2015年12月6日、日比谷公園で開催されたKEEP CALM AND NO WARの集会に、古謝美佐子さんが登場した。古謝さんのライブがあることなどまったく知らずに駆けつけた私は、あまりのうれしい偶然にどきどきして、日ごろ大きな集会は後方の端のほうで聞いていることが多いのだが、この時ばかりはステージの近くへ分け入って古謝さんのトークとライブに身を乗り出して見入った。なぜ偶然かというと、この連載、つぎは“うないぐみ”にしようと思い、いまの古謝美佐子さんはどんな人なのかなぁと、何とはなしに常に考えている最中だったのだ。
昨年発売された“うないぐみ”の1stアルバム『うない島』は、気持ちがざわざわとしているときにそのざわめきを落ち着かせてくれる。古謝美佐子さん、宮里奈美子さん、比屋根幸乃さん、初代ネーネーズの3人に、島袋恵美子さんが加わった“うないぐみ”。「うない」は沖縄方言で「姉妹」、「ぐみ」は「組」とともに「想いを込める」という意味も持つという。
三線を手にした女たちが沖縄の海辺で唄遊びを楽しむかのような「女(ゐなぐ)友(どぅし)」から始まるこのアルバムは、その心地よさに喧騒な日常を忘れ、ここではないどこかへ導かれ、異国情緒あふれるやさしい心地よさに癒される。しかし真摯にこのアルバムに耳を傾け続けていくと、いつしか日本のなかの沖縄という島がくっきりと浮かび上がり、現在に地続きの重い沖縄の歴史をずしりと感じずにはいられなくなっていく。
アルバム中盤の「島に吹く風~二見情歌~」にフィードバックされる挿入歌「二見情話」は戦後直後に作られた名護市の二見や辺野古を舞台に沖縄戦の悲劇はいつになったら忘れることができるのかと訴える歌であるという。つづく4人の唄い手がそれぞれ節ごとに変わり11節からなる「南洋数え唄」は、覚えやすい優しい旋律にのせて綴られるサイパン島の戦地の哀しいアイロニーが切なく胸を衝く。この曲は1944年サイパンで生き残り捕虜となった沖縄人の日本兵が苦しい捕虜生活の中で歌われた曲という。「1945の春」という曲で繰り返される“戦ぬ哀り、忘ららん”。何十年もの過去の傷跡がいまの沖縄へ絶えることなく続いている現実にいきどおる。
集会で古謝さんは自らが基地周縁で育ったという話をし、基地のことはずっと口にチャックをしていた、と語った。その意識が変化したのは30代で坂本龍一さんのツアーメンバーとしてアメリカを訪れたときという。
“うないぐみ”の最新曲はその坂本龍一さんとのコラボレーション「弥勒(みるく)世(ゆ)果報(かぶ) undercooled」。世界が平穏であることを希求するアーティストたちの結晶だと思う。この曲のオリジナルは2004年にリリースされた坂本龍一さんの『CHASM』というアルバムに収録されている。坂本さんは、当時アメリカが、大量破壊兵器があるという虚偽の理由でイラクに攻め入ったとき、もっと頭を冷やせという思いで作った曲という。それに詞をつけて歌いたいという古謝さんからの申し出で完成したという。ジャケットはCocco、挿入される語りにUAも参加している。
なにか自らにできることを、いま多くの人たちが考え行動している。そのような中で“うないぐみ”は、いま歌わなくてはという堰を切ったかのような想いを沖縄から世界へ発信していく。昨年8月、癌の闘病から回復した坂本龍一さんは安保法案反対の国会前の集会に登場した。かつてから聞いていた古謝さんや坂本さんが表に立つことが、惨憺たるがんじがらめの日本のメジャー音楽業界のなかで、大切な希望を与えてくれる。
坂本龍一さんは自らの日記と思考の断片集のような本の中で、「undercooled」を収録する『CHASM』の制作時、スーザン・ソンタグの影響を受けたことを語っている。「弥勒(みるく)世(ゆ)果報(かぶ)undercooled」から奏でられるメロディの静かなるラディカルさ。それはスーザン・ソンタグが若い読者にむけて記したいくつかのアドバイスともつながるのかもしれない。「検閲を警戒すること」「本をたくさん読むこと」「動き回ること」「暴力を嫌悪すること」・・・・。
※参考図書「skmt 坂本龍一とは誰か」(坂本龍一 後藤繁雄)、「沖縄は歌の島」(藤田正)