No Women No Music 第14夜 ビート、ライオット・ガール、そしてスリーター・キニー
2015.03.09
昨年ジャック・ケルアックの「オン・ザ・ロード」という映画が公開された前後、ビート・ジェネレーションと関わる女性詩人たちについて学ぶ機会を得た。そこでアン・ウォールドマンという女性の書いた「早口女―マリア・サビーナへのオマージュ」from Fast Speaking Woman という詩を読んだとき、これはライオット・ガールの先駆けではないかとふと思ったりした。
〈どうやって叫ぶかわかってる/どうやって歌うかわかってる/どうやって寝るかわかってる〉。
早口で自分の言いたいことをいう、多くの男たちが煙たがる女、それをあえて叫ぶ、〈女は空から傲慢な自我を取り出した〉と。
ビート詩人の女性ダイアン・ディ・プリマは若い世代に影響を持ち続けるビート文学のメッセージを「自分自身の人生をつくること、人生に自分だけの定義をすること。社会の規範に従わないで生きること。意識とアートを探求すること」と述べている。
ディ・プリマは1950年代において、結婚は望まず、特定の男性と暮らすことも望まず、シングルマザーとして子を産み育てることを選択した。『現代アメリカ女性詩集』(思潮社)で取り上げられているこれらのビート女性詩人たちは、限りなくフェミニズムに近い。
彼女たちが最も影響を受けたであろうアレン・キンズバーグ、そのビート文学の巨人の思想は彼女たちにとっていかなる共鳴をもたらしたのだろうか。のちビート関連の彼女たちは概ね禅や仏教、エコロジカルの世界へ向かいフェミニズム的なものと一線を画していく。しかしガリ版で詩を刷り朗読会を催していく、ビート界隈で繰り広げられていた草の根的なムーブメントは、90年代以
降、第3波フェミニズムを支えたガールズ・ジンのムーブメントに少なからず影響を与えてはいないだろうか。
そんなガールズ・ジン・ブームが沸き起こったころロックミュージックの世界では「フェミニズム」を主張するライオット・ガールのムーブメントが米シアトル近郊のオリンピアから始まった。
かつての私にとってフェミニズムはどこか学問的な雰囲気のハードルを感じさせた。その垣根を楽しくエイッと越えさせてくれたのがこのライオット・ガールだ。
身近なフェミニズム、等身大のフェミニズム。そこにかっこいいゴリゴリのガレージ・パンク・ロック。そんなライオット・ガールムーブメントを牽引し、2006年に活動休止したスリーター・キニー Sleater Kinney が10年ぶりに復活した。
ニューアルバム“NO CITIES TO LOVE”。
1曲目からの圧倒的なエネルギーを携えた激しいロックに身体が呼応する。スピーカーから発する彼女たちのロックに首が前後に、上半身が上下に動きだす。心はライブ会場で飛び跳ねている。その熱いビートはアルバムのラストまで全く緩みなく駆け抜ける。忘れかけていた荒ぶる感情を、いつしか抑圧していた熱い鼓動をスリーター・キニーのオンナ3人が奏でるロックが呼び覚ます。
1994年にコリン・タッカー、キャリー・ブラウンスタイン、ジャネット・ウェイスで結成されたスリーター・キニー。長期のブランクを経てよみがえったサウンドは、それぞれが体験した人生経験に比例するかのような強さと逞しさが何倍にも増している。
周辺は邪悪が巨悪と化し世界は殺伐としていく、そんななかひるまないで、足元をすくわれないでたたかっていこう、たくさんの代償をはらってきた分さらに強くなっているはず、とボールを投げこまれたかのようにズバンと来る。
ライオット・ガールはオンナであるが故の抑圧からの自由と解放の象徴だった。この“NO CITIES TO LOVE”は、自由と解放のさらなる先へと今現在の足元をしっかりと踏みしめながら深く厚く進んで行く。
2011年、ロシアではフェミニスト・ガールズ・バンドのプッシー・ライオットPussy Riotが誕生した。プーチン政権を批判し逮捕されその抗議の輪は全世界に広がった。そんな彼女たちの新曲「息ができない」I Can’t Breatheも先月リリースされた。
2012年にはインド北部ジャンムー・カシミール州で女子高校生3人によるプラガーシュというガールズ・バンドがインドで初めて誕生した(彼女たちは保守勢力からの脅迫により翌年には解散を余儀なくされるが)。
ロックを聴くことも奏でることもオンナにはままならない世界の至る国々で、かつてライオット・ガールたちが放った自由と解放の種子が萌芽しているようだ。