かれこれ46年生きてきたあたくしですが、いままでの人生で、どんなときにものすごくカチンときたか、つらつらと考えてみましたら、「こいつ、あたくしという存在をナメてやがる」とか「安く見られたもんだわね」と思ったときが、そのほとんどを占めていました。ゲイであることに対する相手の反応・行動とか、びっくりするようなお仕事のオファーとか、まあいろいろありますが、若いうちは「相手は、こちらをナメている。あたくしが属する、こちらの世界をナメている」ということに気づくまでに少々タイムラグがあったりして、よけいに悔しい思いをしたこともございます。
さて、7月5日の毎日新聞に、こんな記事が載っていました。
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160705/ddm/041/050/056000c
要するに、リオ五輪の会場での、日本人選手や日本メディア関係者のコメントなどを各国メディアに英語で訳して伝える任務と、その逆、すなわちオリンピック会場内で使用される英語を日本人選手やメディア関係者に伝える任務を、東京外国語大学の学生ボランティアでまかなう、というもの。人生の半分以上昔に卒業したとはいえ、自分の出身校の名前が出たので、ちょっと目を留めたニュースです。ほどなく、「ちょっと目を留めた」レベルではない不快感を抱くことになりましたが。
「貴重な経験になるはず」と胸躍らせる学生たちの気持ちは本当によくわかります。あたくしが不快感を覚えたのは、そんな学生たちの熱意や夢を買い叩く、というか、ほとんど搾取しかしていない、組織委員会のやり口です。
記事から一部抜粋しますと、「ユニホームや活動日の食事は提供されるが滞在費や渡航費は自己負担。宿泊先は大学側が手配したものの、地球の反対側への渡航費約30万円は学生が賄うため」ですって。なんじゃこりゃ。30万円の自己負担って、超ド級のブラック企業だっておいそれとは乗り出せない暴挙じゃないの。東京五輪に向けて国を挙げてのプロジェクトになっているはずの「公的組織」がこういうことやってるんだったら、いくらブラック呼ばわりされたとて私的な集まりにすぎない「企業」が改善の姿勢を見せようとしないことを、「公」が叱り飛ばせるはずもないわ。毎日新聞にもけっこうビックリしちゃった。どうしてこういうことが美談のような扱いになっているのかしら。
っていうか、外大も外大よ。どうしてここまでの負担を学生に強いるような取引を飲んだのか。自分たちが大学で極めようとしている学問を、そこまで安いもの(というか、こちらからお金を払ってまで「使っていただく」ようなもの)だと見積もられたことに、教授陣から怒りの声はあがらなかったのか、って話ですよ。
だいたい学生ボランティア26人の渡航費を合計したら800万円弱。それを、2億や3億どころの騒ぎではないはずの予算全体から引っ張ってくる程度の愛情とか仁義を、学生たちにもっている教授はいなかったのか、と。
不快感はもうひとつあります。そもそも、どうしてこんなオファーがあったのか。こんなオファーがありえたのか。いま、教授陣の不実を責めましたが、これって同時に、世界中の人々が集まる大イベントにおける「意志の疎通」問題に、組織委員会が予算を割いていない…という側面もあったはずです。
「ちがう言語を持つ者同士でも、意志の疎通をしっかり図ること」を、あたくしは非常に大切な問題だと思っています。それが4年に1度の、公式な場であるなら、余計に。
大切な問題だからこそ、プロの通訳を使う。大切な問題だからこそ、プロにプロとしての「責任」を持ってもらう。そのためには、お金が必要である――。あたくしは、そう思っていたの。
何度も言います。学生たちの熱意は素晴らしい。学生たちの英語力に疑問をはさむ意図も毛頭ありません。でも、たとえば企業の大事な問題をインターンには決して任せないように、「何か」が起こったときに「責任」をとれる人たちが「報酬」と引き換えにその責任をきっちり果たす…。それがどんな分野においても非常に大切なことだとあたくしは思っていたのです。「言葉」って、外大の教授陣たちにとっては、大事な問題ではないのかしら。「学問」って、そこまでナメられるものだったのかしら…。
それにしてもあたくし、「パイセンとして物申す」みたいなマネ、絶対にしたくなかったタイプのオンナだったはずなんだけど…。恥ずかしいったらありゃしないわ…。