未来(さき)はどこへ続くのだろう、って歌いながら、一昨年の春以降、実質わたしたちの前から消えた東方神起。いくら今現在のユノやチャンミンの姿をたまに見ることはあっても、それは、チョン・ユンホと、シム・チャンミンという個人としてのふたり。そんな中、毎日、確実に時は経っていて、ユノとチャンミンも、わたしたちも、その東方神起のいない時間をたしかに過ごしてきた。そして、今年は、彼らが、兵役から戻ってくる。
軍隊に行ってからのユノやチャンミンは、なぜか、やけにかわいらしい表情を見せてることが多い。東方神起というお仕事をしていない彼らは、今は一般の社会人でもなく、軍隊や義務警察に属し、決められた義務を果たすという立場。さすがに訓練をしている姿を見ることはできないわけだけど、軍隊の仲間といる姿や、ここ最近のプライベートな写真を見ると、どれもそんな、あまり今までなじみのなかった感じの顔をしてると感じる。置かれた状況はきびしいのに、険しい、暗い表情になるのではなくて、なんで子どもみたいな雰囲気になるんだろうって不思議に思う。
ほんとのところ、彼らはどんな思いで、お勤めをしているんだろう。ユノは、すごい前向きに、軍隊という場で何が得られるのか、なんてことを、模範的な芸能人の軍人として、インタビューで語っていて、どこでも真剣で、まじめで、一生懸命にがんばっていて、頭の下がる思いがするけれど。
わたしは勝手に、ユノは軍隊にいて、心は泣いているんだって思ってる。勝手に。彼の心のどっかはきっといつも泣いてる。あのとても切なげなバラードを、軍服を着て歌うユノを見てると、余計にどうしてもそう思えて、ユノが泣いてる夢まで見てしまったりした。
ユノの魅力は、人のさまざまな面を見せてくれるところ。すごくかっこよくて、力強い、いわゆる、男らしい、ところ、それから、女性のようなやわらかくて繊細なところ、子どものようにものすごく純粋で、ときに、わけわからないくらいに天真爛漫なところ、などなど。それが今、軍隊という場にあって、彼の中の男性的なところばかりを、むりやり、常に前面に出して日々を過ごさなくちゃならないであろう、そんな環境にいて、だから彼の中にある子どものような純粋な部分は悲鳴をあげているんじゃないかとか思ってしまう。
あたまのどっかでは、みんな、こんなのおかしいんだって、きっと思ってるはず。それをいろんな理屈が説明して正当化して、それを受け入れないとならない。おかしいことをおかしいと深く考えてはならない環境に身も心も置かれるのが軍隊。チャンミンは以前、きらいなものは戦争とおばけとゴキブリなんて言っていたけど、戦争はきらいってはっきり口にする彼が、軍事訓練なんかに自分の体力や時間を、心をも捧げさせられ、どれだけくやしく苦しい、引き裂かれるような思いをしただろうか。21ヶ月もの時間と、自分の身体も精神をも、強制的に国に捧げ、そんな風に、自分の本当の心を犠牲にして過ごさなくちゃいけないなんて、ほんとうに過酷な義務だ。
そういう思いをして戻ってくる彼らはどうなっているだろうか。彼らは彼らに変わりないけど、この時間の経過の中で、少なくとも、たしかに歳をとり、身体や外見も多少は変化し、その上、そんなきびしい経験に耐え、彼らの中の何かは確実に変わっているにちがいない。そして、彼らは、賢くてつよく、やさしいから、お勤めは立派すぎるくらいに果たしながらも、一方で、軍隊や戦争というものの矛盾や、そんなもので成り立っているっていうこの世界の理不尽さを、いやというほど心に刻んで、まっすぐに考えて、そうやって戻ってくるのだと、わたしはやっぱり勝手にそんな風に思っている。
ほんとはもっと浮かれて年を迎えているはずだったけど、今はまだ、ふたりがまた東方神起として歌い踊る姿をうまく想像できない。すでに約2年のブランクをがまんしてきたわたしたちは、会えるだけでしあわせと思う反面、たぶん、前と同じ、ではなくて、きっとそれ以上を望んでしまっている。でも、不安はあまりなく、期待しか持ってないかも。だって、わたしたちは、「再始動」って言葉には、聞き覚えがある。分裂騒動のあったあと、5人から2人になるっていう大きな壁を乗り越えて、期待をはるかに超える東方神起でわたしたちを魅了してきたふたりだから、今回もわたしたちの期待に応えて、きっと、パワーアップして戻ってくる。不安といえば、チケットは取れるだろうか、そんなことが今から本気で心配。きっと彼らに再会できるまで、あともう少し。ちゃんと彼らにおかえりって言えるように、今年も張りきっていこう。