セクシャル・パワーハラスメントについて話す時がきたみたいだ。
これはとっても重いテーマで、実は2017年の5月からこのテーマについて書こうと思いながら、今日に至ってもどう書けばいいのだろうかと苦戦している。
でも、この記事を書こうともがいていた8ヵ月の間に、まさにこの問題のパンドラの箱が、日本、台湾、ハリウッド……と世界中で開かれていった。
高い地位にある人が自身の権力を武器にパワーハラスメントや性的暴力を行うことは、国境を越え、何世代にもわたって続いてきた。
それは、世界中の女の子たちにとって日常のことだ。私たちが責任を持たされているのは自分自身の体だけではない。私たちは、男性の、とりわけ自分よりも力を持った男性の欲望までもを警戒せざるを得ない状況にある。このことを、今一度しっかり考えないといけないと思う。
2017年は様々なセクシャルハラスメント問題が明るみになった年だった。
セクシャル・パワーハラスメントは背景や形は違っても、それ自体が大変な苦しみをもたらす。さらに社会がその問題にどう取り組むかが問われる問題でもある。
2017年5月、台湾で人気急上昇の作家、Ms. Yi-Han Linが26歳で本を出版した。その本は、13歳の女子中学生が50歳の塾の教師に性的暴行を受けるというストーリーだ。
小説には、未成年の生徒たちを計画的に何度も誘惑し続けている教師グループの存在が書かれていた。その絶望的な状況の中で必死にどうにか対処しようとする少女たちの姿も。
本はベストセラーになった。Ms. Linは出版の際のインタビューで、そういった教師たちが教師であることを利用して、どのように未成年の生徒たちを誘惑しているかについて語った。彼らが武器にしているのは腐敗した学校教育や、まさに私たちが学ぶ『価値観』そのものでもあるのだと。
インタビューから間もなく、彼女は自らの命を絶った。
そして、小説に書かれたことは彼女自身が中学時代に経験したことだった、と悲しみに暮れる家族が発表した。Ms. Linはその出来事が原因で重度のうつ病に苦しみ続けていた。
悲しみと、教育制度に対する怒りが台湾社会、メディア、ネット上に瞬く間に広がり、数日のうちに彼女に被害を与えた教師が特定された。
メディアと司法当局がMs. Linのこの悲劇的な事件のさらなる証拠探しと事実解明に向けて奔走している間も、台湾の市民社会と教育界では、彼女の小説や台湾社会の抱える問題が様々な角度から議論され続けた。
一方でメディアでは、その教師の他の被害者たちにも、Ms. Linの上告と彼女たち自身のために名乗り出てほしいと呼びかけがされ続けた。
この二カ月間、台湾社会全体が“社会と教育制度にはびこるパワハラ・セクハラ腫瘍”と必死に向き合わざるを得なかった。議論はあらゆる角度から繰り返し激しく続けられた。
しかし、Ms.Lin以外にこの訴訟に名乗り出た被害者は一人もいなかった。
悲痛な結果がでたのは8月末。直接的な証拠が十分でなく、10年以上前に起こった事件であったことが原因となり、犯人である教師に対する罪は立証されず、最終的に教師自身がその罪を認めたにもかからわず、彼は自由の身となって歩き去っていった。恥を背負いながら。
この結果は、事件を見守っていた台湾の人々に深いショックと絶望感をもたらした。Ms. Linは素晴らしい作家だった。彼女は生々しく性暴力の被害者である自らの苦しみと葛藤を描き、台湾の教育と司法が被害者ではなく、加害者を支援しているという問題点を浮き彫りにした。
2017年7月に入って間もなく、日本でもある事件が起こった。TBSの上層部にいた(当時のワシントン支局長)山口敬之氏が、伊藤詩織さんという若いジャーナリストの意識を失わせ、レイプをしたと被害者本人によって告発されたのだ。今までの日本のレイプ被害者と異なり、詩織さんは声を上げた。
被害者の詩織さんは、記者会見を開き、落ち着いて、しかしはっきと山口敬之氏を告発した。安倍首相との強いつながりで知られる山口氏は、知名度の高いジャーナリストだ。
なによりも、レイプ被害者自身が自らの意思で、実名で、顔をだして声を上げたことに日本中が衝撃を受けた。
私も衝撃を受けた。ただそれは、メディアがどのように記者会見を報道したかという点でだ。台湾と違って、日本では事件そのものよりも、被害者である彼女自身が声を上げたことがマスコミに注目された。
詩織さんに起こった事実がメディアによって明らかになると、マスコミは彼女のバックグラウンドや、着ていた服、なぜ実名で名乗り出ることを決めたのか、とうことにばかり注目した。
山口敬之は答弁で、性暴力加害者がよく言うように、あれは『合意』があってのことだったと主張。『合意があった』、これは性暴力加害者にとって最も便利な言葉だ。
さらにこのニュースが、正しく広く報道されることはなかった(当時は相撲業界における勢力問題の方にばかり注目が集まっていた)。
つまり、山口敬之は詩織さんに対し、ただ単にパワーハラスメントを行っただけではなく、自分の地位を利用して、日本のメディア全体に対してもパワーハラスメントを行ったんだと思う。
そして社会がこの問題をいとも簡単に無視したという事実に、私は強い憤りを感じている。
一方世界に目を向けると、ハラスメントと闘いの話題が、権力のまさに中心地から世界を駆け巡り始めている。
事の起こりは2017年10月。ウッディ・アレンの息子として知られ、ニューヨーカーのジャーナリストであるローナン・ファローが、ハリウッドの大御所プロディーサーであるハーヴェイ・ワインスタインの今までのセクハラを告発した。
彼の励ましで、13名の女性が名乗り出た。その中には有名なハリウッド女優達も数多くいた。そして彼女たちはハーヴィ・ワインスタインの長年繰り返されたパワーハラスメントの実態を告発。
それが引き金となり、セックススキャンダルとそれを告発する動きがハリウッドの中で始まった。毎日のように、著名なプロデューサーや映画監督、俳優など力を持った男性による加害が告発されていった。下品なカルヴァン主義的メンタリティが検証される時がやってきたのだ。これがきっかけとなり、このセクシャル・パワーハラスメントというこの問題に激怒した女性たちや、こういった状況に今現在、または過去に苦しめられていた女性たちが立ち上がりはじめた。
数週間後、#metoo (ミートゥー:私も)ムーヴメントがソーシャルメディアを通して開始された。24時間で500万人もの人々が世界中で声を上げ、1200万回も広められた。ハリウッドからスポーツ界まで、#metooでつながった世界中の女性たちは日々声を上げ始めた。
ここまできて、今や世界もこの事実を直視せざるを得なくなった。タブーとされ口にされることの無かったこの腐敗した文化が何世紀も続いているという現実を。
さらにこのムーヴメントが始まってから数ヵ月後、今度はローナン・ファローの姉のディラン・ファローが、幼少期から受けていた父親からの性的虐待について語り始めた。彼女の父親とは、ハリウッドで知らぬ人はいない、ウッディ・アレンである。
セレブの両親の下で、姉が義父(ローナンの実父)に性的虐待を受け、もう一人の姉も義父のウッディ・アレンと最終的に結婚するという、複雑な環境で育ったローナンは、性的被害の犠牲者と家族の苦しみ、そしてまさに自分の父親がそうであったように、告発された加害者がどのように権力を行使するのかを目の当たりにしてきた。
ローナンは芸能界がどういったルールでまわっているか、そこで被害者が正義を求めることがどれだけ難しいかを熟知していた。女性が声を上げることの難しさを誰よりもしっていたローナンは、徹底的に証拠を集め、被害者に立ち上がるよう説得した。
この告発に共鳴するように、力強い反応が次々と始まっていった。男性優位主義メンタリティーの文化から、被害者の側に立っていない司法の問題点までが議論され、注目を浴びるようになった。
この状況を変えようと立ち上がったのが男性であったという点でも革新的だった。
昨年の12月には、スウェーデンで性的暴行(レイプ)事件捜査を行う際の法律が改正された。性的暴行(レイプ)事件の被害者が性的被害にあったことを証明する今までの方法ではなく、加害者が性的加害はなかったということを証明するやり方に変わり、それが証明ができなければ被告人は有罪となる。
被害者の視点と人間性が深く考慮されたこの法律は、私たちの歴史始まって以来のものだ。
世界中のレイプ被害者たちが怯えて声を上げられない状況を鑑みれば、この画期的な方法は被害者たちが恐怖に怯えることなく体験を伝える手助となるはずだ。こうしてスウェーデンでは、こういった犯罪が今までとはまったく違う視点から捉えられるようになった。
この流れがアジアに広がるまでに、一体どれ程の時間が必要になるんだろうと思ってしまうけれど、私は変化は起きていると信じている。
アメリカでは性的暴行事件において、警察に被害届を提出する被害者は30%。一方日本でその数は4%以下だ。これが社会の違いだ。だから、詩織さんのような人が、自分がどんな不利な立場に立たされるか知りながらも闘いに立ち上がったことに、私は敬意を表したい。とてつもない勇気と、社会を変えるんだという力強い意志がなければ、立ち上げることなんてできないのだから。
世界中で今広がっている流れと、詩織さんが経験しているこの状況を比べると、なぜ同じテーマが議論されているのに、向かう方向がこんなに違ってしまうのかと思わずにはいられない。
ハリウッドでは性暴力反対の運動へ賛同を表明するために、皆がそろって黒い衣装でゴールデングローブ賞に出席した。一方、詩織さんはたった一人でメディアに向かいたって、声を上げ続けている。何度も何度も、一人きりで。
詩織さんが立ち上がっているのは、自分の身に起きた不幸な出来事のためだけじゃない。そうなりうる可能性を持った私たちみんなのために立ち上がっていることを、私たちはしっかり理解しなくてはいけない。この話題に、もっと注意を寄せて、支えるべきじゃない?だってそれは私たち自身のためでもあるし、次の世代のためでもあるのだから。
日本社会から、ローナン・ファローのように女性のために声を上げることができる理解を持った男性が現れるかどうかは分からない。けれど、私たち女性は、自分たちのためにみんなで立ち上がって声を上げ続けるべき。
心を病んでしまったMs. Linは、小説の中で言っている。「人類史上最も悲惨な大量虐殺は、まさに何世紀にもわたって少女たちが経験してきたことだ」と。
オプラ・ウィンフリーがゴールデングローブ賞授賞式のスピーチで述べたように、「新しい日々がもう地平線のすぐそばまで来ている」のだと、心から信じたい。でもそのためには私たち全員が立ち上がって、どうやって権力に立ち向かうのかという問題から、子供の教育に至るまで、様々な分野で変化を作り出していかなければ。
詩織さんのような被害者の側に共に立ち、声を上げることのできる女性たちを一緒にエンパワーしていこう。彼女たちは、より良い明日を私たちにもたらすための闘いの前線に自らを置くことを決意した人たちなのだから。
台湾社会も徐々に気づき始めている。Ms. Linには遅すぎて届かなかったけれども、きっと、同じようなパワーハラスメントに直面している少女たちには届いているんじゃないだろうか。
日本の皆さんにお願いしたい。もっと詩織さんを支えてほしい。同じ境遇に立たされている多くの少女たちが、自分自身で立ち上がろうとするその前に、日本社会がこの問題にどう取り組んでいくのかを今まさに見ているはずだ。
私たちが行動することで、性被害者の人々がもっとパワーを得て、支持されるようになってほしい。
そして、私たち自身が変化を受け入れることができるようになっていきたい。