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『漫勉』の萩尾望都に見た、「毒親の乗り越え方」に涙した3月…

高山真2016.03.15

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 NHKのEテレで『浦沢直樹の漫勉』という番組が放送されています。毎回、ひとりの漫画家の作業部屋にクローズアップ。作業部屋に何台もの定点カメラを設置し、「漫画家がどのように原稿を描いていくか」を、そのペン先まで撮影していく……という趣向のもの。漫画家を目指す人たちのみならず、「絵」が好きな人たちにとっても、大変に興味深い番組です。

その『漫勉』、3月3日の回に、あの萩尾望都が登場しました。「萩尾望都先生」とは言いたくありません。三島由紀夫とか山田詠美とかフランソワーズ・サガンのように尊敬している作家ですので、「先生」という敬称はつけません。ファンの皆さま、そのあたりはよろしくご理解のほどを。

 番組内でも「少女漫画の神様」という呼ばれ方をしていましたが、あたくしにとっても(そして、友人知人の漫画家たちにとっても)萩尾望都は神。最近のネット用語で軽々しく使われる「神」ではなく、文字通りの「神」として、まったく差し支えありません。番組では、そのホクロとあいまって、ますます菩薩さまのような風格をたたえつつある萩尾望都が、もう「職人」と呼びたいような厳格さで作画を進めていく様子に、思わず手を合わせてしまいそうになったあたくしです。

「ミリ」単位よりはるかに小さい手の角度にこだわり、瞳の部分に「中世のエッチングのレプリカを作るのか」と思ってしまうほど細かなペン先を走らせ……。「ディテールに神が宿る」という言葉を行動にすると、どうなるか。その答えが萩尾望都の仕事にはありました。ただ、その作画風景の素晴らしさ、凄まじさは、あたくしなどよりも絵を描く人たちのほうがはるかにきちんと受け取ったでしょうから、ここでは詳述を控えます。あたくしがこの番組を見ていて、ちょっと泣いてしまった場面は、別のところにありました。

 進行役の浦沢直樹(この人も漫画家)が、「萩尾先生、親に漫画家であることを認められるようになったのはいつですか」という質問をしたら、萩尾望都は、ほぼ間髪入れずに「『ゲゲゲの女房』のテレビドラマを見てからです」と答えました。浦沢直樹もすぐに「えっ? んっ?」と、すぐにはその言葉の意味を呑み込めないようでしたが、それは番組を見ているあたくしも同じでした。

 萩尾望都はなおも続けます。
「うちの親は(私がどんなことをしているか)まったくわかっていなかった。『おちゃらけたことをしている』と思っていた」
「あのドラマで水木しげるさんが仕事をしている様子を見て、母が『うちの娘もこれをやっていのか』って。で、『失礼しました』って(言ったの)」

 このくだりを聞いたところで、あたくしは「感動」とは違う涙をこらえることになりました。

萩尾望都がそのキャリアをスタートさせた時代は、「子どもが漫画家を目指す」ということが、いまよりもはるかに「親がそうそう許さないこと」扱いをされていた時代でしょう。しかし、そのことをさっぴいても、あの萩尾望都ともあろう大作家でさえ、2010年まで待たないと親が自分の仕事を認めてくれなかった……。これに泣かずにいつ泣くか、という勢いです。そりゃ『イグアナの娘』描くよね、『メッシュ』描くよね、『残酷な神が支配する』描くよね、と。

 萩尾望都は、「毒親」という単語が世の中に出てくるはるか前から「親との確執」を作品にしていた作家です。『漫勉』の中でも、その文脈で『メッシュ』と『残酷な神が支配する』が取り上げられていましたが、なぜか『イグアナの娘』は外されていました。まあ、『メッシュ』と『残酷な神が支配する』は、そのものズバリで「親殺し」がモチーフになっている作品で、『イグアナの娘』は「母娘の相克」をテーマにした作品、という判断が番組制作側にあったのかもしれませんが。

漫画がお好きな大人の女性ならば、読んでいる方も多いでしょうが、未見の方のために一言。『イグアナの娘』は20年以上前に描かれたのに、現代でも、いえ、むしろさまざまな親子の問題が可視化されるようになった(しかし解決には程遠い)今のほうがより切実な痛みをもって伝わってくる名作中の名作です。ぜひご一読を。

 萩尾望都は、「『ゲゲゲの女房』のテレビドラマを見てからです」「あのドラマで水木しげるさんが仕事をしている様子を見て、母が『うちの娘もこれをやっていのか』って。で、『失礼しました』って(言ったの)」という言葉を、あたくしが聞く限り非常に淡々と話していました。しかし、萩尾望都の漫画家としての40年が「淡々」などという仕事ぶりとは正反対に位置するものだったことは、あの作画シーンを見ればあたくしにもわかる。あの淡々とした口調は、「萩尾望都がたどりついた境地」であって、おこがましいのを承知で言えば、「あたくしのたどりつきたい境地」ではない。ただ、あたくしはあの淡々とした萩尾望都の語りを聞きながら、圧倒されたような、癒されたような、励まされたような、そのすべてでありそうで、でもそのどれでもないような、不思議な感情に襲われていたのです。

 あたくしはすでにこの『漫勉』の萩尾望都の回を6回見ていますが、たぶん7回目も、作画の場面では「はあ……ありがたい」と手を合わせ、「(親に認められたのは)『ゲゲゲの女房』のテレビドラマを見てからです」で背すじが伸びることでしょう。萩尾望都は、やはり菩薩でした。


●お詫びにかえて
この原稿は書き換えています。最初にアップした原稿では「ムック本的なもので読んだ記憶があるけれど、萩尾望都は2010年の終わりごろ引退を考えていたとのこと」「萩尾望都は、親がその仕事を認めたのをきっかけに、引退を考えたのではないか」と書きました。
さる方から「事実誤認があるのでは」というご指摘をいただき、もう一度読んだ本を総ざらいで調べてみたところ、集英社の『月刊YOU』2014年3月号に、萩尾望都氏とよしながふみ氏の対談ページがありました(276ページ)。
その中で、よしなが氏からの「『バルバラ異界』を終えたとき、『もうそんなに描かないと思う』とおっしゃっていましたが」といった言葉を受けて、萩尾氏が「短編をぼちぼち描いてフェイドアウトしていこうと思っていた」「そこに東日本大震災が起こって…」という言葉を残していました。
私は、よしなが氏の言葉を忘れてしまっていたうえに、萩尾氏の「フェイドアウトしていこう」「東日本大震災が起こって」という言葉を、2年間の間に「東日本大震災の前あたりに引退を考えていらした」と、頭の中で改ざんしておりました。
該当する部分を削除し、差し替えさせていただきます。

出典をきちんと調べる、という手間を省いて、根拠のない原稿を書いてしまったこと、ひとえに私の書き手としての甘さが招いたことです。
読者の皆様にいい加減な原稿をお届けしてしまったこと、深くお詫びいたします。
誠に申し訳ございませんでした。
また、ご指摘くださいました方のご厚情に深く感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。


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