長年働いてきた職場の男社会な厚い壁は、不況との相乗りでさらに厚くなる。下請け中小企業の職場は、請負元からもっと働かないと別の会社に変えますよと静かに脅され買いたたかれる。請負元から重宝されるアスホールな役付き男は女たちを分断し、汗をかかずに指示をだす。仕事でくたくたになった夜、一杯のみながら聴き入る女たちのブルース。虐げられ搾取され続けてきた黒人の女たちの歌声が、きょうも耐えて帰ってきた私の精神と体を慰める。
『ブルース・ウィメン』The Rough Guide To Blues Womenは黒人の女性たちが歌う1920年代のクラシックブルースを集めたアルバムだ。世界初のブルースレコードといわれるメイミー・スミスMamie Smithの「クレイジー・ブルース」Crazy Bluesも聴くことが出来る。世界初のブルース音楽のレコードの音源が黒人女性の録音によるものなのだ。この「クレイジー・ブルース」は歴史的文化財として米国国立図書館に音源が保存されているという。
1920年代は人種差別が公然とまかり通っている時代だ。女たちは性差別と人種差別で幾重にも虐げられてきた。上記アルバムに収められた黒人の女たちが歌うブルースの歌声の多くは、女たちに幾重にものしかかって来た苦難の重荷をふいっと下ろして、どこかウィットに富んだ軽やかさが心地いい。これがきっと慰みと救いとしてブルースが奏で聴き継がれてきたゆえんだろうか。
その女たちのブルースをほろ酔いで聴きながら、魂まではうらないぞと抗ってはいるものの所詮会社の奴隷と化している私。そんな中ある書物のタイトルが引っかかる。「ブルースだってただの唄」。古本で買っていて積読していた藤本和子さんの著書のタイトルだ。藤本和子さんが北米の黒人女性の聞き書きをまとめられたもので、1982年の『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』から4年たった1986年に出版された『ブルースだってただの唄 黒人女性のマニュフェスト』、この2冊を続けて読んでみた。
藤本さんは1920年代から生きのびてきた黒人の女たちの声を誠実に丁寧に書きおこし記録されている。キング牧師や公民権運動を時代のおおきなうねりとして後追いし、オバマ大統領の誕生に拍手した時代もすでになつかしいものとなっているいまも、この2冊の本に書き綴られている女たちの言葉は至言だ。
〈「生きのびる」とは、人間らしさを、人間としての尊厳を手放さずに生き続けることを意味している。〉(『塩を食う女たち』)と藤本さんはおっしゃっている。
『塩を食う女たち』ではさらに〈黒人であり女であることは、この世でもっとも低い場所に押しこまれていることなのだ…〉そして〈アフリカからの離散、奴隷、虐待、蔑視、貧困。「この狂気」を生きのびることを可能にしたものは何だったのか。その力はどこからやってきたのか。〉と問い続ける。
『ブルースだってただの唄』では刑務所にかかわってきた女たちの声が紡がれる。ウィンスコンシン州刑務所の「女たちの家」というところでは釈放を間近にした女性たちが社会復帰のステップとして刑期の最期の生活を送っている。「女たちの家」の集会で臨床心理医のジュリエット・マーティンのスピーチが、夜な夜なほろ酔いでブルースを聴く私の頬を打たった。
〈「わたしがまだ子どもだったころ、フロリダの家のまえで遊んでいると、ふとった女たちが通っているものだった。えびの漁場で働く女たち。よごれて、ひどい臭いをさせて、それでも笑いさざめきながら家路をたどる女たち。きまって笑っていた女たち。ある日のこと、わたしの耳にこんなことばが聞こえた。あんた、ブルースなんていってもさ、ただの唄じゃないか。そのことばがずっとわたしの耳に残っていた。
そうだと思う。ブルースなんてただの唄。かわいそうなあたし、みじめなあたし。いつまで、そう歌っていたら、気がすむ?こんな目にあわされたあたし、おいてきぼりのあたし。ちがう。わたしたちはわたしたち自身のもので、ちがう唄だってうたえる。ちがう唄だってよみがえる」〉(『ブルースだってただの唄 黒人女性のマニュフェスト』)
ブルースから解き放たれ人間の尊厳を失わずしなやかに生きのび続けた女たちの言葉がここにある。