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先日、性別適応手術で初の公的保険適用となる手術が、岡山大病院で行われたそうだ。とはいっても、ニュースを見る限り、この適用には条件があるようだ。

4月から、性別適応手術が公的医療保険の適用となったものの、
自費で、治療費を払うよう決められているホルモン療法のような自由診療を受けている場合、自由診療との併用を原則禁じた「混合診療」に該当するために、性別適応手術も保険がきかなくなるというのだ。

今回手術を受けたFTMの方は、ホルモン療法を受けていない状態での乳房除去手術だったために、公的保険が使え、国内初の3割負担となった。

このニュースを読んで、私は?がいっぱいだった。私の時は、ホルモン療法を受けていない状態での乳房除去はできなかったはずなのだ。そこで、「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン」の最新版を読んでみた。

性同一性障害に関する診断と治療には、ざっくりと分けて2つの段階がある。精神科医が本当に“性同一性障害”なのかを診断し、本格的な医療による治療に本人が耐えられるか、身体に起きる変化に精神的に対応できるか、周辺の人から理解を得られるか、などを複合的に診断するのが第一段階。その後、ようやく本格的な医療を受けることができる。

変わっていたのはその2段階目。私の頃は、第一段階を経て、まずはホルモン療法を始める。その後、身体の変化に適応できているかを精神科医がチェックし、倫理委員会からOKサインをもらい、ようやく性別適応手術を受けられるという流れだった。今は、ホルモン療法を受けずに乳房切除もできるというのだ。

20年ぶりにガイドラインを読んで、あらゆる患者に対応できる、患者の意思が反映される治療を受けられるガイドライン作りにしようとする熱意が伝わってきた。私の時には、最後まで手術を望む気概がなければ、第一段階で“偽物”と言われるじゃないかという雰囲気があり、自分の意思や不安よりもガイドラインに沿って、いかに“FTM”らしく迅速に進めるかがすべてであった。

私は手術を1ヶ月に控えたある日、控えめに担当医師に卵子の保存を頼んだ。「卵子とって保存できないですかね〜」
「子宮もったいないんで、だれかにあげられないですかね?子宮移植とかないんですか?」
FTMの突然の質問に、いずれも「ありえないでしょう」的な対応で速効断られた。
まだ異性間の夫婦関係の間で行われる卵子凍結保存も、公には語られなかった時期だった。

その質問と同時に、私は、医療の制裁として、“あなたは偽物だから手術は延期”などと言われるのでないか心配し、勝手にドキドキした。
なぜ私は、その問いを声に出したかったのだろう。

その頃、子供を持つなどと考えたことがなかった。“普通”に生きるのに精一杯で、“普通”を手にすることが輝かしい未来だった。その未来に“子供を持てる”などといった想像はなく、妄想でさえすることができなかった。そして“妊娠する人”=“オンナ”という行程式の中で、私がそれを選択することは、自分を否定することでもあったのだろう。

あの時の診察室の窓には、木々がきらきらと揺れていた。静かに流れる時間の中で、白い部屋の向こうに揺れる緑が綺麗だったこと、“子宮”や“卵子”の可能性についてふいに考え、口に出した時の気持ちが、今でも写真のように心に残っている。

胸の膨らみを潰すベルトの辛さからの解放、新しい承認を得られる喜びは晴れ晴れとしたものだった。生殖能力を断つことへの迷いなどそれまではまったくなかった。でも、ついにその時という瞬間、私は子宮や卵巣を捨てることをほんの少し躊躇したのかもしれない。そう、手術の前日の夜も、“もう子供と会えなくなるんだ”ということを実感したんだっけ。

去年、アメリカのFTMの方が、男性のパートナーとの子供を妊娠したというニュースが流れた。妊娠したのは、生殖器を残す選択をし、髭をはやし、男性として生きているFTMだ。

現在の日本のガイドラインでは、生殖能力を持つ人は、“性別適応手術”としての乳房切除を行うことができない。しかし、このような選択ができるなら、できたなら、もし、私に生殖能力がるのなら、今、私は子供がほしい。でももし、“子供がほしい”“ほしくない”ということも含め、FTMに多くのバリエーションが選択できるようになったら、バリエーションが増えるれば増えるほど、“FTMとは何なのか”という定義は、非常に曖昧になる。FTMって何だろう?自分が何者なのかわからなくなる人も増えてくるはずだ。

そこでもう一度FTMの定義、どういう人をFTMだと認定するのか、ガイドラインを読み返してみることにした。(一部を抜粋)

①自らの性別に対する不快感・嫌悪感
自分の第一次ならびに第二次性徴から解放されたいと考える。自分が間違った性別に生まれたと確信している。乳房やペニス・精巣などを傷つけたりする。
FTM では声をつぶそうと声帯を傷つけたりする。

②反対の性別に対する強く持続的な同一感
反対の性別になりたいと強く望み,反対の性別として通用する服装や言動をする。ホルモン療法や手術療法によって、でき得る限り反対の性別の身体的特徴を得たいとの願望をもっている。

③反対の性役割を求める
日常生活のなかでも反対の性別として行動する、あるいは行動しようとする。しぐさや身のこなし・言葉づかいなどにも反対の性役割を望み、反映させる。

これ以外にも、細かい取り決めや、定義があるのだが、真剣に考えれば考えるほど、読めば読むほど、性別を定義付けすることはできないのではないかと思えてくる。

例えば③。言葉遣いや身のこなしが性別に繋がるというのは、わかりやすいが、そんな単純なことではないように思える。

ガイドラインだから、線決めをしなくてはならないことはよく理解できる。でも・・・・・。

生殖能力がある者は、性別適合手術を受けることができない。その源流にあるのは、1964年のブルーボーイ事件だ。患者の意思に沿い、診断し、性別適合手術を行った医師に有罪が下された事件だ。現在のガイドラインの冒頭に、この事件は登場する。そして、この事件に下された判決が、今あるガイドラインの基になっていることが、今回よくわかった。

判決を不服とした医師に、東京高等裁判所は、

優性保護法28条「何人も、この法律の規定による場合の他、故なく、生殖を不能にすることを目的として、手術またはレントゲン照射を行ってはならない」

を根拠にして有罪を下した。判決の中で“まだ性転換手術に関する医学的な研究がなされていない中ではあるけれども、性転換手術をするためには、いくつかの条件が必要だ。”とし、“その条件と照らし合わせてみると、治療をした医師の医療行為は認められない”と有罪の理由を述べている。

その後、この判決に沿うように、性別適合手術は長い間、タブーとされてきた。そしてついに、トランスジェンダーと向き合う医療チームが立ち上がった時、作られたガイドライン第一版は、判決時に述べられた条件に沿ったものだった。

生殖と性、あまりに密接すぎる関係に頭がくらくらする。その密接さはシンプルに考えれば当然だが、深く考えてみようとすればするほど、性も生殖もどんどん自分から離れていく感覚に陥る。これって何だろう?

性も生殖も同じ。自分が自分に対峙するものだ。そして断定ではなく、常に流動的な曲線を描き、変動し問いかけるものだ。でもその問いかけに答えを出そうとするものはいつも社会だ。

自分のセクシャリティと向き合い、理想の生き方を手にしようとしている人達の歩みよ!進め!という想いとは別に、“社会”に取り囲まれていく不気味さも拭えない。しかし、その社会には、当事者の声を聞き、医療のガイドラインを変えていこうとする医療チームの人々もいる。

考えなければならないと思う。私達一人一人がセクシャリティを、性を生殖を考えることが、何かを動かせる力になることを。

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アンティル

アンティル(あんてぃる)

ラブローター命のFTM。
数年前「性同一性障害」のことを新聞で読み、「私って、コレかも」と思い、新聞を手に埼玉医大に行くが、「ジェンダー」も「FTM」という言葉も知らず、医者に「もっと勉強してきなさい」と追い返される。「自分のことなのに・・・どうして勉強しなくちゃいけないの?」とモヤモヤした気持ちを抱えながら、FTMのことを勉強。 二丁目は大好きだったが、「女らしくない」自分の居場所はレズビアン仲間たちの中にもないように感じていた。「性同一性障害」と自認し、子宮摘出手術&ホルモン治療を受ける。
エッセーは「これって本当にあったこと?」 とよく聞かれますが、全て・・・実話です!。2005年~ぶんか社の「本当にあった笑える話 ピンキー」で、マンガ家坂井恵理さんがマンガ化! 

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