第2次安倍政権成立以降に本格化した「歴史戦」
「歴史戦」と称して、日本の右派が「慰安婦」問題をはじめとする、植民地主義や戦争責任を否定する歴史修正修正主義のメッセージを発信する動きが活発になっている。
『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店、2016年)を読めば、第2次安倍政権成立後、現在では、その動きは「一部の右派によるもの」と見くびっていることは到底できない状況にあることがわかる。
国内で「勝利」しても国際社会では拒否され悪循環
能川元一による第一章は、歴史教育に対する歴史修正主義的な攻撃は1997年前後が転機であったという。当時、中学校教科書に「従軍慰安婦」が掲載されることに右派は激しく反発した。ちょどそのころクマラスワミ報告(1996年)、マクドゥーガル報告(98年)が発表され、国際社会が「慰安所」制度を戦時性暴力として認識することとなった。このような動きについて、右派は、「米中韓の新たな対日包囲網」が形成されている、と認識するようになる。背景には、歴史的事実に関する右派のシニシズムがある、の能川は指摘する。たとえば、南京事件について、『諸君!』に掲載された佐藤昌盛防衛大学教授のこのようなフレーズが典型だろう。「(こんな議論をいつまでやっても仕方がない。)虐殺があったのか、なかったのかは、誰も100%証明できない。これは論証の問題というよりは、説得力の問題だ。声が大きい方が勝つ。」「政治ゲームでは支持者の数が物を言い、そのためには論証において怪しくとも、熱心、かつ声高に、さらには確信的に自説を唱えるのが有効である。中国はそれをやってきた。」政府が調査したこともないにもかかわらず、「誰も100%証明できない」と断じた上で、「声が大きい方が勝つ」と…。「歴史戦」とは「歴史学」とは関係なく、「戦」に比重がかかっているということか。
能川は、安倍と右派論壇との密接な関係をデータをもって明らかにする。具体的には、2000年2月号から12年10月号までの間に、ポスト小泉の自民党総裁経験者である福田康夫や麻生太郎、谷垣禎一、そして安倍の、雑誌『正論』や『諸君!』(後に『WiLL』)での登場回数を比較する。その間、安倍は『正論』に20回、『諸君!』『WiLL』に17回登場。これに対し、福田は全くなし、麻生は『諸君!』に、谷垣は『正論』に、それぞれ1回の登場のみ。安倍は、07年の首相退任から2度目の党総裁就任までの期間も、『正論』に11回、『諸君!』『WiLL』に10回も登場。安倍は右派論壇から待望された総理大臣なのだ。
能川は、右派論壇の「歴史戦」言説の特徴をまとめてくれる。それはまず、「圧倒的な物量作戦」。まさに「声が大きい方が勝つ」を実践している。通常、アカデミズムやジャーナリズムは、「新規性」という価値に拘束され、同じ内容の繰り返しは忌避される。しかし、「歴史戦」の観点からは、新規性に価値を置かない。そのため、右派メディアとそれらのメディアとの間に情報発信量の著しい非対称性が生じてしまい、市民は否認論にならされてしまっている、という。確かに…。かなりリベラルと信頼する友人たちからも、「慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?」と言われてびっくりすることも多い。「声が大きい」戦略の威力は侮れない。
さらに、右派の「被害者意識」も特徴的である。「歴史戦」を何者かの「謀略」により「仕掛けられた」ものである、と考える。この被害者意識は、韓国、中国という「敵」や「反日」「内応者」(朝日新聞など)への攻撃的な態度を助長する。また、「歴史戦」が守ろうとしているのは「民族の名誉」であり、それが反転して、中国人について「嘘も百遍が彼らの文化ですから」(藤岡信勝氏)といった歴史修正主義におけるクリーシェに端的にあらわれているレイシズムとつながる。
右派論壇は「慰安婦」問題、南京事件については国内で「勝利」したと確信している。それは、彼らにとっていらだちの原因となっている、と能川は指摘する。勝利しているにもかかわらず、国際社会から日本に対する非難や抗議がやまない。それは、日本政府の発信が足りないのだ、と彼らは考え、政府になお毅然として声を上げよと迫る。実際には彼らの主張それ自体が拒否されているのだが。するとまた「まだ声が足りない」と…。悪循環は止みそうにない。
アメリカを舞台にした「慰安婦」碑をめぐる争い
第2章の小山エミは、カリフォルニア州グレンデール市とサンフランシスコ市での「慰安婦」碑建設をめぐる係争と、日系アメリカ人コミュニティへの影響や日本政府の役割を論じる。10代のころから20年以上もアメリカに住む小山は、在米日本人のごく一部が展開した、グレンデール市の「慰安婦」碑の設置をめぐる反対運動を契機に、「慰安婦」問題にかかわるようになる。運動をしていたのは日系アメリカ人ではなかったが、「日系人が反対運動を起こした」と報じられた。日系アメリカ人にとって、米国籍であっても、「大日本帝国及び日本軍の手先であり、信用に足らない」という人種的偏見により収容所に拘束されたことは、「恥」であり、それから何十年たった今でも、アメリカへの忠誠心を疑われることが、歴史的トラウマになっている。あとからやってきた保守系日本人が、そのような事情を理解せずに、「日系人」を代表するふりをして、大日本帝国を擁護する運動を始めたことに、日系人たちは反発し、碑の設置を求める韓国系アメリカ人団体との連帯を表明するなどした。
グレンデール市の「慰安婦」碑について報じる日本の保守系メディアや政治家は、同市において日系人や日本人の子どもに対するいじめやヘイトクライムが頻発していると主張するが、根拠がない。たとえば、杉田水脈をはじめとする次世代の党(当時)の国会議員3名が同市を訪れ、被害を受けた子どもの保護者との面談を希望したが、結局見つからず、面談ができなかった。また、グレンデール市を訴えた裁判において、原告側は、実害として「公園を心情的に利用しにくくなった」程度のことしか主張しておらず、いじめやヘイトクライムについては主張していないという。
州裁判所は、何の正当性もないというだけではなく、自由な言論を封殺する恫喝訴訟だと認定し、原告に被告市への裁判費用の弁償を命じた。
裁判闘争と並行して、保守派は、アメリカ各地で「慰安婦」否定論を主張するイベントを開いている。杉田のほか、日本会議につながりをもつ高橋史朗、新しい教科書をつくる会の藤岡信勝らが頻繁に登壇し、会場予約などは、幸福の科学サンフランシスコ支局長らが行っているという。こうした集会のほとんどは日本語で開催されるので、日系人を含め一般のアメリカ人にはほとんど知られていなかったが、14年末より認識され、様々なアジア人やアジア系アメリカ人のグループ、反戦団体、女性団体などが連携して「慰安婦」否定論者への抗議運動を展開するようになっている。
外務省や大使館、総領事館などを通して、日本政府の様々な働きかけも、反発を招いている。たとえば、アメリカで使用されている世界史の教科書の内容について、日本政府が「慰安婦」に関する記述の削除や書き換えを著者や出版社に迫った件である。このような圧力に危機感を抱いた米国の日本史専門家ら20名の歴史学者たちが、「日本の歴史研究者に連帯する声明」を発表し、次いで安倍首相の米国訪問後、追加署名分を含めると457名の日本研究者による第2の声明を発表した。これらの声明は、日本政府による歴史研究への介入を非難し、「慰安婦」問題の史実に向き合うことを要求するものであった。
しかし、なおも、日本政府や保守系日本人による米国や国連を「主戦場」とした「歴史戦」の発信は活発であり、反発を招いている。
自己破壊的な発信
テッサ・モーリス=スズキによる第三章は、15年にケニアの首都ナイロビで、大英帝国植民地行政政庁によって収監され拷問を受け、あるいは殺された者たちの遺族と関係者、一般市民が、見守る除幕式から始まる。ケニア独立闘争で鎮圧された被害者とその遺族が起こした訴訟で、被告たる英国政府が痛切な悔恨(profund request)の表明と300億円強の被害者救済基金の説明を含む合意がなされた。それを受けての銅像の除幕式である。植民地主義が残した有形の傷跡と無形の記憶は、世界的な広がりを持つ。
ところが、2015年の安倍首相による「戦後70年談話」は、「日本近現代史にかかわる基本的部分についての、誤った解釈に基づいて作成されたものだった」とスズキは述べる。例えば、70年談話は、中国侵略への説明として、欧米列強による日本への経済封鎖を上げたが、それは日本の中国侵略への対抗・制裁措置であり、その原因ではなかった。そのように基本的部分で誤りに基づいていたにもかかわらず、談話中の、戦後生まれの世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはならないという部分に、日本の世論は意的だった。
若い世代は、先行世代の悪行の数々に直接的な責任を負わない。しかし、その悪行の数々を隠蔽し風化し書き換えるプロセスに関与する、あるいは黙認するのであれば、そこに責任が生じるのではないか。とスズキは言う。世界的に高く評価された「河野談話」は、「慰安婦」に関わる国家の直接的・間接的な関与を公的に認めたもので画期的であったし、だからこそ、右派に激しい攻撃にさらされた。
日本軍占領下のインドネシアで、慰安所に強制連行され悲惨な性労働を強いられたヨーロッパ系女性たちの「スマラン事件」について、オランダ議会調査報告書がある。1994年、日本政府とオランダ政府は、日本軍によって強制的に性奴隷とされたオランダ人被害者たちへの「償い」プロジェクトで合意した。ところが、2014年、菅官房長官を通し日本政府は、強制連行はなかった、と主張し、現在に至るも、性奴隷は存在しなかった、とする。しかし、移動と選択の自由が著しく制限された状況で性労働に従事させられるものを世界基準では「性奴隷」というのであり、日本政府の言い分は奇妙である。
また2015年10月、スズキのもとに猪口邦子から、「戦前のプロパガンダそのままのような」主張を展開する本、そして、「河野談話」を否定して嘲笑する本が送られた。これらが、狂信的右翼団体によって海外に配布されたのであれば、どこの国にもいる「恥さらし」の活動としてそれほどは驚かなかったろうが、著名な国際政治学者であり、政府与党の有力メンバーによる発信なのだ。猪口だけではなく、第三次安倍改造内閣の首相補佐官などは、訪米に際し、同じ2冊の本を米議会関係者に手渡しで配り、失笑を買った。この歴史修正主義キャンペーンと、「痛惜の念」と「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続け」ることを国際社会に約束した「70年談話」の文言は明らかに反する。スズキは、こうした動きを、「悲劇的かつ自己破壊的な「歴史戦」を戦うこと」である、2015年度に日本政府は広報外交予算を500億円増やしたが、このような「歴史戦」の戦費として使うのであれば、国際社会における日本の立場を著しく損なうことになろう、と指摘する。
「歴史とは、負の遺産を抹殺し、正の遺産だけを相続できる種類のものではない」。2016年3月、アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所で看守任務に就いていたナチス親衛隊員が迫害及び大量虐殺にかかわる裁判の審理を受けている。過去の不正義を是正する試みを怠らないドイツ司法当局の立場が、「ドイツを貶める」行為であるはずがない。
草の根の右派の運動と政府が絡んだ展開
山口智美による第4章は、歴史修正主義と右派の流れを1990年代から概観する。第1に、日本会議などの主流の保守運動から、在特会などの排外主義運動に至るまで、15年末の日韓合意までは、「慰安婦」に関しては共通の立場でつながって関わってきた。そして、その動きに安倍首相らが積極的に関わってきた。第2に、「主戦場」はアメリカや国連と目され、在米日本人や日本政府が絡んだ動きが活発化している。
選択的夫婦別姓の実現など家族法の差別的規定の改正を目指して運動してきた私としては、右派団体の国際部隊への進出の走りになったのが、07年に日本会議首都圏地方議員懇談会のメンバーらを中心として設立されたNPO法人「家族の絆を守る会FAVS」であるとことに興味をひかれた。FAVSの事務局は日本会議に置かれ、日本会議での発信や活動からすると、中心は選択的夫婦別姓や男女共同参画への反対でも中心的な役割を果たしてきた岡本明子であろうという。
歴史教科書に対する日本政府からの不当な介入を批判した二つの声明の中心となった学者らには、日本からと思われる嫌がらせや脅迫が届くなどの事例も起きている。日本在住の外国特派員が、「売国奴」「この国から去れ」と言ったネット上の攻撃を受けることもあるという。このような「対外発信」で日本に理解のある報道がなされるわけがない。
「日韓合意」後、右派の立場は分裂しているが、日本政府も右派も「慰安婦」問題をめぐる「歴史戦」を終わらせるようには見えないと言う。憂鬱である。
歴史修正主義に呑み込まれてしまいそうな危機にどう抗するか。多くの人に読んで、考えてほしい。そう願いながら、読了後、忙しさに紛れてレビューを書きそびれていた。その間に各紙でレビューが出揃うだろう、これほど重要な意義のある論稿が揃っているのだから。そう思って待っていても、全国紙はいずれもこの本を無視しているようだ。右派の「国内では完勝」という認識は正確であることを示唆する事態なのか。
愕然としていても仕方がない。安倍首相も「全体として継承する」と明言した「河野談話」からの引用で締めくくろう。
「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」。