「「生産性」がない」発言の衝撃…差異のある私たちは平等なのに
自民党の杉田水脈衆議院議員(比例中国ブロック)が、月刊誌『新潮45』への寄稿で、性的少数者(LGBTなど)を「子どもを作らない、つまり「生産性」がない」などと寄稿したことに批判が集まる一方、二階俊博自民党幹事長は「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観・考えがある」と述べたという(「LGBTは生産性がない」杉田水脈議員の寄稿 各政治家の反応まとめ)バズフィードニュース 播磨谷拓巳記者2018年7月25日 )。
どうして問題の深刻さを理解しようとしないのだろう。人間の価値を「生産性」で語ること。障がい者に税金を使うことは「無駄」等と断じ知的障害者施設入所者・職員計26人を殺傷した相模原障害者施設殺傷事件の犯行を実行したといわれる被告人は、「権力者に守られている」と述べたといわれる。それは被告人の思い込みだ、と思いたい。国権の最高機関である国会は、人間を「生産性」などで判断しない。個人の尊厳をなによりの価値とする憲法のもと、差別され抑圧されかねない人々の尊厳にこそ配慮した立法を実現していくところなのだから。国会議員には、憲法尊重擁護義務(憲法99条)があるのだから。…というのは、私の思い込みなのだろうか?そう、杉田水脈の寄稿とそれに対する与党幹事長の発言に、愕然としながら思わざるを得ない。
日本国が締結した条約を、国は誠実に遵守する必要がある(憲法98条)。女性差別撤廃条約を日本は1985年に締結した。この条約は、法上の差別のみならず、慣習・慣行の中での差別の撤廃も求める。これもまた、性別など様々な差異のある私たちを、「生産性」その他の物差しによることなく、平等を達成しようというものだ。
とはいえ、条約といえば、英語その他外国語を操る各国のエリートたちが議論しながら練り上げる高尚な文書で、私たちのリアルな日常生活とは遠いもの、といった印象があるかもしれない。しかし、山下泰子・矢澤澄子監修・国際女性の地位協会編『男女平等はどこまで進んだか 女性差別撤廃条約から考える』(岩波ジュニア新書)を読めば、平等や人権は、私たちの身近なところの課題であり、実践が必要とされることなのだ、ということがわかる。条約は、「生産性」といった、人間を序列付け排除するような、身が震えるような物差しに抗議するよりどころにもなる。
国には女性差別の法律を維持してはならない義務(尊重義務)がある
条約国は、女性の権利の尊重義務がある。女性に対する差別となる法律、行政手続き、慣習慣行を維持してはならない、という義務が基本だ。うーむ。本著でも多くの執筆者が取り上げ、また、改正が私のライフワークにもなってしまった、夫婦同姓を定める民法第750条。「夫または妻の姓」と中立的な規程でも、現実には夫婦の96%が夫の氏を「選択」している。法律の効果が男女で異なる以上、条約の理念に反し、見直しが必要である(第1章)。
性別役割分業も、「観念」としてあるだけではない。それを裏付けるような法律や制度が、税・社会保障法上残されている。どうして残されてしまうのか。それは、議会や行政機関の中に女性が少ないことが原因ではないか(第1章)。
闘う女たちがバトンをつなぎ問題を可視化
私が取り組んできた夫婦別姓訴訟もそうであるが、闘う女性たちがいなかったら、問題自体認識されない。第4章「企業における女性の働き方は?」の冒頭で取り上げられる、結婚退職制を争った女性がいなければ、未だに、「女子が結婚した場合は家庭本位となり、注意力、本気、正確性が低下する」といった偏見(訴訟での会社側の主張)のまま、差別的な制度が維持されてしまったかもしれない。「結婚退職制は無効」という新聞の見出しが、大学の法学部受験を目指して頑張っていた当時高校3年生の浅倉むつ子(第4章執筆担当者)を励ました、という。浅倉むつ子がその後労働法、ジェンダー法成し遂げた業績を思えば、闘う女たちがバトンを渡していことの素晴らしさを実感する。
浅倉は、以下のように指摘する。働く男女は平等という一応のメッセージを社会に投げた均等法が施行して30余年。一定の成果はあった。しかし、特に男性の長時間労働が是正されないまま、女性たちが大半の家事育児を一手に引き受けている。個々の家庭での問題は実は社会構造に起因しているのだ。また、セクシュアルハラスメントやマタニティハラスメントについても一応問題として取り組みが行われてはいるが、明確に禁止し、加害者に対する懲戒を使用者に義務づけるといったことが、必要である(女性差別撤廃委員会からも勧告を受けている)。
加害者に対する懲戒についてイニシアティブを取りうる地位にいながら、「セクハラ罪という罪はない」と言った麻生財務相がよぎる。セクハラ被害を軽視する、それも公然と軽視する人物が、政権要職にいる…。条約国には先ほどの「尊重義務」のほか、民間企業や民間人による差別や虐待について予防し、差別の被害者を救済する義務(保護義務)もあるのだが、ほど遠い現状…。条約に沿った社会の変革は、「上から」降ってふるわけではないことは、明らかだ。女たちは、困難な中で、まだまだ声をあげ闘い続けなければならない。
個々のカップルで起こる暴力も女性差別
交際相手からの暴力(デートDV)は、個々のカップルの関係の中で起こり、個人的に悩んでいることのようで、女性が女性であるために受ける暴力、「女性に対する暴力」のひとつであり、戦争で起きる暴力その他世界各地で起こっている構造的な事象でもある。暴力を受けている女性は、それ以上暴力をふるわれることを恐れ、自分の行動を制限し、言いたいことも言わなくなる。それは、女性が自分らしい人生を送ることを妨げる効果を持っており、女性差別である、と第6章で近江美保は書く。
私も、「それ」はデートDVだと気づき、そんな関係を終了し、自分も他者も尊重して生きていけるようにするにはどうしたらいいか、ああでもないこうでもないと悩みながら、一冊の本を書いた(『レンアイ、基本のキ 好きになったらなんでもOK?』岩波ジュニア新書)。読んでいただけたら幸い嬉しい。
複合差別への取り組みも
女性差別とその他の差別(民族、障がい等)が重なる場合、すなわち複合差別について取り上げた谷口洋幸による第8章も取り上げたい。冒頭で取り上げた杉田水脈は、2016年2月(当時は「前衆議院議員」であった)、国連の女性差別撤廃委員会の審査会場で、傍聴に来ていたアイヌの民族衣装やチマチョゴリ姿の女性たちを無断で撮影し、その後NGOの女性たちから撮影を断られたにもかかわらず、撮った写真を許可なくwebサイトにアップし、「左翼」「小汚いNGO」などと誹謗した(「国連の女性差別撤廃委会期中に-杉田水脈氏ら」週刊金曜日3月4日号、坂本洋子)。そのような人物が与党公認として出馬し、衆議院議員になっている。
複合差別は見えにくい。しかし、世界には裕福で教育があり異性愛で障がいがない白人女性ばかりではなく、そのような女性を前提にした権利主張に違和感がある女性たちから声が上がり、様々な差別を意識し注意深く取り上げるべきことが認識されるようになった。
6月28日、李信恵さんがまとめサイト「保守速報」を訴えた裁判で、大阪高裁は、地裁よりも踏み込み、「人種差別および女性差別にあたる内容も含んでいるから、悪質性が高い」とした上で、200万円の損害賠償を認めた地裁判決を支持した(「保守速報、高裁でも敗訴。在日女性への差別を認定した判決内容とは」籏智広太記者バズフィードニュース2018年6月28日17時13分)。画期的ではあるが、訴訟を起こすことは個人の負担が大きい。
谷口が指摘するように、アイヌ女性や在日コリアン女性等への差別煽動や憎悪表現の禁止や制裁、偏見解消のための独立専門機関による監視が求められている。
女子受験者一律減点の衝撃
その他にも多数取り上げるべき章があるが、東京医科大学が「離職を恐れ」、女子受験者を一律減点していたという衝撃のニュースが報じられていることから、「教育については男女平等が実現している」と多くの人が思い込んでいるものの、専攻分野に男女の著しい違いがあることを指摘する武田万里子による第3章も取り上げねばならない。
このような現状の打破のためには、「男女間に存在する教育上の格差をできる限り早期に減少させることを目的とした継続教育計画を利用する同一の機会」の確保等を求める女性差別撤廃条約(10条(e))に沿った前進が望まれる。男女共同参画社会基本法に基づく国の第四次基本計画では、2020年までに、自然科学系研究者の採用に占める女性の割合を30%に引き上げる(2012年25.4%(医師薬学系24.3%))等の目標を立てている。
「リケジョ」支援はもはや「国策」だ。ところがどっこい、前進、引き上げどころか、女子合格者を減らすことを「必要悪」としている医科大学があるとは…。そして、他の大学でもあるあるなことだとの呟きも多数…。リケジョこんな露骨な差別の解消からまず着手しなければならない現状である。
本著を読みながら、あまりにグローバルな法規範とはほど遠い日本の現状への憂いを深めつつも、多様な生き方、人権を守るために、(条約を知る知らないにかかわらず)条約の価値や実効性を高める試みをしてきた人々の姿にも感動する。ダメダコリャと嘆くよりも、本著のご一読を勧める。