着任してひと月ほど経った8月のある日、私を含む同期4人は課長によって応接室に集められた。私と、同時に異動してきたつばさちゃん、それと元々いた営業職の男と、普段は窓口に座っている子、以上合計4人である。
課長は相変わらず吉田栄作にめちゃくちゃ似ていて、やっぱり本物に比べて皮膚に油っ気が無い。
「通達があって、君たちには二人一組でペーパードライバー研修を受けてもらいます」
本部で決められたことは『通達』という形で行員全員がアクセスできるポータルサイトに公開されるのだが、その通達には見覚えが無い。誰かが話題に挙げていた記憶も無い。私の運転スキルのヤバさは、身を以て実感した同期が異動して行く直前まで吹聴してまわったので、支店全員の知る所となり、私は暴走族のような二つ名を付けられていた。
「でも課長、ペーパードライバーって、私、普通に運転してるんですけど」
そう、同期の男が困惑した様子で言い、窓口の子も頷いた。彼女はそもそも自動車を貸与されていないので「なぜ私が」の意思表示だろう。
「ウン、そーゆー子もいるとは思うんだけどね、全体的に、君たちの代はペーパードライバー率が高いみたいなんだよね。ま、本部が言ってるだけだから、俺もよくわかんないんだけどさ」
印刷した通達をパサッと置き、課長は頬杖をついて私とつばさちゃんを見た。
言うまでも無く、今見られた二人は『異動の時有利になるようにと上司によってペーパードライバーであることが隠匿されていた隠れペーパードライバー』だ。
今回の全国的かつ大規模な異動で、そういった隠れペーパードライバーがごまんと現れたのであろう。もっと言えば、たぶん、どこかの支店の隠れペーパードライバーが既に事故を起こしたのかも知れない。
そうして、セミがジャンジャン鳴く千葉県の教習所に、私とつばさちゃんは「若手行員ペーパードライバー業務研修」という名目で送り込まれたのであった。
課長に渡された受講案内によると、教習所まで徒歩35分。しかしつばさちゃんの遅刻によって一時間に1本しかない送迎バスに乗り遅れた私たちは、タクシー乗り場でいつ来るとも知れないタクシーを待っていた。
「絶対、もう、既に事故った同期がいるんだよ」
どこかの支店に、と私が続けると、つばさちゃんは「あー、この講習ね」と頷いた。
「だって私、ペーパードライバーじゃないってことにされてたの、マジで聞いてなかったもん」
私がかつての上司を批判する気満々で話し始めると、つばさちゃんは「ふへへ」と妙な声で笑った。ばつが悪そうな顔をしている。
「言ってなかったけど、私、自分の軽自動車、へこませちゃった」
「えっ」
「バックで駐車してて、そのまま後ろにぶつけちゃったの」
恥ずかしそうに笑うつばさちゃんは、何だかとてもカワイイ。
「ダッシュで課長に言いに行ったら一緒に見に来て、『まっ、これくらいなら目立たないしいーんじゃない』って」
「適当だなぁ」
「着任した翌日だったから、印象サイアクだよ」
「いや、つばさちゃんは素直に報告してるから偉いよ」
何を隠そう私も駐車場で目算を誤り、門扉の鉄柱にドアを思い切りぶつけていた。目立たない所の塗装が一部、完全に剥げている。
「菊池ちゃんもぶつけたの?」
「うん。でも、報告してない。今初めて言った」
つばさちゃんはあまり裏表がないタイプの素直ないい子で、間違えるとすぐに謝るしミスを隠そうとしない。
私は何故か、そんなつばさちゃんには自分のミスをバラしてしまう。
講習は半日で終わった。
先にマークシート方式の適性テストを済ませ、その後、教官と私たち3人一組で教習車に乗って教官に支持されるがままに15分ほど運転する。運転している間にテストの結果が印刷され、教習所に戻ってきたら修了証を交付されておしまいだ。
私のテストの分析結果は、以下のとおりである。
【運転タイプ】
安全運転タイプ
運転適性度 4 (評価5~1)
安全運転度 B (評価A~E)
【性格分析】
いつも自分が正しいと思いがちである。相手の気持ちを汲み取ることが苦手で、自分本位になりがちなところがある。事故を起こさないように、くれぐれも気をつけさせる必要がある。
【良い点】
状況判断の能力にすぐれている。
問題場面に対処する知的活動力がすぐれている。
環境の変化にうまくあわせることができる。
運転マナーが良好で、他車の迷惑になるようなことはしない。
【注意点】
自分を中心にして物事を考えがちである。相手の立場を考えた運転を心がけるように指導することが必要。
ふだんは穏やかだが、時々気分が乱れることがある。
非常にまじめな人か、背伸びをしたがる人のいずれかである。後者の可能性が強い。
【特徴】
1)目立ちたがりやで、わがままな面もある。
2)繊細なところと、鈍感なところがある。
3)自分を強く主張する。
運転タイプを「要注意タイプ」に分類されショックを受けているつばさちゃんの横で、私は15項目ある測定項目の評価を舐めるように確認した。「虚飾性」と「自己中心性」がD評価であった。わがままでうそつきだと診断されている。
「菊池ちゃん、どうだった? 私、安全運転だが重大事故もしくはもらい事故タイプに変わる可能性があるとか書かれてるよぉ」
「私なんか、わがままでうそつきって書かれてる」
「えっ、そんなことまでわかるの?」
つばさちゃんは素っ頓狂な声をあげてわたしの紙を覗き込み、「安全運転タイプじゃん、いーなー」と言った。「あっごめん、見ちゃった。私のも見ていいよ」とも。
私は自分のいびつな円グラフとつばさちゃんの小ぶりだけれど均整のとれた円グラフを見比べ、こりゃあダメだ、と思った。
これは運転だけじゃなくて、私という人間の全てだな、と。
ガバガバの情報管理で、診断書は自分で持ち帰り、週明けに課長に提出する、ということになっていた。
私とつばさちゃんが読んでショックを受けていたのは、本来は課長に直接渡る筈の管理者用診断書である。
封緘も何もされていない。わたしとつばさちゃんは帰りの電車で、お互いの欠点を余すところなくさらけ出したA3の厚紙を熟読した。
タイミング良く、翌日の昼は山田仕郎と会う約束だったので、「虚飾性」と「自己中心性」にD評価をくらった診断結果を持って行った。
結婚式の打ち合わせとは別に、気をきかせた恵美子さんが予定を決めて、土日のうち月に何回は恵美子さんのマンションで食事をすることになっていた。
毎回、不自然に二人きりにされる瞬間がある。その日も、山田仕郎と二人きりになった瞬間に「昨日ペーパードライバー研修行ったんですけど」と話題を振ってみた。
「なんか、適性診断みたいなマークシート受けたんですけれど、あまりにも鋭く切り込んでくる診断結果でびっくりしちゃって」
「適性診断ですか」
「何十問もある質問に答えると、人間性があぶりだされる、みたいな」
「人間性ですか」
「そうです」
こんな風に毎回おうむ返しに返されていては、話が進まない。
「ちょっと見てくださいよ、これ」
と診断結果を出そうとすると、ちらっと見るなり山田仕郎は「いや、それは遠慮しておきましょうか」と言った。
まさかこのタイミングで遠慮されるとは思わなかった。