こないだ赤ちゃんを生みました。「産後だから」という言い訳を使うと、こうやってパソコンで文字を打つ時間がとれない。それで気づいたんだけど、私は文章を打つ時はある程度まとまった、ゴッソリと時間が取れる時じゃないと自分はできない、と自分が思い込んでいることに気づきました。
とにかく、いまは書けることをつれづれなるままに書きたいと思います。
こないだ、土井善晴さんが「クローズアップ現代」に出てました。彼の提唱する「一汁一菜」について。
「一汁一菜」とは。今までは、ごはんに対しておかずは主菜と副菜と汁物があるべき、バランスのとれたおかず構成、材料は30品目を使え、とかって言われてきたけど、それがものすごく、主婦の人たちやごはんを作る人たちの負担になっていて料理そのものが嫌になっちゃってる人が多い。だけどおかずを全部お味噌汁にぶち込んで、つまりごはんとお味噌汁だけの「一汁一菜」で充分じゃないか、と言ってくれたわけです土井善晴が。
去年の10月に土井さんの「一汁一菜でよいという提案」って本が出た時、速攻で買いましたよね。即買いしました。ツイッターでの「一汁一菜でよいという提案」が出版されますよという土井さんのつぶやき。そのタイトルの文字列と、そこに添えられた、お味噌汁とトースト一枚の写真。それを見ただけでぎぎぎぎぎぎーーーーーんと脳天に電気の針が刺さって、強烈な癒やしが全身に駆け巡り、私の血行は3倍速に加速しました。健康にいい、「一汁一菜でよい」という言葉は健康にいいです。
「一汁一菜でよいという提案」は実はまだ開いてません。その言葉だけで、表紙だけで充分私は癒やされて大満足だから、開く必要がないのです。この本が家にあるというその事実だけでもう価格以上の効能を私は得ました。だからしばらく敢えて開かずに置いておきます。
それくらい、この言葉とその概念に私は撃ち抜かれた。そのくらい、私の脳には「バランスのとれた食材、愛情のある食事、心のこもった料理」という想念が電光掲示板みたいに毎日グルグル絶えず流れ続けていた。特に、5年前に子どもが生まれてからは、ノイローゼ状態が定着してしまったと思う。
私はその原因が、夫と分担するとかしないとか、夫婦関係の問題だと何年か思っていた。しかしそろそろ、自分自身が抱えている呪いの問題だと気づき始めた頃だった。土井善晴が「イチジュウイッサイ!」という滅びの呪文を唱えてくれたことで、私は改めて自覚することができた。自分が背負っている、料理に対する義務感の重さを。子どもの成長や発達は母親の料理にかかっている、と謳う食品会社の広告に日々やわらかく確実に心を切り裂かれている事実を。休みなくメニューを考え続け、作り続けなければならない、その過酷すぎる任務に対しての、自分の悲鳴を。押しつぶされそうだった。つうか、押しつぶされていた。土井善晴が石の下にいる私を救ってくれた。
「クローズアップ現代」で、一汁一菜レシピを作っている土井善晴が流れた。パセリとかウインナー、卵とかキャベツを適当に入れて小さい鍋でグツグツ煮る。「ダシは具材から出るから」と味噌を溶かしてできあがり。できあがり!!
工程も見た目も、一人でいる時に自分に作るぐちゃっとしたアレ。自分が食べるだけだからコレでいいや、のアレである。アレが、NHKでわざわざ作り方を紹介してる。有名な料理研究家が作って見せてる。これでいいって言ってる。「一椀の中に主菜と副菜と汁物の要素が全部ある」と、言ってくれてる。こんなに温かい映像、ない。
「クローズアップ現代」の中で、そもそもどうしてそんなに料理が苦しい人が増えてしまったのか、の歴史をやっていた。高度経済成長で専業主婦が増えていた時期、家庭の食卓に一汁三菜や一汁四菜の常識が持ち込まれたという。一汁複数菜、手間暇かけましょう(料理にクギを使いますとか、5時間煮込みますとか)と提唱したのが、土井勝。なんと、土井善晴の実のお父さん。
おいおい、重い石乗っけたのあんたさんのお父さんだったんかーーーい。笑える~。
時代に乗れる土井家の遺伝子。お父さんが蒔いた呪いを解いて回収する息子。無駄がなすぎてもう快感。ヨシハル、もっと解呪(げじゅ)って!
と言いつつ、未だに家族に対して「はい!一汁一菜!」と、ごった煮味噌汁とごはんだけ、というメニューは出したことがない。出せない。まだ私の脳は一汁二菜までしか許可できない。味噌汁の具とおかずの具材は分けてしまう。
だけど変わったことがある。自分一人に作る“人に見せられない”ごはんが、最先端で素敵な食事に見える、思えるようになった。それはもう革命的な現象である。今まではそれを食べても「単なる摂取」だった。一人だとこんなものしか・・・と逆に自分を憂う時間になった。だけど今は、心も充足感を味わえる。
ほんとうに土井善晴は健康にいい。