昨年12月、明治大学にて「声の氾濫」というイベントがあった。出演は菅啓次郎+内田輝、PONTA(温又柔+小島ケイタニーラブ+伊藤豊)、木村友佑+岡田修、姜信子+渡部八太夫、中村和恵。作家たちの自作の朗読がミュージシャンたちの奏でる音と交わるコラボレーション。言葉と音楽が同一線上の声となり、記憶の奥に収められていた言葉が声となり立ち現れるすばらしいイベントだった。
木村友佑は自著『イサの氾濫』をこみ上げる声を発して読む。
「こったらに震災ど原発で痛めつけられでよ。家は追んだされるし、風評被害だべ。『風評』つっても、実際に土も海も汚染されたわげだがら、余計厄介なんだともな。そったら被害こうむって、まっと苦しさを訴えだり、なぁしておらんどがこったら思いすんだって暴れてもいいのさ、東北人づのぁ、すぐにそれがでぎねぇのよ。…(略)東北人は、無言の民せ。蝦夷征伐で負げで、ヤマトの植民地さなって。もどもど米づくりさ適さねぇ土地なのさ、稲作ば主体どずる西の社会と同じように、米、ムリクリつぐるごどになって。そのせいで人は大勢飢え死にするし、いづまでたっても貧しさに苦しめられでな。はじめで東北全域が手ぇ結んで、薩長の維新政府軍ど戦った戊辰戦争でも負げで。つまり、西さ負げつづげで。どこのだれが言いだしたんだが、「白河以北、一山百文」なんて言葉で小馬鹿にされで、暗くて寒くて貧しいど思われながら、自分だぢもそう思いながら、黙々と暮らしてきたべ。…したんども、ハァ、その重い口ば開いでもいいんでねぇが。叫んでもいいんでねぇか。」(木村友佑著『イサの氾濫』より)
八戸出身の作家が綴るこの言葉の氾濫に、東京人の私は自身の底に沈みこんでしまった居心地の悪いもやもや、理不尽な生きづらさに対し、怒ってもいいんでねぇか、もっとこの憤りを声に出してもいいんでねぇがとふつふつと血が騒ぎはじめた。イベントの帰りに本屋で『イサの氾濫』を買い何度もこのくだりを噛みしめた。
歌手・白崎映美は、この『イサの氾濫』に呼応し、「東北6県ろ~るショー‼」というバンドを結成した。『イサの氾濫』に触発され「まづろわぬ民」という曲が生まれた。天皇こそ絶対だという物語に沿い未開の国を征服しようとした朝廷に抵抗しつづけた蝦夷。都の人々はこの蝦夷を「まづろわぬ人」とよんだという。『イサ氾濫』のあらぶるおじイサの魂が、白崎映美に憑依したようなバンド結成時の彼女のエピソード。山形県酒田出身の白崎映美が文芸誌掲載時の『イサの氾濫』を読んで居ても立っても居られなくなったという魂の鼓動が東北6県ろ~るショーの音楽、そして彼女の初エッセイ『鬼うたい』からあふれんばかりに伝わってくる。
とにかくライブが見たい!昨年末、代官山のライブハウスで行われた「東北6県ろ~るショー‼」大忘年会ライブに熱い思いをたぎらせて足を運んだ。会場で芋煮さたらふく食べで、日本酒さ飲んで、準備万端、歌うど、踊るど、叫ぶど、さぁどんとこい!トントントコトン、トントントコトン、ひゅーーひゅーー、トントコトン、よぉ~、うぉ~、おぉ~、暗くなった場内にお囃子のような音色とうねるような声が響く。パッと照らされた舞台と同時にズンドコズンドコ「タマシズメタマオコシ」。東北のあらぶる鼓動がロックとファンクに彩られてその宴ははじまった。ハレなのだ。おばちゃん、おっちゃん、子どもも若いもんもみんなで踊る、歌う、声をあげるハレの祝宴。
なまはげを模した舞台衣装で歌いながら観客をじっと見据える白崎映美の眼差しの力。白崎映美のうたの氾濫は歌舞で民衆をたのしませ酔わせハレのひとときに導く芸であり抵抗だ。その直球の歌声は、声にならない言葉を持った者たちがその言葉にならない声をあげる宴の場をつくり上げる。一転しっとりと宴のひとときをやわらげるバラード「月夜のらくだはないてるだろうか」は、東北も東京も世界の果ての砂漠をも夜空は無限にひろがり美しいのだという浪漫で満ち溢れる。
山漕ぎ野漕いで 自由に生きる
オラ方の先祖は まづろわぬ民だ
そごを越えでゆげ 越えで越えで越えで
苦難越えでゆげ 越えで越えで越えで・・・
「まづろわぬ民」の越えでいくは生きる道。坂、丘、山、それぞれののぼる道のりを「越えで」いくまづろわぬ民の背中をやさしく力づよく押してくれる。
白崎映美は『イサの氾濫』にであってなければ東北人のコンプレックスはいわれのない生来のメンタリティでなく、ちゃんと根拠があるのだということに向き合えなかったかもしれない、という。方言がその土地の生きて暮らす人々の胸の奥に押し込まれた沈黙の声を解き放つ。『イサの氾濫』、そして『まづろわぬ民』の東北の生きたあらぶる声をかみしめて、標準語しかしゃべることのできぬ自らを問いなおす。言葉にならない自分の声を探しはじめる。
「あの震災と原発事故で、東京を支えるためにあるかのような東北の、そして地方の隷属的な姿が露呈したはずだった。それをまた、東京でオリンピック。今も生活の再建ができない人たちが何万人もいるというのに、どうすればそんなお祭り騒ぎに関心が向けられるのか。しかもあいつらは、その誘致のために震災の悲惨まで利用した。」(木村友佑著『イサの氾濫』より)
東日本大震災から6年が経った。岩手県、宮城県、福島県でいまもなお仮設入居世帯が3万3748世帯あるという。(2017/2/27河北新報)
「夢は福島の仮設住宅の前から中継で紅白歌合戦に出ることです」(2016/12/3東京新聞)と語った白崎映美の声は、NHKにも届いていただろう。いいこと来い、東北のじっちゃん、ばっちゃんのために、とうたいつづけるまづろわぬ歌手・白崎映美の歌声は寒さで身も心も凍てつくじっちゃん、ばっちゃんたちの心を温く包んでくれるにちがいない。