8年ぶりに出版したエッセイ集『恋愛がらみ。』の発売に合わせ、2月19日に、本当に久しぶりに読者の方々とお目にかかって、トークショー的な集まり「プチサロン・ド・タカヤマ」を開きました。「一方的なトークではなく、読者の方との双方向的なコミュニケーションを」と希望したこともあって、15人ほど限定で、ラブピースクラブさんをお借りしてのこじんまりした会。参加してくださった方々が満足してくださったかはわかりませんが、あたくしとしては本当に心温まる会でした。参加してくださった皆様方と、運営してくださったラブピースクラブさんに厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
ラブピースクラブは今年設立20周年。成人式を迎えるそうです。トークの最初のテーマはそれに合わせ、自分が20歳のときの思い出話から入ってみました。1990年、当時の日本はバブル経済真っ盛り。1989年から大学で東京に出てきた、超がつく田舎出身のあたくしを、単に「口の減らないゲイの小僧(あるいは小娘)」として面白がってくれた、数々のおばさま・おじさまがいた時代です。「へー、マコトちゃん、フランス語習ってるの? じゃあ今度、通訳の練習を兼ねて、私のフランス行きにつきあってちょうだい」という口約束を信じて、買ったばかりのキャリーケースをコロコロ転がして成田に行ってみれば、エールフランスのファーストクラスのラウンジに通される…という、ほんの数か月前まで田舎の高校生だったあたくしに別の世界があることを教えてくれた人たち。まあ、そんな人たちに薫陶を受けてしまったものですから、その数年後、「欲しいものは何でも買ってあげるよ」と肩を抱いてきたオトコに向かって、「じゃあ、パリを買ってちょうだい」などと即答するオカマが出来上がってしまったわけですが。うふふ。
バブル経済については、その功罪がさまざまなところで語られているし、「罪」の部分をクローズアップした意見もいまだに多い。あの時代の、あたくしを含めた日本人のタガの外れっぷりは、現代の若い人たちからすれば「眉をひそめる」レベルでなかったことも確かです。ナンシー関のどの本だったかしら、対談本だったような気がしますが、「どっかの地方の団体客のおじさんたちが、明らかに買春のための東南アジアツアーの飛行機の中で、はやる気持ちを抑えきれなくて、急に立ち上がって叫びだすのにうんざりした」みたいなことを言っていましたが、そういうのが日常茶飯事だったわけですよ。そんなクソダサい所業を丸ごと肯定したかのような、「いってらっしゃい、エイズに気をつけて」ってポスターが「公的」に作られたのも、この頃。ほんの25年ほど前、日本にはお金はあったけど、センスとか品位に関しちゃひどいもんでしたのよ。あたくしだって、その意味じゃ同罪。買春はしていないけれど、お金(しかも他人のお金)にものを言わせての海外各地での豪遊は、正直いま振り返ってみても決して上品なものではなかったわ。「いまどきの若いモンは…」なんて言葉、口が裂けても言えないのは、こういう理由があるからなのよ。
ただ、自己正当化をするつもりはないし、「いってらっしゃい、エイズに気をつけて」ポスターを肯定するつもりも微塵もないのですが、あの時代のあの経験は、あたくしが先々「いろいろ頑張れば、自分にとっての楽しいことはもっともっと見つけられる」と思える基盤になったのも確かです。それなりに品位(あくまで過去の自分自身と比べて、ですが)を積んだいま、「ああ、あたくしにとって、あの経験は必要だった」と思えるのです。もちろん、「あのポスターは必要悪だった」とは思えませんけどね。
と、ほんの数日前にバブル時期の経験のことをお話ししたばかりのあたくしの目に、こんな文章が飛び込んできました。漫画家の小林よしのり氏(ナンシー関は「愛している」のレベルなので敬称をつけておりません)のブログです。
http://blogos.com/article/161934/
いやー、ビックリしたわ。小林氏が『東大一直線』をヒットさせたのは70年代だし、『おぼっちゃまくん』をヒットさせたのはバブルの頃。その当時の日本人が海外でどんなことをしていたか、知らない年齢ではなかろうに。
この25年で、日本人の振る舞いが見違えるように向上したのは、国を挙げての「海外でのマナー向上キャンペーン」ももちろんあったのでしょうが、若い人たちのパブリックな場での振る舞いのスマートさに、むしろ上の世代が触発されたから…というのが、あたくしの実感です。空港で、海外のショップやレストランで、明らかに東アジア人種であろう(彼ら・彼女たちが、日本人なのか中国人なのか台湾人なのか韓国人なのかは、彼ら・彼女たちが、英語やフランス語やイタリア語だけで頑張っていたり、メインは英語で、はしばしに現地の言葉を混ぜて頑張っている以上、判別のしようがないわよね)若い人たちの洗練された振る舞いを見ながら、日本語で「ああすればいいんだね」的な会話をひそひそと交わしていた日本人のオジサン・オバサンの姿を、あたくしはパリでもロンドンでもミラノでもフィレンツェでも、ニューヨークでもロスでもハワイでも、バンコクでも香港でも、それぞれの都市で複数回、見てきています。少なくとも、「日本人のマナー向上」って、旅の現場においては、小林氏の世代の人間がメインになった流れではないわけよ。
小林氏の書いていることは、日本人もけっこう言われてきたことだったりします。
「中国人に寿司がわかるか」→「日本人にフランス料理などわかるわけがない」
「京都の景観が台無し」→「シャンゼリゼや五番街をカメラぶら下げて団体行動で歩くんだ。笑える」
「景色が薄汚れる」→「何、あの小汚い色の上着」
あたくし、小林氏は、むしろかつての日本人が受けてきた数々の謗りのほうを思い出して、改めて白人層への怒りを増すタイプかと勘違いしていたわ。
小林氏のブログを読みながら、
「中華料理というジャンルを生み出した民族に大したものの言いようね。バブル当時、パリのマキシムやトゥール・ダルジャンに大挙して押しかけた日本人が、フランス人にそんなこと言われたら、日本人はバカにし返したはずよ」とか、
「京都の景観は、少なくともあたくしは、1997年に今の京都駅になったときに破壊されたと思っているし、東山魁夷は、昭和40年代にはすでに京都の景観が完全に破壊されていたことのプロテストの意味も込めて『年暮る』を描いたんじゃないかしら」とか、
「銀座を歩いている白人たち(この呼び方には問題があるとは知っています)も、『おしゃれ』とは言えない人のほうがはるかに多いけど、別にいいんじゃないの? ガッツリ歩く旅行で一張羅を着る必要なんてないんだし」とか、
「90年代や00年代、京都や銀座で、日本人的には受け入れがたいマナーを押し通していたのは、英語を話す白人層ばかりだったはずなんだけど、そこは問題にしないのね」とか、
「確かにあたくし(つーかダンナ)が好きな『すきやばし次郎』も予約が本当に取りづらくなったけれど、数年前と比べて明らかに増えたのは、『生魚を食べるとか信じられない』と公然と言い続けていた白人層のほうなんだけどね。日本語が話せない東アジア人種の人たちは、かなり洗練されてる人が多い印象よ」とか、まあいろんなことが浮かぶわけですよ。
銀座にしてもねえ、「景観」とか「伝統」を大切にしたいなら、銀座二丁目あたりの交差点の四つ角がとシャネルとカルティエとブルガリでヴィトン(ここのみ松屋銀座内のショップ)で占められている段階で嘆けよ、と。もっと言うなら、晴海通りにグッチとエルメスとアルマーニのビルができた時点とか、それよりもうちょっと前に並木通りにシャネルができた時点とか、名門の呉服屋がのれんをおろした時点に嘆けよ、と。でもそれは、「経済のグローバル化」とか「経済や文化の移り変わり」とやらを理由にスルーしてきたわけでしょう?(この種の嘆きを小林氏がどこかで話していたり書いていたのだとしたら、それはあたくしの誤りですが)
ちなみにあたくし自身は、京都の景観が外国人の手によってではなく日本人自身の手によって変わり果てたことも、銀座の目立つところのほとんどが海外の有名ブランドのショップで占められていることも、「それはそれで流れだから」と思っているタイプ。伝統文化なり商品なりを買うことで支えたり、街並みに関する法律を作ることで、その景色を存続させることもできたはずなのに、それをしなかった私(私たち)にも責任があるわけだから。そして、それをしなかったがゆえに伸びていった「数字」というものもあるわけで、その「数字」こそが、多くの日本人にとって「日本のプライド」だった時期もあるわけだから。
かく言うあたくしも、中国人の振る舞いに驚いた経験がないわけではありません。しかしそれは、90年代の初頭、(人のお金で)海外で年齢にそぐわない豪遊をしていたあたくしが、旅先で居合わせた日本人に感じたものと同質のものだし、また、「その驚きは、あたくしも、現地に住む人たちに与えてきたものと大して変わらないんだろうな」という反省くらいはするわけですよ。その歴史を知らない若い人たちが、知らないがゆえにあれこれ言うのならともかく、あの時代にお金を持っていた人間が言っちゃいけないわ。
あと、「昔の日本人も海外で冷たく遇されて学んでいったんだから、今の中国人を冷たく遇してOK」という意見には、あたくし賛同できません。それは「部活における先輩から後輩へのシゴキ」とか「ブラック企業が社歴の浅い人間に強制するあれこれ」とか、要するに、あたくしがもっとも唾棄している「精神的な田舎者メンタリティ」ゆえの行動と同じだから。小林氏ったら、「中国人は洗練されていない田舎者である」と言おうとして、「自分がその年齢になっても精神的な田舎者である」ことをバラしてしまうなんて、まだまだ洗練度が足りないことね。他山の石じゃないけれど、あたくしにとっても、これは大きな戒めになったわ。気をつけなくちゃ。