男の英雄ばかりのストーリーが過去ではない
過去を生きた人たちは、教科書に載っている王や将軍や政治家(男ばかり)ばかりではない。歴史の登場人物として易々と思い出せる著名な男たちの言動を、男たちが書いたストーリーで、果たしてその時代の姿がわかるといえるのだろうか。
ソ連では二次世界大戦で100万人を超える女性たちが従軍した。スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、『戦争は女の顔をしていない』(岩波現代文庫、2016年)に、かつて従軍した女たち500人以上からの聴き取りをおさめる。膨大な証言のひとつひとつ、どれも大切な大切なものとして記録されている。数ページにわたる証言もあれば、数行で終わる証言もある。しかし、どれもが重く、深く、簡単には読み飛ばすことができない。スヴェトラーナは、本著では、同じような手法でたくさんの無名の人々の語りを聴き取った『チェルノブイリの祈り』(三浦みどり訳、岩波現代文庫、2011年)よりも、冒頭で書くに至った動機や経過を長く記している。その冒頭の文章に、スヴェトラーナは、「人間は戦争よりずっと大きい」との小題をつけている。その後の様々な証言から、いかに女が(男も)戦争の中で酷い仕打ちを受けてきたか、にもかかわらず戦後も彼女たちの話に耳を傾けられることがなかったかを知る。「大きい」ものとしてどころか、砂粒以下の扱いを受けてきた。しかし、女たちの戦争についての記憶は、その気持ちの強さ、痛みの強さにおいて、強度が高い。男たちは「生の素材」よりも、既に語られている歴史の「事実」、「思想や様々な利害の対立」に関心を向ける。しかし、そんな男が見えないものを見い出す力が女にはある、とスヴェトラーナは理解し、「女は作り話をする」との男性作家等の「警告」を斥け、女たちの戦争の物語を書いていく。
検閲官による検閲、自己検閲
せっかく書いてからも「ここに書かれているのはあの戦争ではない」、「あまりに恐ろしい」、「悲惨すぎる」、「生々しすぎる」、と出版社に断られる。「共産党が指導的にリーダーシップを見せている部分はどこにあるんだ?」と。男たちが独占してきたおなじみのストーリーでなければ受け入れられないというわけだ。訳者あとがきに「戦争物は男が書くことになっていた時代に雑誌記者だった30歳代のスヴェトラーナがそれまでまったく触れられたことのなかった従軍女性の記録を発表するのは相当困難があり、完成後2年間は出版できなかった」とある。1984年にようやく世に出たが、訳者あとがきが記された2008年時点で「アレクシエーヴィチの真実など我々には不要だ。外国で著者を出版し祖国を中傷して金をもらっているのだ」と非難する大統領が統治するベラルーシで10年以上、彼女の本は出版さていないという。テッサ・モーリス―スズキ著田代泰子訳『過去は死なない メディア・記憶・歴史』のいう、過去の理解を「修正」するだけではなく、特定の出来事を公共の意識から抹殺することを目的とする20世紀末の「抹殺の歴史学」がベラルーシでもまた席巻しているのだ。男の英雄たちの歴史を尊ばれ、幾多の無名の女たちの記憶は消されていったからこそ、文字通り消滅しないうちに証言を拾い出したこの労作の意義は大きい。
女たち自身、語ってはいけないと言い聴かされ、自分の話は取るに足らないと思っている。証言の前に、夫から、戦争の経過など「事実」を話すように言い含められた女たちもいる。スヴェトラーナにも「出版しちゃだめだよ」、「口にしちゃだめだよ」と言いながら話し出す女たち。そして、当初の版では、検閲官による削除だけでなく、自分で削除してしまった部分もあった。
検閲官が削除した部分とは、性的な描写が入るころ。密告により追い詰められたパルチザンたちの中で母親が産んだばかりの赤ちゃんを殺したところ。捕虜が残虐に殺されていくのを見ていた様子。戦時中いたるところに大きなネズミがいて、重傷者の手をかじったりしていたこと。決して死体を踏みつけたりはしない馬ですらレニングラード近郊に転がっていた「あまりにもたくさんのドイツ軍の死体」をよけなかった、凍り付いた死体の上を砲弾を積んだ箱を運搬する際、下で頭蓋骨が折れる音がして「嬉しかった」という述懐、飢えて子どもを殺し食べる相談を持ちかけられた話、焼き払われた村で気が狂った女性が子どもを虐待し殺してしまった話、等…。
検閲官はいう。「英雄的な手本を探そうとすべきだ。ところがあなたは戦争の汚さばかりを見せようとしている。何をねらっているんです?真実というのは我々が憧れているものだ。こうでありたいと願うものなのだ」、「そんなことは嘘だ。中傷だ」。まさに、これぞ検閲官のせりふだ。そして、今この日本でも、同様に記憶の暗殺者たちは叫んでいる。
スヴェトラーナ自身が削除した部分。帰国したとき、少年が地下室から飛び出して、「うちのおかあちゃんを殺して!ドイツ人と寝ていたんだ」と叫び、続いて老女が「この子の言うことを聞かないで。気が狂っているのよ…」と走って行った様子を見たとの証言。学校の先生に「家を占拠していたドイツ人によくなぐられた」と話したところ、「敵と一緒に住んでいた」として、息子を別のクラスに移すと言われたこと。勲章やメダルを持って帰ったのに、「妹たちが誰にも嫁にもらってもらえなくなる」と母に家から出るよう言われた話。父について「戦死」とはわからず「行方不明」という紙切れしかもらえなかったところ、「ドイツ婦人と楽しくやっているかもしれない。人民の敵め」と役場で脅かされたこと。勝利した後、ドイツの収容所を耐え抜いた人たちが逮捕され、流刑地へ送られてしまったこと、等。
スヴェトラーナでも、「勝利には二つの顔がある」ということを長いこと信じられなかったのだ。勝利であろうと、すばらしい顔のみならず、恐ろしい顔、見るに堪えない顔があることを。温もりの冷めぬ人間の声にこそ真実がある、と考えるスヴェトラーナですら、家族、同胞からの残酷な仕打ちの証言をありのままにとどめることには躊躇した。歴史を誰がどのように編集し記述しようとしているか、そのことに受け手である私たちも注意深く賢明であらねばならない、という教訓が得られる。
従軍女性たちが経験した戦争
検閲を受けなかった部分もどれも印象的であり、ことさらどのシーンが、と取り出すことは難しい。
証言者たちは女という点では共通だが、10代から30代、入隊した経緯も様々。看護婦、パン焼き係、空挺部隊、機関銃兵小隊長など、それぞれで見た戦争は違う。たとえば、料理係の兵卒は「戦闘のあと誰も生き残っていないことがあったの。大釜一杯スープを作ったのに、誰も食べてくれるものがいないってことが」と語る。看護婦だった上級軍曹は「切断された手や足をどれだけ見たか知れないわ。どこかに手足がそろっている男の人がいるなんて信じられないくらい。誰もかれも負傷しているか、死んでしまったんだって気がしたわ」と。洗濯係は、黒ずむほど血に染まった軍服、胸が穴だらけになったもの、片足だけのズボンを涙で洗ったと語る。
女たちが「男がやること」の戦争の中にいながらも見い出した「美しさ」について語ろうとしたことは、スヴェトラーナにとっても予想外だった。たとえば、痩せていることをあわれんで宿舎のおばさんがくれた卵2つをおばさんに気づかれないように割ってブーツを磨くのに使ったこと。「お腹もすいていたけど、きれいにしておきたいという女心が勝ったんです」。
恋愛は、戦時中で唯一の個人的な出来事。「共通」の出来事だった死についてほど、女たちは率直には話さない。ロマンチックな思い出は口にするが、何かを隠す。おそらくは、長きに渡り、中傷や侮辱を恐れていたのだろう。「あの時は恋をして、一番幸せだった」という女は娘から戦争の終わりと同時に愛が終わってしまった男の「どこが好きなの?」と非難されるが、「今だって彼が好き」と言う。しかし、「名字は書かないでね、娘のために」。
女たちの口から語られる男たちの様子も、今までの歴史からは消されていた。たとえば、救護係の女の記憶に刻み込まれているものは、「静寂ね」。「重症の患者の病室の異常な静けさ。どこかあらぬ方を眺めて考えている。何を考えていたんだろう」。あるいは、病室にいた2人の負傷者のうち一人はドイツ兵と味方の火傷した戦車兵。戦車兵に気分を訊くと、「自分は大丈夫だ、こいつを…」とファシストの手当を頼んできたこと。敵同士でなく、横たわった怪我をした2人なだけ。「こういうことがたちまち起こるのを何度も眼にしました」。
しかしそんな人間的な交流にほっとする箇所は少ない。殴りつけ、銃剣を腹や眼に突き刺し、のど元をつかみあう白兵戦の経験。生き残っても、お互い顔を見ない方がいい。「だって、それはまったく別の顔ですもの」。怖気づいて逃げ出した2人のために、たくさんの戦友がなくなることになった。許すことのできない臆病者2人を銃殺する7人のうちの1人になり、銃口をおろした後の気持ち…。
本当のことを言う勇気
記憶の抹殺者の典型ともいうべきベラルーシの大統領について、スヴェトラーナは、「私たちなんかより、野党の知識人なんかより、国民との対話がずっと上手」と冷静な認識を示したという。また、政治家やジャーナリストの抹殺を告発した新聞がほとんど売れないのは、恐怖のせいばかりではなく、国民はそんなことに興味がないとも認める。そうした姿勢は、「妥協主義者だ」と批判されもした。彼女は、両方からたたかれても、自分に正直にいることが大切だ、「今の時代、個人、個人の勇気が試されている。自分に対して、そして他人に対しても、本当のことを言う勇気が必要なのです」とあるインタビューで語っているという。
怖いからと記憶を封じていた女たちから丁寧に話を聴きだしただけではなく、自分でもひるんで検閲してしまった経験のあるスヴェトラーナの言葉から、学ぶことは大きい。