病気して以来、家で過ごす時間が飛躍的に増えました。「体力増強のためにウォーキングがおすすめ」という担当医のアドバイスを守ろうとはしているのですが、何しろこの寒さです。テレビを見ながら時々体を動かしてみたり、ご飯をつくりながら時々ストレッチしてみたり、本を読みながら時々バランスボールに乗ってみたり、その程度でお茶を濁す毎日です。
そんな状況なので、「家でできるレクリエーションの充実」は大きなテーマなのですが、この間、本当に久しぶりに「GYAO!」(以下、ギャオ)をチェックしてビックリしました。明らかに充実の度合いが見える…。
なんでも「キネマ旬報ベスト・テン」の過去の受賞作を集中的に無料配信しているそう。基本、私は「映画が無料で見られる」とは思っていないタイプでして、レンタルで借りたり有料の動画配信サービスを利用していたりするのですが、こういう思わぬ掘り出し物があるのも、ネット時代のメリットかもしれません。少なくともレンタルショップオンリーの時代には、なかなか考えられなかったことよね。
https://gyao.yahoo.co.jp/special/kinejun/
(どんな作品が配信されているかの一覧が、スクロールしていくと出てきます。スマホではどう見えるか、ちょっとわかりません。ごめんなさいね)
映画監督・西川美和の『ディア・ドクター』が1月25日までの配信だったので、取り急ぎ見ましたよ。劇場で見て以来だから、もう8年以上前の作品になるのね。あわせて配信されている西川の『ゆれる』もこの『ディア・ドクター』も大好きな私は、お家での軽いエクササイズをすっ飛ばして、連続視聴してしまいました。
このふたつの作品から、私が受け取ったいちばん大きなテーマは、こんな感じのものでした。
「ひとつの物事は、見る人や見る立場によって、まったく形や性格が変わってしまう」
ネタバレにならない範囲内で言うなら、『ディア・ドクター』は医師免許を持っていない人間(笑福亭鶴瓶)が医者になりすますうち、「おらが村の救世主のお医者さん」として祭り上げられる、というストーリー。そして『ゆれる』は、一人の女性が転落死(正直、これが殺人なのか事故なのかは、私には最後まではっきりしませんでした。でも、それがいい)したことをきっかけに、田舎に残った長男(香川照之)と、東京でカメラマンをしている弟(オダギリジョー)の相克が表面化していく、というストーリーです。
このストーリーが、「登場人物の誰に感情移入するか」で、まったく色合いが変わっていってしまうわけです。だから、見る方それぞれで、映画が放つニュアンスがまったく変わってしまう。そんなプリズム的な作品といえるかも。ま、そのプリズムの中に「きれいな色」はほとんどありませんが。でも、だからこそ好きなんですよねえ…。
このふたつの作品で、私が誰にいちばん感情移入してしまったかといえば、『ゆれる』の香川照之かもしれません。私は田舎に生まれた長男で、しかし東京で仕事を続けている身です。香川照之の立場もオダジョーの立場も、どちらも知っているのですが、やはり「田舎とのつながりを無理くり断ち切って出てきた長子」として、恐ろしさの度合いは「田舎に残った長男」のほうがはるかに大きいわけです。
てか、もう香川照之が上手すぎて! 洗濯物たたんでる後ろ姿なんて、思わず「気持ち悪い!」って叫んじゃったもの。田舎に縛り付けられている鬱屈と、そんな自分自身を必死で見ないようにしている切迫感がもうあふれ出る寸前になっている。その鬱屈と切迫感がグッチャグチャにからみあっている様を、「色の合っていないダボダボ&ヨレヨレのパジャマ姿で、洗濯物をたたむ」という演技だけで醸し出している。いやあ凄かった。何気ないシーンのはずなのに、鳥肌たっちゃったわ。
この「気持ち悪さ」は、「アタシ、もしかしたら、こういう人生を歩んでいたかもしれないんだよねえ」という、「私の立ち位置」があったからこそ見えていたものだということも知っています。見る人によっては、違うシーンのほうがはるかに「刺さる」ということも当然知っている。でも、こうした「見る人によって形がまったく変わってしまう」作品が、私はやはり好き。それをおおいに再確認できた、有意義な週末でした。
『ディア・ドクター』は、なんといっても、ニセ医者と行動を共にしていた看護師を演じた余貴美子ね…。べらぼうに上手い。はあ、これからしばらくは、余貴美子の出演作をいろいろ見返してみましょうかしら…。