ラブピースクラブでコラムを初めて書かせていただいたのは、確か2001年だったと思います。そこから17年が経ち、私も4度目の干支を迎え、いまは肝臓がんの治療中。行きつ戻りつしながらも3年以上が経過し、告知当初の予想よりは元気に過ごせているかなと思います。一時は「遺言状書いたほうがいいかしら」などと思ったこともあったわりには、現在、肉体的な方面以上に精神的な方面でたいしたダメージを受けていないのが、自分でも面白いなあと。
もともとこのラブピースクラブのエッセイでは、「自分の身の周りのことや、自分が味わってきた作品たちを、自分のやり方で面白がること」を書いてきたつもりなのですが、肝臓がんになっても自分のスタンスにあまり変わりがないのは、ちょっと自分を褒めてもいいかしら…と自惚れていたりします。
もちろん、それは自分だけの経験や自分だけの胆力、それらだけが要因なのではありません。本とか映画とかドラマとか音楽とか、味わってきたものを自分になりに解釈(自分なりに面白がる)して取り込んだものが、自分の一部になってくれたのも大きい。そうした作品の中で、私がもっとも信頼を置いている作家のひとりが木皿泉です。私が木皿泉という名前をインプットしたのは、2003年の『すいか』というドラマがきっかけ。当時たしかラブピースクラブのエッセイでも書いたような記憶がありま。いまはDVDでおりにふれ観返し、そのたびにじんわりと温かいものを受け取っています。
木皿泉は脚本家としてキャリアをスタートさせていますが、エッセイや小説も出版しています。その木皿の最新の小説が『さざなみのよる』。これはNHKのBSで放映されたお正月ドラマ『富士ファミリー』のスピンオフ的な作品と解釈しています。ドラマ『富士ファミリー』は、富士山のふもとのさびれたコンビニを舞台に、鷹子(薬師丸ひろ子)、ナスミ(小泉今日子)、月美(ミムラ/現・美村里江)の三姉妹と、身元不詳の笑子ばあさん(片桐はいり)と、その4人を取り巻く人々との間に流れる時間を描いた作品。真ん中の小泉今日子は故人で、見える人の前にだけ時々姿を現す、という設定なの。
で、『さざなみのよる』は、小泉今日子が演じているナスミがガンで死ぬその前後に、彼女を取り巻いた人々の間で流れる時間を描いている作品。「自分の死」というものを、死にゆく当事者であるナスミがどのように受容し、そしてナスミの死後、「ナスミの死」をナスミの周りがどのように受容していったか、というお話です。
ドラマや小説のことを詳しく論評していくのは難しい。特に、木皿泉の作品は。ただ、私が『すいか』から変わらずに愛しているのは、木皿泉がもってくるさまざまな小道具であり、その小道具が導く場面である、その場面が導いてくるセリフの数々です。『さざなみのよる』でも木皿は、あるマンガ作品だったり、小さなダイヤモンドだったり、膨大な小道具を用意している。その小道具が点となり、点は線になり、線はいつしか糸のようなものになって、さまざまな人たちに受け渡されていく。
この作品を「死と生を描いた連作小説集」というと簡単にまとまってしまいますが、私は木皿泉の「小さな物を点にして、それを様々に広げていく」という手腕をほとんど愛しています。「ディテールに神が宿る」ということを、「ディテールに神が宿る」などという大仰な言葉を使わずに(私はこういう言葉をやすやすと使ってしまうのです)表現できる、日本でも有数の作家だと思っているのです。
私自身はアラフィフの段階で「死」というものを身近に感じたわけですが、そのこと自体を「幸か不幸か」という視点でとらえたことはありません。生まれて間もなくこの世を去った姉がいたことを幼稚園に入る前あたりで知ったり、14歳で母と死別したり、37歳のときにちゃんと向き合っていたつもりのオトコと死に別れたり、そのオトコのお母様を1年半後に見送ったり、その間にも友人知人と何人も別れてきたり…、そういった「自分ではない者の死」のほうがはるかにキツいことを再確認はできたかしら、と思っています。自分の死だけが特別と思うような青い段階はとっくに過ぎ去った(もしかしたらはじめからなかった)のかもしれません。ただ、こんな感慨が私だけに特別に備わったものであるはずがなく、今回、私の手術が想定以上にうまくいったことを号泣して喜んでくれた友達の中にも同じように存在していることなのでしょう。
木皿泉は、そうした「自分のことよりも周りの人に感情移入してしまう」人たちの思いを、ディテールに託して描き続けています。この時期に、この作品が読めた幸運を噛みしめつつ、私は私で自分の体を大切にしていきましょうか。うれしいような困ったような、私以上に私の体のことを心配してくれている人たちのために。
PS
2月と4月に肝臓がんの手術をしまして、このラブピースクラブのエッセイも長らくお休みさせていただき申し訳ありませんでした。4月の手術は開腹して肝臓を1/3ほど切除する手術でして、手術そのものは私が想定する以上にお医者さんたちに見事に処置していただきました。ただ、なにぶんにもお腹をバッサリ開けたのは人生で初めての経験でして、「傷の治りはやや遅め」というお医者さんの言葉を思いっきり自分流に解釈し、のんびり日々を過ごすことをメインにしております。
「肝臓にたいする最大の薬は、休息」という言葉を、これもまた思いっきり自分流に解釈し、しばらくはゆったりめのペースでいかせてください。このエッセイも不定期に続けさせていただくことをご了承いただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。