夏休みに上海へいってきた。高層ビルが立ち並ぶSF的な風景がすぐさま浮かぶ中国の大都市上海。上海へ行こう、と思い立った時にはそんなイメージでしかなかったが、旅券手配後から読みあさりはじめたいくつかの上海本の影響で旅行の目的が変わっていった。
林京子さんの「上海」、堀田善衛さんの「上海にて」、そして旅立つ前日に観た亀井文夫監督の記録映画「上海 支那事変後方記録」によって、頭の中は1930~40年代日本が侵略した上海、そして戦禍で大壊滅していった上海で膨れてしまった。林さんの著書に綴られる虹口の日本人街、堀田さんの著書に綴られる混沌と緊迫の1945年の上海、亀井監督の映像でまざまざと見せつけられた破壊された街上海が、いまどうなっているのか。数十年前まで植民地であった上海の共同租界区、日本人街、フランス租界区、ユダヤ難民隔離区をとにかく歩きまわった。
黄浦江にそって高層ビルが立ち並ぶ外灘を、ブロードウェイマンションを眺めながら歩きガーデンブリッジを渡る。この先には昭和16,7年ごろ林京子さんが少女時代を過ごした日本人街があった。いまや東京をはじめ世界の大都市とかわらぬ現代的なビル群の狭間に、開発から取り残されたような古いアパートが並び、ひなびた店の軒先では上半身裸で昼寝をしているおっちゃんたち、生活していくエネルギーが漲るおばちゃんたちの会話が飛び交う。上海の熱い日差しのあいまにぱらぱらと落ちてくる雨の滴などをまったく気にもとめず外に干しっぱなしの洗濯された衣服。まるで東南アジアの街をあるいているような地区が数々ある。そんな街に引きつけられるようにひたすら歩いた。
通りをベンツやWWといった外車が走り、しゃれたレストランやバーがところどころにある旧フランス租界だった場所は、街の風景ががらりと変わる。人種もさまざまな外国人もよくみかける。そんな界隈を歩いていると、大通りの角地の店の入り口で寺山修司の本の平積がぱっと目にとまる、見るからに知性と芸術の香り高い書店があった。日本にあるナディッフのような書店。モダンな3階建てのさほど広くはない各フロアには中国、台湾を中心としながらも、各国の文学、哲学、人文、アートの書籍が古典から最先端のものまでちゃんとセレクトされて並んでいる。もちろん全部中国語。そんな書籍に混ざってCDが置かれている棚があった。
全部で100枚ほどの商品のうち7割くらいがU2などの大メジャークラスの洋物ロックとクラシック。充実しているとはいいがたい品ぞろえのなかで数少ない中国ものを探していると、ジャケットを目にした瞬間ひきつけられた1枚に出会った。黒いシャドウに縁どられたどこかかげりのある眼差し。長い黒髪をなびかせギターを手に振りむきざまの、なにかあるオーラを漂わせる女性ミュージシャンのジャケット写真。CDの帯にある独立女歌手。その名は何西。アルバムのタイトルは『公路旅店』。今回の旅行で唯一購入したこのCDを、帰宅してすぐさま聞き惚れた。
何西(フー・シー)は青蔵(チベット)高原出身の大陸シンガーソングライター。『公路旅店』は2012年にリリースされたアルバムであった。1曲目の「公路旅店」から溢れる疾走感は、デビューしたばかりのシェリル・クロウを彷彿とさせる瑞々しさだ。全11曲カッコいいギターの音色と、じっくり耳を傾け聞き入ってしまうバラードが心地よく絡み合う。
民謡とロックを融合したという楽曲「我要去阿里山」。私は阿里山へ行かなければいけないという意がタイトルのこの曲では、歌声にひたむきな情熱がほとばしる。阿里山は台湾嘉義県にある15の山々からなるところ。戦前の日本統治下に日本の国立公園とされた場所であり、さらなる歴史をたどればかつてこの地域にいた原住民であるツォウ族が漢人の入植により弾圧された地域であるという。青蔵高原とも重なるような迫害への屈せざる思いが込められているのだろうか。
エレクトロニカの響きが切なさを募らせる「有一天」。いまここから旅立ちたいと胸を焦がすようなおもいを馳せたロックバラード「遠走高飛」。広大な山々を背景に大陸の地にギター片手に分け入りさすらう独立シンガーソングライター何西に出会えたことはこの夏の大きな上海土産であった。