのような因習にまみれた田舎町に生まれ育ったゲイで、当時は「ゲイ・リベレーション」なんて言葉、概念自体が日本にはなかった(少なくとも、田舎町の私の元には届いていなかった)。そんな私は当然、「シスターフッド」という言葉、概念も知りませんでした。そんな状況でこの曲を聴き、自分で訳した歌詞を理解したときの衝撃といったら。そして、そんな状況でこの曲に出会えた幸運といったら!
女たちが壁を破って自分たちの足と意志で生きていくアンセムを、ゲイである自分のためのアンセムに置き換えて、「劣った性とか、なに言っちゃってんの。自分の足で立って、自分のベルを鳴らすのよ!」と、生れて初めて「歌」を通じて自分に喝を入れられたのがこの曲だったのです。
この曲の2番のあとに「それでも男は女を愛するのだし、女は男を愛するの」という歌詞がありますが、2018年の今だったらシスヘテロの圧力を感じる人もいるかもしれない。でも、1986年に私が感じた「壁を破るパワー、自分の意志で立ちベルを鳴らす思い切り」はいささかも変わることがありません。
ヒットソングとかテレビ番組とか映画といったポップカルチャーの中には、本当に多くの人々を「こちらにおいでよ。こちらはもっと楽しいから!」と引っ張る力を有する作品があります。ユーリズミックスがいたイギリス、アレサ・フランクリンがいたアメリカから生まれた曲が、日本の片田舎の高校生を引っ張り上げてくれたこと、忘れません。アレサ、本当にありがとう。