No Women No Music 第31夜「I’ll Save My Soul Save Myself/トレイシー・チャップマン」
2016.08.01
真っ白な背景にモノトーンで写しだされたアコースティック・ギターを持つトレイシー・チャップマンTracy Chapman。この人のまっすぐに貫かれた音楽スタイル、そしてこれまでの道のりを浮き立たせるようなジャケットにまずは心奪われる。「トレイシー・チャップマン/グレイテスト・ヒッツ」(2015年リリース)は、2008年のアルバム“OUR BRIGHT FUTURE”以来7年振りのアルバムである。ベスト盤なので正規のニューアルバムではないけれど、心の片隅に彼女の新たなる声が届くのを待ち望んでいた私はうれしい限り。それは、このアルバムが単なるベストセレクションではなく、トレイシー・チャップマン自身がこれまでの8枚のアルバムから選曲し、なおかつ年代順に追っていくのではなく、彼女自身がライブで歌うときのような曲順で編集したのだという。約77分全18曲、じっくり聞き終えるや彼女のコンサートへいったかのような充実感を味わうことが出来る。
1964年アメリカ合衆国オハイオ州生まれのアフリカン・アメリカン。1988年、アルバム『トレイシー・チャップマン』でデビュー。そのなかからのファーストシングル「ファースト・カー」Fast Carがまたたく間にヒットチャートを駆けのぼり一躍‘時の人’となったことは、いまでも鮮明に覚えている。働かずに酒に溺れる父親、そんな男に愛想をつかす母親の下で学校を辞めた少女が絶望のなかに見出すファースト・カーでの逃避行。まったくシンプルなこのアコースティックなフォーク・ソングが大ヒットした背景にはなにがあったのだろう。
1988年、アメリカの大統領はロナルド・レーガン。8月にはイラン・イラク戦争が停戦になった年である。トレイシー・チャップマンの一貫したオーソドックスなアメリカン・フォークロックは、白人のアメリカ音楽のスタイルだ。ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウンといったアメリカを代表するようなアーティストの系譜。黒人ミュージシャンでこの伝統的なアメリカン・フォーク音楽というスタイルをもってメジャー・デビューしたことが、少なからず鮮烈な出来事だったのではないだろうか。アフリカにルーツを持つソロ・アーティストには、ブルースやソウル、またはエスニックなアフリカン・リズムを醸し出すことを求められそうな音楽業界において、素朴なアコースティック、そこに抑制の効いたキーボードとパーカッションが彩りをつけたアメリカン・フォークのスタイルを変わることなく生み出してきた彼女の数々の歌のなかには、自らのルーツをも包含する世界観が滲み出る。
ボブ・ディラン、ニール・ヤング、ブルース・スプリングスティーン、ジャクソン・ブラウンなどの名だたるフォーク&ロックアーティストは、みなその時代背景を鋭く批判するプロテスト・ソングを生みだしてきた。でも彼らはあえて“プロテスト・シンガー”などとカッコつきで呼ばれたりはしない。これまで、“プロテスト・シンガー”という括りに位置付けられてしまった感のあるトレイシー・チャップマンが、社会を浮き彫りにした曲も多く書いてきたけれど、プロテスト・シンガー、フェミニスト・シンガーとよばれてきてしまったことで、ファン層を狭めてしまったのではないか。自選集の訳詞を追いながらあらためて聞き直す彼女の歌に私自身、はっとさせられる。あなたとわたしで織りなすラブ・ソングの繊細さ。詞のなかの「わたし」は、私自身を重ね合わせるわたしになる。「あなた」は私自身がこの幾年かで出会ってきたどこかのあなたであり、私自身が躓いているときの世界そのものかもしれない。
〈あなたと私の記憶のページの行間には フィクションがある〉と歌う「テリング・ストーリー」Telling Storiesで幕をあける自選集は、これまでトレイシー・チャップマンが紡いできたたくさんの短編小説の幾多の物語のなかに、彼女の音楽を初めて聞いた時代から20数年という歳月を経た私自身を問いなおす言葉にできない心の襞に浸み込んでくる。
〈あなたがたはわたしを支配していると思っている/わたしが妥協するはずだとたかをくくっている/悪魔よ 地獄へお戻り/わたしはわたしの魂と私自身を救うのだから〉(訳:森田義信「クロスロード」Crossroads)
折々に訪れる人生のクロス・ポイント。どちらの道をすすむべきか、その交差点で立ちすくむ私(たち)に鏡のような物語を紡いでくれる。トレイシー・チャップマンの優しく繊細な歌声を聞きながら、騒がしい社会に揺らぐ私は一歩立ち止まって自身の心の声に耳を傾ける。
Fast Car