前回のコラムからかなり間が空いてしまって申し訳ありませんでした。病気してからこっち、単なる夏風邪でも相当長い期間引きずるようになってしまって…。
ようやく外に出られるようになって、まずはラブピースクラブさんへ。ラブピースクラブさんで販売してくださっている『恋愛がらみ。』(小学館)のサイン本にオーダーが入ったそうで、その方のお名前とメッセージを入れに行ったの。長らくお待たせしてしまった本当に申し訳なかったわ…。
その後はお茶を出していただいて、しばしのおしゃべり。いくつかの話題の中でいちばん盛り上がったのは「ガラスの仮面の50巻はいつ出るのか」ということ。「ホント、あたくしったらいつまでたっても高尚なことに乗り出せないものね」と愕然といたします。ただ、言い訳にもなりませんが、あたくしもガンになってしまいましたでしょ、いままでみたいに「ま、いつか最終話が読めるでしょう」なんて悠長に構えている場合じゃなくなっちゃったんですよ。まあ、ガンを告知されて1年になり、いまのところ治療もうまくいっている(と思う)のですが、それでもやはりね。
『ガラスの仮面』の連載が始まったのは1976年のことだそう。実に40年以上にわたって、日本の漫画界で燦然と輝き続けている傑作中の傑作ね。これだけ長い間連載が続いているということは、当然、読んでいるあたくしも大人になっていくわけで、折々で読み返していくうちに、さまざまな「変化」が自分の中に訪れています。
たとえば主人公の北島マヤ。若かったころは、「厳しい境遇にもめげず、夢に向かって突き進む」というキャラ設定をそのまま受け取って読んでいたものですが、ここ10年ほどは、「実は他者の気持ちにかなり鈍感」「天才ならではの『非凡エピソード』を、上から目線ならともかく下からブッ込んでくるがゆえ、相手はイラつくこともできずに打ちのめされる」という部分にクローズアップして読むようになっています。
そりゃまあ、これは「あたくしの性格が悪いから」という理由ゆえの読み方であるのは百も承知ですよ。それでも、『ガラスの仮面』の「ふたりの王女」のエピソードにて、「生まれて初めて、私は舞台上で役の人間になりきれた。身も心もオリゲルトになれたの…」と、心ゆくまで喜びに浸っている姫川亜弓に対して、
「あたしわからない。どうして亜弓さん(ほどの人←高山注釈)がそんなことを言うのか…。だってあたし、いつもそうだもの。舞台の上では別の人になっちゃうものだと思ってた。(あたし程度の人間でもそうだから、誰でもそうだと思ってたけど、←高山注釈)ほかの人は違うのかしら?」
と、あくまでも下から下から、スゴいモンをブッ込んでくるマヤの姿には戦慄するばかりです。
冷や水ってのは、たいてい頭から、あるいは顔に向かってかけられるもの。つまり攻撃は上から、あるいは水平からくるものと相場は決まっているわけです。そこに炸裂した、マヤによる冷や水のアッパーカット。どこまでもオリジナリティあふれる攻撃です。姫川亜弓が防御の姿勢をとれなかったとて、それを責めることは誰にもできないでしょう。マヤ、恐ろしい子…!
大人になるとわかるのよ、「あたしなんか…」という言葉を多用する人は、十中八九、厄介だということを…。
そして、若かったころといまとでは、月影千草に対する「好き」の意味合いが大いに変わってきていることも記しておかねばなりません。自分が病気になったせいもあるのでしょうが、月影千草は、現在あたくしが「非・実在人物」のカテゴリーでもっとも目標にしたいオンナです。
だって皆様、千草ったらいままで450回くらい(カウントは適当)は「ウッ!」とか言って苦しんでるわ、大量吐血と心停止まで経験してるわ、そんな盛りだくさんの経験をしつつも40年余り持ちこたえて、自分の仕事にまい進しているんですのよ。このしぶとさ、素晴らしい…。
そんな千草の元には、源造という側仕えの者がおりまして、1976年からずっとひとりで、千草の身の周りの面倒一切を取り仕切っています。ただひたすらに無償の愛を千草に捧げ続ける源造。千草も源造の想いを十二分にわかっているはずです(千草はさすがにマヤのように「他者の気持ちに鈍感」なタイプではありません)。
なのに千草、連載開始からいままで、ずっと源造に対してやらずぼったくりを貫いているのです。なんという強靭なメンタル!
自分の身に置き換えて考えてみますと、身の周り一切を取り仕切ってくれて、しかも病を得ている自分に無償の愛を注いでくれる人間がいたら、あたくし40年どころか最初の2~3年の間に1回くらいは情にほだされる自信ありありです。で、1回が3回になり、10回になり…。はっきり見えるわ、そんな自分が。
年を重ねれば重ねるほど、さらに年を重ねている人間の凄みが理解できるようになる…。若い頃からジャンヌ・モローをアイドルにしているあたくしではありますが、若いころには分からなかった、気づかなかった凄みを、もしかしたらこれからもいろいろと感じ取れるようになるかもしれない。あたくしにとっては、そのことが何よりも嬉しいギフトです。そのギフトに対して、まだまだ欲張りでいるために、千草のしぶとさを見習って、向こう40年は頑張ってサバイブしてみましょうかしらね。うふふ。
追記
8月17日発売の『小説すばる』(集英社)9月号から、エッセイの連載が始まります。集英社には『すばる』『小説すばる』という2種類の文芸誌があるのですが、『小説すばる』のほうになります。たぶん期間限定ではあるのでしょうが、お声をかけていただいた以上、私なりに新しい挑戦をしたいと思っております。よかったらご一読ください。