おざなりな辞令が下されたその日、私は会社を出るとすぐにお花ちゃんに電話をかけた。
『よう、デブ』
かけてワンコールで電話に出てくれるのはお花ちゃんの素晴らしいところだ。漏れなく、何のクッションも無く飛び出す暴言がついてくる。
「お花ちゃん大変だ」
『デブすぎて爆発した?』
「わたし異動先がK支店だった」
下らない小ボケは無視だ。大ニュースのつもりで伝えたのに、一瞬の間を置いて、電話口の向こうにお花ちゃんがバカ笑いする声が響いた。私はムッとして「笑い事じゃないんだけど」と言った。
『いや、面白いだろ』
「なんも面白くないよ」
『そ~か? K駅とかマジでウケるわ。俺今からK駅行くけど』
「なんで?」
尋ねながら理由を思い出した。お花ちゃんのバイト先のコンビニは、K駅の駅前だ。
『なんでって、仕事。そういや今日一緒に入るヤツがさぁ』
お花ちゃんが話す「今夜のシフトで一緒のヤザキ君が、電話で別れ話の最中にリストカット実況を始めた彼女の家まで車で行き応急処置をした後家じゅうの刃物をゴミ袋に詰め込んだのだけれど、箸とフォークはどうすべきか迷った挙句結局全部捨てた」というどうしようもない話に、私は「箸もフォークも凶器になるから捨てて正解だよ」と言った。
「そういや、ドラマだけど、凍ったヤリイカで刺されてた人いたよ」
『イカもあぶねーな』
「いや、ドラマの中のお話だよ」
課長に異動先を告げられてから、今、電話をするまでの「号外号外! 次の勤務地は元彼(復縁予定なし)の地元ですぜ!」という勢いづいた気持ちはすっかり落ち着いていた。
冷静になってみても、異動先がお花ちゃんの地元になったことは、今の状態で起こりうる最高に大変な出来事に思えた。でも今、私とお花ちゃんは「イカのどこで刺したのか」という異動と全然関係ないめちゃくちゃ下らない話をしている。
数ヶ月前に山田仕郎とのお見合いがトントン拍子に進んでいることを報告した時、お花ちゃんから提案された折衷案は「せめて結婚するまでは元通りの関係でいたい」だった。あの時お花ちゃんは泣いていた。何もかもが寝耳に水の出来事で、びっくりしたんだと思う。グズグズと鼻を啜っていたお花ちゃんの様子は私は心のHDDにしっかりと録画されていて、いつでも再生可能だった。電話で話したから音声しか知らない筈なのに、脳裏に再生されるお花ちゃんの様子は、映像付きで、あの時、涙でぐしゃぐしゃになったお花ちゃんの面を拝んでやりたい、というむごたらしい気持ちで喋っていた私は、脳内で電話中のお花ちゃんの映像を勝手に補完していた。「せめて」と言い始めた瞬間に、お花ちゃんの涙に濡れた顔がアップになる。
新卒で配属される最初の支店を除いて、ひとつの支店に配属されたら、通常は3年間そこの支店に居続けることになるのが普通だった。睡眠時間を含めても、仕事先にいる時間の方が、家にいる時間よりもずっと長い。四六時中外に出ている営業なら、仕事中にお花ちゃんに会うことなんか簡単だ。
もし、この異動が特に大したことでないのならば、お花ちゃんにとって大変なことなどひとつもないのだろう。
『考えたら、ヤザキの彼女、家にスプーンしかないんだよな』
お花ちゃんののんびりした口調に対し、私は「よくわかんないけど、ヤザキ君のやり方は根本的な解決には全くなってないね」と、知ったふうな口を利いた。私は彼女のことを何も知らないけれど、根本的な部分をどうにかしないと、私もヤザキの彼女も今のまま、どうにもならないだろうと思った。
実際の異動はひと月後で、通常は4日で済ませなければならない引き継ぎに充てる時間はたっぷりあった。
それなのに、公平を期す為に実際の引き継ぎは通常通りの4日間でやるというお達しがあった。
不思議な話だ。ふたつの区にまたがって三百名近い顧客を抱えているのだから、4日間でやろうと思ったら単純計算で一日75名に挨拶しなければならない。そんなの無理だ。ひと月あったら、一日10名程度で済む。現実的な数字だった。
先輩たちが異動の辞令と共に地獄の引き継ぎ期間に突入する様を何度も見ていたが、私は『公平を期す』という意味がよくわからなかった。
「異動になることも、お客さんにはまだ言っちゃ駄目だぞ」
そう課長に言われた私は、平然と食って掛かった。
「ひと月かけた方が丁寧な引継ぎが出来て、後任の方もリレーションが構築しやすいと思うのですが」
しかし恐ろしいことに、課長曰く後任は異動日の4日前にならないとわからないとのことだった。
「俺は言っちゃ駄目だとしか言えないけどな、まぁ、お客さんの心を掴んでるのは菊池だからな」
課長は、後は察してくれ、と言わんばかりにじっと私を見た。
私は「わかりました」と言って、その日から個人的に引継ぎの準備を始めた。
引継ぎの準備と並行して、私は式場探しを始めた。
私は、というか、正しくは、恵美子さんと母が始めた。
「ミナトちゃんの意見ってことで、ママが恵美子さんに式場の候補先伝えておいたわよ」
そう言って母の挙げた候補先には結納に使った恵比寿のホテルも入っていたし、何かと所縁のある赤坂のホテルも入っていた。私と母は別の人格、別の個体の筈だったが、浮かれた母はそれを忘れてしまっていた。恵美子さんも「仕郎の意見です」と言ったかどうかは知らないが、ともかく複数の案がまとまり、ホテルウエディングとレストランウェディングが合計6箇所候補に残った。問い合わせ先の電話番号まで記された母作のリストを眺めていると、何となく全体的に見覚えがある名前ばかりで、思い越せば結納の時に母と恵美子さんとお嬢さんが候補先を散々話し合っていたのだった。
私は粛々と、6箇所分の試食付きのブライダルフェアの予約を入れ、スケジュールをまとめて山田仕郎に送った。震災の日以来のメールだ。あの時返ってきた返信は「緊急事態につき、不要不急のご連絡はご遠慮ください。私は大丈夫です」だった。これは不要不急の連絡ではない。多分。
暫く待っていると返信があった。「了解」の二文字だ。
何だ、何なんだ?
期待をするな、他人に、と自分に言い聞かせてきたが、これは期待とかそういう問題ではないのかも知れない。
「了解」に返信する気も起きず、私はそのまま携帯電話を放り投げた。