No Women No Music 第35夜 ソウル発 笑え、ユーモアで!/イ・ラン
2016.12.05
韓国でうまれくらすことにどんな意味があるとお考えですか
ソウル出身のインディーズのシンガーソングライター、イ・ラン(이 랑)のセカンドアルバム『神様ごっこ』(신의 놀이)はタイトル曲でもある「神様ごっこ」のこんな問いかけではじまる。いま韓国で政情が揺れている。大勢の人たちが怒りのデモや集会に参加しているという。「神様ごっこ」は、そんな人々の間で話題になり売れているという。
良い物語があっても創られないということ
良い物語への信念が崩れるときもやってくるものですか
*
中年になっても絶望と挫折の重さは同じですか
*
相変わらず人々は良い物語が現われるのを待っている
*
私は良い物語を通じて
神様ごっこをしようとしているのかもしれない
ギター、ドラム、チェロのシンプルなセッションに響く、すみきったイ・ランの歌声。韻を踏む滑らかで美しいハングルの言葉の心地よさが、身体の隅ずみまで溶け込んでいく。
アルバム『神様ごっこ』にはCDと歌詞がおりこまれたエッセイがセットになっている。
イ・ランの観て感じる日々のこと、生い立ちのようなこと、仕事のこと、そして愛すべき猫と友人たち、恋のことが書きつづられている。自分もいつか死んでしまう、ひりひりとした絶望の淵を楽しく生き延びるために、高校を自主退学し、たくさんの本を読み、自分自身の井戸を掘り、絵を描き、イ・チャンドンにあこがれて美大に入学し、映像を創り、文章を書き、ギターを手に曲を作り歌いはじめたイ・ラン。
はははははははははははは
ひひひひひひひひひひひひ
ほほほほほほほほほほほほ
へへへへへへへへへへへへ
『神様ごっこ』に入っている「笑え、ユーモアに」の歌詞だ。ははは、ひひひ、ブレスを挟んで発せられる一語一語に、言霊として籠っていたエネルギーが音楽となって解き放たれる。イ・ランにとってソウルに居ることが緊張感そのもの、にも関わらずソウルが大好きだという。ソウルには馬鹿げたことが多すぎて「ははは」ではなく「ひひひ」と笑うしかない。この捻りの効いた思考のユーモアが死にたいと思うくらいの抑圧に抗う。
イ・ランはサッカーやスケートにおいての過剰な自国偏重の応援をまったく意味がないという。そのときだけ「日本許さない」「日本倒せ」という周囲の反応へ〈やっぱり植民地だから。・・・それはギャグ〉と返しながらも〈植民地が終わって、そのあと軍隊政治が始まった。今も韓国の文化のどこかに軍隊文化が残っています。映画とか、会社とか、上下関係とかも全部。雑誌の会社とかも軍隊文化ですよ。だから植民地ギャグをつくらなきゃいけない。〉と語っている。(Viceのインタビューより)
植民地であったことが自分たちの世代まで地続きになっていること、そこから強いられる抑圧や混乱や絶望を、イ・ランは悲しみもってじっくりと見つめ考えている。絶望から楽しく生き延びるためのユーモア。ほんの数十年前まで日本の植民地として搾取され、その後の朝鮮戦争での分断、そして軍事政権、そんな歴史を強いられた国の地の底の笑いばなしを探している。イ・ランの植民地ギャグは、かつて植民地主義であった日本に逆照射される。いや、かつてではないのだ。跋扈するヘイトスピーチ、慰安婦問題の不本意な合意、朝鮮学校無償化廃止、諸所の現象でそれは明らかだ。
≪ユーモアは、人生がいかにひどいものであるかということを忘れさせ、人を守ってくれる。しかしあまりに疲れてしまい、ひどい知らせばかりだとユーモアがもはやきかなくなる。≫(「国のない男」カート・ヴォネガット)
イ・ランは先述のインタビューで韓国にいることを辛いと語る。嫌いじゃなくて辛いのと。
ソウルでは韓国のニックネームとして“ヘル朝鮮”というのだという。〈韓国で生まれたのにヘル朝鮮でしょう?だから辛いの。仲良しの友達が自殺したり、移住したり・・・。ヘルなのにK―POPとかアイドル見て楽しんでるし、本当に辛い人たちが、もっと辛くなって自殺する〉と。
韓国ではブラックコメディみたいなことを歌う人たちは、テレビにでられない。もしくは歌詞を変えなくてはならないという。“ファッキン”や“ヘル”は「美しい朝鮮」に変えられるという。大会社資本で30代のシングル女性の話をつくるという企画でもコンドームとセックスはダメ。〈セックスなし、コンドームなし、だったら何の話をするの?〉とイ・ランは憤って語っている。
事実に基づく歴史が自虐史観とされ、右傾化の道を暴走する日本は「美しい日本」というお化けのようなキャッチフレーズが跋扈し、ものすご勢いでヘルな日本になっている。東京にすむことが日々辛くなる。私はヘル日本のあらゆる事象に憤る。毎日ネットや新聞を見るたびに目にするファッキンな出来事に疲弊し思考停止にならないように日本に住む意味を考えることに日々消耗していくエネルギーを厭世の淵から踏みとどまらなくては。イ・ランの植民地ギャグを受け止め、そこからさらなるヘル日本を浮き上がらせるためにも。
11月の日本ツアー中に行われたCDショップでのイ・ランのインストアライブでは演奏の合間、彼女の巧みな日本語でオーディエンスとの心地よい空間につつまれた。きっとたくさんの日本の友人との行き来で身に着けたのだろう。「東京の友人」という歌では、好きになった日本人の男の子との恋路の行き違いがちょっぴりほろ苦く描かれる。人を好きになることが創造することのエネルギーとなるという。
楽しく生きるということは笑ってすごすだけではだけではない。なにかを、創りだすために日々苦しむことも、生きることの楽しみのひとつだとエッセイで語っている。神様ごっこはそんな苦しみの中から生み出されたイ・ランのユーモアであり芸術だ。
アルバム『神様ごっこ』の締めくくり「良い知らせ、悪い知らせ」はカート・ヴォネガットの詞にイ・ランが曲をつけ歌った。
若者よこの地球へようこそ
夏は暑くて、冬は寒いところさ
丸くてじめじめして騒がしいところさ
そこの君 長く生きて100年くらいかな
セックスは安全に いのちを勝手に生み出すな
地球は神様じゃなくて サタンがつくったところさ
信じられないやつは 新聞を買って読め
いつの新聞でも どこの新聞でもいい
わたしはわたしの神様をつくり、良い話を創造することができるだろうか。