寺尾紗穂さんの名前を初めて知ったのは遅まきながら昨年10月4日朝日新聞の書評欄に『南洋と私』という著作が紹介されたときであった。中島敦の作品から南洋へ想いを馳せ、その地での日本統治時代を追って様々な関係者と会い書き綴ったルポルタージュ。著者紹介の肩書にミュージシャンとあった。私はその書評欄を切り抜きずっと手元に置いておいた。寺尾さんが読まれていたちくま日本文学「中島敦」の積読と併せて。
その後やく2か月が経ち、寺尾紗穂さんのミニライブを観に行った。原発労働者の方々とのトークイベントの集会であった。寺尾さんの『南洋と私』の前著作は『原発労働者』。この時に初めて寺尾紗穂さんの音楽と出会った。長い髪にスレンダーな寺尾さん。その容姿は彼女が中島敦の作品で想いを馳せた「マリヤン」の南洋の島民女とはまったく正反対。しかし寺尾さんの歌は、しっかりと腰の座った揺るぎない世界観をもっていた。NHKのラジオの収録で却下となった土方さんが登場する「アジアの汗」、都会の路上の狭間で生き抜く人たちを描く「家なき人」。軽やかなピアノの演奏に乗せたこれらの曲は、木洩れ日のようなあたたかいぬくもりと優しさをもって歌われる。ミニアルバム『放送禁止唄』(2010年)に「竹田の子守歌」とあわせて収められている。
『楕円の夢』(2015年)、『青い夜のさよなら』(2012年)、『残照』(2010年)、そしてミニアルバム『珈琲』(2013)。どれもすてきなアルバムばかり。一曲一曲が短編小説のよう。その広くて深い多様な世界は、とても繊細な面を持ちながらも人が生活して生き抜いていくための力強さが根を張っている。
『南洋と私』のはじめの部分でかつて〈学校を作り、「土人」にも教育を施した。親日的といわれる「旧南洋群島」の人々の多くが日本統治を評価〉していること、あの戦争を肯定したり、日本の統治がどれだけ現地に恩恵を与えたかということを強調する人が少なから
ずいたことに対し、〈そのどれもが私にはひっかかった。それは本当だろうか。南洋群島が親日的。そう日本人が口にする時にすっぽりとぬけおちるものがあると思った。かつて「土人」であった人の言葉、あるいは言葉にできずに心に積もった澱のようなもの。〉とある。
いつのまにか社会の片隅においやられていった寄せ場の人々、ホームレスの人たち、放射能下で体を酷使していく原発労働者、植民地支配下の島の人々、国家からアンタッチャブルな存在とみなされている人たちのことにひっかかる気持ちを覚え、そんな人たちに自ら会いに行き、言葉を探る。『南洋と私』『原発労働者』といった著作では、とことん取材し言葉にできずにいた澱のようなものを可視化していく。そして歌ではその見えない澱をあたたかいまなざしとときにはユーモアで包み込みながら美しいことばとメロディでおおきな深呼吸をしたときのような心地よさを与えてくれる。
ミニライブで「円は中心が一つしかない。楕円は焦点が二つ。その焦点がひろいと楕円、近づくと円に近づくしいろいろな形になる。一つでは割り切れない、一つでははみ出してしまう。一つにこだわらないで、楕円的なゆとりをもつおおらかな世界を望んで・・・」と語り、「楕円の夢」は演奏された。アルバム『楕円の夢』をしめくくるしっとりとした旋律にあたたかくて力強い歌の力をもつタイトル曲だ。
『原発労働者』の終章でこう語られている。
〈私は彼らであり、彼らは私である。
私は、目の前に座る原発労働者のおじさんたちにそのことを教わった。原発労働者をどこか遠くに感じている限り、それは「ひとごと」で終わってしまう。「ひとごと」を「わがこと」として感じること。考えてみること。〉
「ひとごと」を「わがこと」としてとらえる想像力。寺尾紗穂さんの多岐にわたる作品に通底する豊かさであり、その作品に接する私もその想像力を絶えず持ち続けていかなくてはと思う。彼女の音楽から聞こえてくる言葉にできない澱をすくいうけとめ損ねてしまわないように。