週明け、支店の全員がロビーに集まる全体朝礼が終わり、課員だけの短い朝礼の場で課長から「夕方、窓口の勘定が合ったらちょっと話があるから集まるように」という発表があった。
支店長から一言ある全体朝礼は全員がピシッと整列しているが、課の朝礼では課長の机を囲んで半円状にバラバラと立ったまま話を聞く。
課長が発表した不穏な召集に、朝礼の最中にもかかわらず斜め向かいにいたロビン先輩とマミーポコが同時に私を見た。私の隣にいたおじさん(近藤さん)もつられる様に私を見た。近藤さんがあまりにも大きな仕草で私の方を見たので、他のおじさんも私を見た。私は課長を見て知らんぷりをしていた。
課長も近藤さんが引き起こした不自然な視線の移動に気がついたようだったが、やっぱり見て見ぬふりをしていた。
「ちょっと話があるから」という理由は、個々人の営業成績とか支店の評価とは関係の無い話っぽかったし、皆、私が課長に呼ばれて個人面談をしたことを覚えているのだった。
朝礼が終わると、ロビン先輩が寄ってきて、「夕方の件、何だと思う?」と言った。
「いやー、わかりませんねぇ」
本当にわからない。
お見合いの話が来ていることは課長に報告済だが、お客様との個人的なお付き合いに関しては「問題がないわけではない」と曖昧に言われたっきりだったし、たしか、その問題とやらを解決する為に支店長を交えた形だけの面談をセットしたのだった。
「てっきり菊池ちゃんの話なんだと思ったんだけど」
そう言ってロビン先輩は右手人差し指を唇にあて、一瞬考えるような仕草をしてから近藤さんの方を見た。
「近藤さん、朝礼の時、動作が大きいんですよ!」
「ええっ、おれぇ?」
思わぬ流れ弾に当たった感じだ。
「確かに、近藤さん、思いっきり私の方見ましたよね」
「だって、み、みんな菊池さんの方見るもんだから……」
近藤さんがあまりにもタジタジになっているので私とロビン先輩は笑い、近藤さんもすまなさそうに笑った。三人だけで話しているつもりだったが、周囲のおじさんたちも笑っていた。皆、私たちの会話に耳だけで参加していたのだった。
日本のメガバンクは、バブル崩壊後に合併を繰り返して今の姿になった。
合併後の銀行の名前をどうするかは二通りあって、合併前の銀行名をくっつけて残すか、もしくは全然違う新しい名前にする。
前者は、合併した銀行同士の力関係を知らないと名前の順番がわからなくなって混乱するが、どこが合併したのかはわかりやすい。後者は、あそこの銀行って元々はどことどこが合併したんだっけ、と混乱する。でも、(実際はどうであれ)合併前のしがらみとか諸々の問題が全部チャラになった感じはする。
合併の副産物は名前の他にも色々あって、規模が大きい駅の付近では、合併にあわせて支店を統合することができず、ひとつの駅に5つの支店、とかそういう事態になる。
私が配属されてた支店もそうだった。都内の比較的大きな駅だったので、駅周辺に全部で4つ支店があった。
合併も一度では無かったので、恵美子さんのような古いお客様は当時を振り返り、「合併する度に、駅前がどんどん同じ色の看板になって、ちょっと面白かったわね」等と笑っていた。
いざ夕方になって会議が始まると、課長の話は支店の統廃合に関するお知らせであった。
増設された棚のせいで一回り狭くなった会議室の中で、課長は「皆、忙しいのに悪いな」と話を切り出した。
「結論から言うと、うちの支店は運用性商品を売れなくなります」
おじさんたちはざわついたが、私は全然意味がわからなかった。
「菊池、意味わかるか?」
「よくわかりません」
私は何も考えず即答し、隣に座っていたおじさんが私にだけ聞こえるような大きさでため息をついた。
しかし課長は「だよなぁ、俺もわからん。でも決まったことだからな」と言ってちゃんと説明してくれた。
今後、支店は4つのレベルに分けられて、レベル毎にできる業務が決まるそうだ。
事業性融資も運用性商品も販売できる支店とか、融資は住宅ローンだけで運用性商品は販売せず、外回りの営業は置かない支店とか。そして、私たちの支店は、住宅ローンだけの支店になることが決まったらしい。
つまり、外回りの営業である我々は支店的にはお払い箱で、私たちの課は『解散』と言うことだった。
富裕層の顧客を担当する我々のような営業は、そのエリアで一番大きな支店に集めて、各店のお客様ごと一元管理するらしい。
そこまで聞いて、ようやく私は、あっ、そうやって、ゆくゆくは店舗を統廃合するんだな、本部はそういうつもりなんだ、というところまで頭が辿り着いた。
合併前の旧行の区分では、うちの支店は立場が弱い方だった。集約される大きな支店は、立場が強い方の支店だ。
同時に更衣室に上がったロビン先輩、マミーポコ、私の三人は、誰も更衣室に入ってこないをいいことに、暫く話し込んだ。
「ああやって『解散』って言われると、悲しい感じですね」
ロッカーに溜まった新聞紙をまとめながら私が言うと、同じようにロッカーの奥をゴソゴソと探っていたロビン先輩は「ホントよぉ」と頷いた。
「あっちの店の支店長って、凄い、怖いらしいですよね。どうしよう」
マミーポコはしょんぼりしている。
「菊池ちゃんは異動だろうね~」
ロッカーの奥から未開封のペットボトルを引きずりだしたロビン先輩はそう言って、ペットボトルの沈殿物を確かめるように軽く振った。トマトジュースのラベルが巻かれたペットボトルだが、上澄みと沈殿物にはっきり分かれている。振る前に賞味期限を確かめた方が良さそうだ。
「私たちは皆まとめてあっちの店に送られるんだろうけど、菊池ちゃんはこのタイミングで異動でしょ。普通は3年で異動だし、菊池ちゃんの場合は入行店がこの店だから3年以上いられたんだろうし」
そうか、異動か。
賞味期限の記載場所を探してペットボトルを様々な角度に傾けるロビン先輩に「賞味期限だったらキャップの周りに書いてありますよ」と声をかけ、私は積みあがった一週間分の日本経済新聞を見つめた。
となると、結婚式には今の支店の人と次の支店の人、どこまでを呼べばいいんだろうか。
その日の会議室での発表は、大規模な組織改編に巻き込まれる我々を気づかっての『予告』だった。
数日後に支店長からはっきりとした説明があり、課長の話通りになった。
今まで見たことも無い「みんなまとめて異動!」と言った風な辞令が下され、その一団から漏れた私と近藤さんは、課長から別室に呼ばれた。
「二人はな、みんなと一緒には行けない」
「はい」
神妙に頷いた我々に対し、課長は、近藤さんには都内の別の大きな駅を、私には千葉県のとある地名を言った。
「二人とも、支店長のお力添えで、ここより格上の支店に異動だから。菊池は家からちょっと距離あるし、馴染みのない土地だろうけど、まぁ、あれだ、結婚したら近くなるから」
何も知らない近藤さんが「ケッコン!」と言ったが、私はシカトした。
こんな風に、なし崩し的に結婚のことをばらされたことよりも、重大なことが起きていた。
馴染みがないだって? とんでもない。
私の異動先は、お花ちゃんの最寄駅の隣の駅だった。