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「おっさんずラブ」、不思議なドラマだった。

私が見てきたLGBT絡みのドラマは、必ずと言っていいほど期待を裏切ってきた。しかしこのドラマは期待を裏切らない“なにか”があった。放送が終わって3日。いろんな人がこのドラマを語る中、それはなんだったのか考えてみた。

最近はセクシャルマイノリティが登場するドラマが非常に多いそうだが、私はあまりチェックしていない。それは当事者の私にとって、そういったドラマの何気ない台詞の中に“ぐさっと”とくるポイントを見て、結局、なんだかなぁ〜と思うことが多いからだ。一昔前のドラマでよくあったパターンでいうと・・
例えばこんなワンシーンだ。

アンティル作 ドラマ「どんな時も・・・」
セクシャルマイノリティA(FTM/Bを密かに恋してる)と
主人公(女性)B(男と恋愛中/Aとは幼なじみ)

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【社会に理解されず苦しみ死も考えるA】
B)どうしてそんなこと言うの?Aはバケモンなんかじゃないよ。
【Aの目に涙】
B)私、正直言ってそういうのわかんないけど、でもAがどんな生きたかしたって、誰を好きであろうと、変わんない。昔のままずっとAが好きだよ。
【回想シーン:幼稚園でAとBが手を繋いで楽しく歩く姿
小学生時代に男の子からいじめられるAを助けるB
       中学時代、校舎裏で男子学生から告白されるAを目撃し傷つくB】

・・・・・・・・・・・・・
【BはAに告白できないまま、Aの励ましを胸に社会に向かっていく。Aは恋人としっかり結ばれるハッピーエンド】
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言葉的にインパクトのある“バケモノ”より私が引っかかるポイントは、トランスジャンダーがAの人間性を裏付ける“添え物”とされることだ。この台詞から滲むBの悲しみは、Aの正直で素直な魅力的な人間に見せるための装置として吸収されていく。Bが涙すればするほど、Aのポイントは上がり、Bの切ない恋はAとその恋人との愛の前戯のごとく消費されていく。そして“セクマイを取り上げてます!”的な主張も“わかってあげますあなたたちを”というような視線がマイノリティとマジョリティの構造をそのまま写し出しているように思えてそれが“ぐさっと”きた。それが今の現実なんだと打ちのめされる。

ここ数年でもっとも腹が立ったドラマではゲイの男性と、過去にその男性と付き合っていたがフラれ、感情を封印して生きる女性(男はゲイの自分をごまかせず別れた)が再会し、カミングアウトを機に互いに自分をさらけ出せる友人となり、楽しい生活を手にするという展開だった。なかなかいいじゃん!と見ていると最後にとんでもない結末が待っていた。男性は男性の恋人と別れ、2人が、もとさやに戻るのだ。これには“馬鹿にすんな!”という怒りさえ覚えた。

そこで、今回の「おっさんずラブ」だ。“きわもの”感たっぷりのこのタイトル。私もこの思い切ったタイトルに惹かれて怖い物みたさで観たのだが・・・・。
きゅんきゅんきました。このドラマは王道のラブコメであり恋愛ドラマであり“愛”を取り巻く人間ドラマだった。
ここで描かれる恋愛、そこに流れるストーリーはけして“きわもの”としてのものではなく、セクシャルマイノリティを描くドラマではなかった。

主人公の春田こと(はるたん・男性)の幼なじみ(ちず・女性)がその象徴だった。
はるたんが“男”に告白された戸惑いをちずに打ち明けるシーンで、ちずは“普通”に会話を進める。“男同士”の話しだからといって過剰な反応はしない。“男に告白された男”という状況にではなくは、“はるたん”というモテない男がモテ始めたことに反応する。これまでのドラマなら
“私はそういうの偏見ない。”というアピールの台詞が前置きとして入るところだろう。それがまったくない。

そしてはるたんと同居する牧くん(男性)が、はるたんに告白し、はるたんにキスをする場面では、“裏切られた”と牧くんを拒絶し傷つける言葉を吐はるたんに対して、“ちず”が“普通”怒る。速攻平手打ちをする。でもそれは牧くんというセクシャルマイノリティの悲しみに寄り添って怒るのではない、普通”に“当たり前”に“はるたんそりゃおかしいでしょう!”と怒るのだ。
はるたんも、そこで無駄な“悩み”を始めない。即座に牧くんの元に走り、素直に“そうだよな。ごめん。”となるのだ。

セクシャルマイノリティの中では、このドラマが差別を助長するという意見もあるそうだ。私が見聞きしたのはこんな反応だった。

「ドラマの中で牧くんの元彼で、はるたんの上司でもある武川が牧くんに復縁を迫り“あっち側の人間を好きになっても、幸せにはなれない”と言う場面があったが、“あっち側”という言い方は差別だ」
「牧くんにはるたんがキスをされ、気持ち悪がるシーンは完全に差別だ」

前出の指摘のシーンは、ドラマの中でマジョリティが想像するセクマイの“ステレオタイプの現実” セクシャルマイノリティの悲哀を描くためのものではないように私は思った。元彼を心配し、未だにその想いを拭えない男の声、恋愛ドラマにおける鉄板ともいえる主人公に片思いする人の声だ。武川さんは、はるたんの気持ちを気が付かせる存在となり、それはラブコメには必然なシーンとして君臨する。こちらもけして“きわもの”的な存在として、ストーリーに刺激与えるためだけに存在するものではない。だから意味がある。

後者の指摘の場面の先にはこんな展開があった。キスをされたはるたんは、翌週には自分から牧くんにキスをする。キスをされたことを葛藤する姿はメイントピックではない。牧くんの唇の感触が残る自分の唇を押さえながら“あれっ”と首をかしげながらも、ドラマでは不動産の営業マンとしての日常に戻り、その中でのハプニングを描く。そして「一緒に暮らすことって何?」とか「2人で未来を見る」というセクマイであろうとなかろうと関係ないそのトピックスに導き、観るものに“何か”残す。観る者を見事に“私”にさせる。トピックスを描くための“添え物”としてのキスを使うことはなく、視聴者はそのシーンを自然な流れで観る。そしてドラマは毎話、 “私”に向かってまっすぐに“?”と“共感”を残すトピックスを視聴者に差し出す。

きっと「なんでこのシーンを違和感なく観られるんだろう」と考えたセクシャルマイノリティではない人もいたのではないだろうか。でもそれってすごいことではないだろうか。

そしてこのドラマ、トキメキの宝庫だった。私はラブコメが大好きだ。「おっさんずラブ」は実にキュンキュンさせてくれた。私の勝手なラブコメ評論になってしまうが、キュンキュンに必要なの、テンポ感、丁寧に登場人物のキャラクター作り、その上で登場人物の細かい表情や台詞、動き・・・それがしっかりしていればするほどキュンキュンポイントは鋭く甘いものになる。
このドラマにはそれらがぎっしり詰まっていて、演じる俳優も見事にキュンキュンポイントを表現していた。

そして、ラブコメにはやはり笑い。誰かを陥れ笑わせるのでなく、演技で脚本で、演出で、小道具で、照明で・・・すべてのキャストの技で笑わせてくれた。

「“ノンケ”がゲイをこんな風に好きになるはずがない。非現実的過ぎる」といった批判もあったそうだが、この批判がもっともわけがわからなかった。少なくとも私には経験があるし・・・というか、ラブコメに現実など必要ないはずだし・・・。ドラマに何を求めているのでしょう?この意見の主達はと思った。

とはいっても、このドラマはけして非現実的なものではなかったと私は思う。職場でこんなにセクシャルマイノリティ率が高すぎる、理解があり過ぎる、差別されなさ過ぎる・・・など、たしかに設定に非現実的な所はあるかもしれないが、このドラマにはリアリティーが常にあるように感じだ。

最終回は、牧くんと別れたはるたんが、上司のおっさんと結婚することになり“結婚って何?”と考える。“同性との結婚って何?”ではけしてない。そこを吹っ飛ばして“結婚って何?”なのだ。観ている私も改めて考える“結婚って何だろう?

SNSではどんな反応をしているかと見ていると“同性婚”が話題になっているわけでもない。たぶんセクシャルマイノリティではない人も、リアリティーがあるからこそすんなりこのトピックスに入っていけたのだろう。はるたんが出した“結婚”とは何かの答えに、祝福の声を上げつつセクシャルマイノリティだろうがなかろうが考えさせられる。「私が求める結婚とはどんな形なのか?」と。

最終回まで積み上げられる一話一話のトピックに、共感と“誰かと生きる”ことを考える人が経験しそうな疑問が視聴者に向かって投げられる。そこにセクマイかセクマイじゃないかは不問なのだ。

このドラマを生んだ一人、プロデューサーがどんな人なのか気になった。北原みのりさんのAERAでの記事を読んでみた。プロデューサーの女性の疑問、周りにある状況から発案した“あくまでも「私たち」の恋バナ”を描いたドラマだと書かれた記事を読んで、私は腑に落ちた。

やはりのラブコメだったのだ。しかも夢物語ではない、現実とリンクしたラブコメ。そして“あくまでも「私たち」の恋バナ”の「私たち」にセクシャリティは関係ない。その“不問”具合が自然で、気負いなく、だから優しい。

過剰に作り手側がセクシャルマイノリティに気をつかっているわけでもなく、頭でっかちにセクシャルマイノリティの気持ち考えるのでもなく、“普通に”「こんなことされたら(言われたら)誰だって嫌でしょう」という感覚でジャッジして作っていたからこそドラマからその“何か”が滲み出たのだろう。

そういう人が自分の周りにいる時、どんなに励まされるだろう。そんな風にも思った。

「おっさんずラブ」ありがとう。

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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