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闘う女の戦後史

打越さく良2017.07.24

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これぞフェミ本っ
女子プロレス。ビューティ・ペアやクラッシュ・ギャルズしか知らない。そもそも、関心がなかった。フェミニストを自認しながら、女が闘うなんて…偏見を持って遠巻きにしていたかもしれない。「男は…、女は…」というのは固定観念、打ち破れ!自由になろう!と言いながら、「女はおしとやかにあるべし」という思いこみから自由でなかった…。半世紀以上も前に、偏見と闘い、女性も闘う、闘っていい、そして、未だに「受け身で若くて未熟であることが女の魅力」という日本で、成熟した女こそ美しく魅力的であることを示し、熱狂的に指示された女性プロレスラーたちがいた。
『女子プロレスラー小畑千代 闘う女の戦後史』(岩波書店) は、今まで女性史がクローズアップしてはこなかったことが不思議なくらいの、女たちの生き様・闘い様を取り上げた、ずばりフェミズムの本だ。
 選手として活躍しても、経営陣は男性。一見かっこよくても、男に搾取されてきたといえるのでは。確かにそんな女性プロレスラーもいた。しかし、団体に所属せず、自分たちで興行師と交渉して各地で試合をした女性たちもいた。それが、本著の主人公である小畑千代、さらにもうひとりの主人公ともいる佐倉輝美だ。

誇り高く闘う女たちへのリスペクト
小畑や佐倉は、女性プロレスにエロやグロを期待するまなざしに媚びない、媚びないどころか徹底して抗議した。場外乱闘に持ち込んで、相手を下品なヤジを飛ばす客の方へ飛ばし、客をぱーんと殴る、といった「ミステイク」もした。カメラのアングルが少しでもエロを強調していたら、みっちり抗議した。彼女たちのプロレスが知られるうちに、お門違いのヤジもなくなっていき、動員もしり上がりに増えていったとか。
華やかで派手な大技を次々に、という試合展開ではなく、オーソドックスで堅実な技を決めていく。序破急や起承転結、流れも大事にする。「お能でも狂言でも山があって平があって、最後にだだっと盛り上げるのと同じ」(佐倉)。
エロではなく、技で魅了する。半世紀も前に、誇り高くかっこいい女たちが観客たちにリスペクトされるようになったことが、嬉しい。

自分の頭で考え行動するようになった女たちの時代
女子プロレスの歴史だけではなく、同時代を生きた女性たちの現代史も浮かび上がらせる。少女だった小畑が東京大空襲と前橋大空襲と前橋大空襲に遭遇し、生き延びる。敗戦後10年目の1955年に小畑はデビュー。終戦からその1955年までの10年は、女性の社会への関わりが本格化していった時代である。1947年に施行された日本国憲法は、13条で個人の尊重、14条で性別等による差別禁止、24条で婚姻が両性の合意のみに基づいて成立することとし、家族に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して規定されなければならないことを規定し、家制度は廃止され、男女平等に沿った法律の改廃がなされた。
1955年には、具体的な女性の行動もあらわれてくる。1954年には第五福竜丸が米国の水爆実験で被曝したことから杉並区の主婦が原水爆禁止の署名を始め、その活動を機に輪が広がり、3,000万筆を超える署名を集めた。1955年の第一回「日本母親大会」には全国か2,000人もの母親たちが集まり、日々の暮らしの困窮から原水爆禁止や世界平和にまで話が及んだという。福島第一原発事故や安保関連法etc.で立ち上がった女たちの運動を想起する。生活の現場から問題意識を持ち立ち上がった女たちの息づかいを感じる。その2年前に参議院東京地方区で市川房枝が立候補、初当選を果たした。
有名無名の女性たちが、自分の頭で考え、行動するようになった時代に、「白い目で見られがちな格闘技をあえて一番になるまでやろう、結婚して普通の主婦になるのはいやだった。自分の体で何でもできる、格闘技だからこそ、大好きだった」と誇り高く闘う女性プロレスラーが誕生したのは、秋山が言うように、偶然ではないだろう。

女たちの連帯
1人1人が努力し鍛錬するプロレスだが、「女はかくあるべし」という枠から外れ、虐げられた女たちだからこその連帯、シスターフッドを随所に感じる。小畑には、男の搾取から後輩の女たちを守ろうとする気合いもある。女子プロレスを経営する男が若い女の尻を追いかけ回すようなところがあることを知っていて、若い選手とわざと部屋を替えた。それを知らない男が夜更け過ぎに「どうだ、元気か」とノックすると、小畑が「何ですか」と開ける。男は「げっ」と言ってそそくさと帰ったといった数々のエピソードに、その気合いを感じる。
独立独歩で折り目正しく生きている姐御肌の小畑に、浅草(小畑らのバーがあった)の母親たちは、「ズベ公」と当時いわれたような娘を気にかけてほしい、と頼んだ。男に貢ぐばかりで、顔色も悪くなっていく女たちにも小畑は声をかけ、お金を握らせもした。そんな女たちを見てきた小畑には、実現はしなかったが、「女の館」をつくるという夢もあった。マンションを建て、不器用で生きるのが下手な女たちの「駆け込み寺」をつくりたい、という夢だ。
かつて女子プロレスラーのしなやかさ、機敏さ、美しさ,華やかさに熱狂した少女であった著者の秋山訓子が、いち早く闘う女の生き方を示してくれた「大人の女」の大先輩への多大なリスペクトと愛をこめて著した本書を読みながら、女子プロレスを知ろうとしなかった私にもその熱狂と感謝が乗り移り胸が熱くなってくる。女子プロレスラーに熱狂したことのある女たちなら尚更だろう。

「引退は、していない」
長く停滞した現在の日本社会の女のアイコンは、AKB48。かわいがられるだけの幼稚な女に異議申立てをした闘う女、小畑らが受け入れられた当時のほうが、バイタリティがあったのではないか。
嘆息しても始まらない。小畑らも直面した、男に比べて安い報酬等の女性差別はまだまだ続く。たとえば、女子プロレスラーではないが、総合格闘技で長らく世界ランキング1位を田持った藤井恵(2013年引退)は、小畑らが苦しんだ時代から30年もの時を経ても、「格下」の男子選手が大きなアリーナで試合を組んでいることに葛藤があった。
格闘技だけではない。2012年ロンドン五輪では、男子サッカーチームはビジネスクラスで往復したが、W杯優勝の実績があったなでしこジャパンは行きはエコノミークラスだった(銀メダルを取った帰りはビジネスへ)。葛藤する。呪う。でも、結果を残そう。変化もついてくるはず。小畑らや藤井など、負のプレッシャーを正のエネルギーに転換する前向きでパワフルな先達に、後の世代の女たちも励まされる。
いやいや「先達」などといったら、小畑には不本意か。今年81歳になる小畑は、「引退は、していない」のだから。まだまだ現役だ。ならば、数十年若い私も、いつまでも解消されない性差別や不平等を前にへこたれていられない。闘わなければ。

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打越さく良

打越さく良(うちこし・さくら)

弁護士・第二東京弁護士会所属・日弁連両性の平等委員会委員日弁連家事法制委員会委

得意分野は離婚、DV、親子など家族の問題、セクシュアルハラスメント、少年事件、子どもの虐待など、女性、子どもの人権にかかわる分野。DV等の被害を受け苦しんできた方たちの痛みに共感しつつ、前向きな一歩を踏み出せるようにお役に立ちたい!と熱い。
趣味は、読書、ヨガ、食べ歩き。嵐では櫻井君担当と言いながら、にのと大野くんもいいと悩み……今はにの担当とカミングアウト(笑)。

著書 「Q&A DV事件の実務 相談から保護命令・離婚事件まで」日本加除出版、「よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて」共著 朝陽会、「今こそ変えよう!家族法~婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える」共著 日本加除出版

さかきばら法律事務所 http://sakakibara-law.com/index.html 
GALGender and Law(GAL) http://genderlaw.jp/index.html 
WAN(http://wan.or.jp/)で「離婚ガイド」連載中。

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