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第二十二回「Marry me」

菊池ミナト2016.11.25

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 当時、私の音楽生活は、ほぼ全てお花ちゃんが作ってくれたiPodに依存していた。それはお花ちゃんと破局してからも変わらなかった。
 お花ちゃんは音楽配信という時代の流れに逆らって、もの凄い大量にCDを買い集めていた。洋服ダンスかと思ったらCDが隙間なく詰め込まれていたり、床が見えないくらいCDが散乱したりしていた。だいたいどのCDについても、「日本で買うヤツがいなさすぎて流通してない」とお花ちゃんは評し(実際はそんなこともないと思うのだけれど)、ほとんどのCDを海外から個人的に買っていた。ドイツやイギリスからザラザラした段ボールに包まれて、おどろおどろしいロゴのバンド名のCDが大量に届いていた。
 一方私は、普通のCDショップで普通に購入できる、日曜の午後にラジオから流れてくるような、一般のヒットチャートを賑わせているような音楽を聴いて育った。だから、そういうCDが何枚も部屋にあった。そのすべてが恋がどうした、愛はどうした、と言うような内容を歌っていて、お花ちゃんは何故だかそういう音楽を「つまんねー音楽」と一蹴してしまうのでいつも持ち歩いているiPodには恋がどうこうと歌った曲は一曲も入っていない。入っているのは、英語かドイツ語かフィンランド語のデス声で、人生の悲哀と憤懣を叫んだ楽曲ばかりである。
 恵美子さんサイドとの親族顔合わせの夜、帰宅した私は久しぶりに自分のCDを聴いた。いつもiPodからイヤホンで聴いていたので、CDケースを開けてコンポにディスクをセットするのは数か月ぶりだった。
 お花ちゃんとは震災当日に「無事?」とメールを貰い、「無事」と返して以来何も連絡を取っていない。
 そもそも、最後に会った時に私は婚活をする旨宣言しており、対するお花ちゃんからは「頑張れよ」と笑って送り出されていた。実質、破局である。最後に見た、お花ちゃんの余裕しゃくしゃくの笑顔が思い出された。
 アイツ舐めてんな、と思い、私は一人で笑った。

 スピーカーからは日本製のパンクロックが流れていた。
 曲の中では哀れな男が、憧れの女の子の結婚式に参列していた。そして来世を夢想していた。
 もし自分がお金持ちで、顔が良くて、高身長だったら、来世でそう生まれ変わったら、僕と結婚して、と。
 明るくキャッチ―なメロディーと歌詞のダメ男っぷりが私は好きで、よく聴いた曲だった。リピートボタンを押して繰り返し再生しながら、欲しいものがはっきりしているなら現世で頑張ればいいのに、と思った。
 私が欲しいものは、結婚した自分だ。お花ちゃんではない。

 そうして、音楽を流しながらベッドに寝転んで漫画を読んでいると、携帯電話がブーンと震えた。
 もしかして山田仕郎か? そう思って画面を見ると、「花森」とあった。着信だった。
 私は画面を見て、その向こうのお花ちゃんを思い浮かべた。CDが散乱した部屋のベッドの上で寝そべりながら電話をかけているんだろうと思った。
 私は電話に出ながら、「デブ」「ブタ」「ババァ」のうち、今回の第一声は「ババァ」だろうと目星をつけた。
 「もしもし?」
 『ようババァ』
 当たった。
 「どうしたの?」
 『どうもしない』
 予想外の返答に私は「いやいや……」とだけ言って、言葉を失った。どうもしないなんてことは有り得ない。しかしお花ちゃんは本当に何一つ変化のない様子だった。あまりにもいつも通りなので、逆に実際の自分の方が現実味を失っていくような気がした。常軌を逸した感覚に、私は「あはは」と意味もなく笑った。そして続けた。
 「どうもしないなんてことがあるか」
 『いやぁ、でも、ほんとのことだからなぁ』
 「何か用があったんじゃないの?」
 『何にもない』そうお花ちゃんは言い、私は次に「デブ」が来そうな気配を感じ取った。
 『デブ、何してるかと思って』
 また当たった。
 「さっき帰ってきて、音楽聴いてた」
 『どっか出かけてたんかい』
 「出かけてた」と言いながらコンポのボリュームを落とし、CDのジャケットを眺めながら「今日、親族顔合わせだったの。お見合い相手との」と続けた。
 お花ちゃんは電話の向こうで『は?』と言い、『えっ』と言った。それから再び『は?』と言った。
 「私はねぇ、言ったことはちゃんとやる女だから、本当に、あの後婚活して、それでお見合いしたの。自分が欲しいものは、自分で手に入れるから、婚活するって言ったらちゃんと婚活するんだよ。縁談のお話いただいて、釣書き交換して、実際にお見合いして、話が全部きっちりまとまって、今日は、両家の親族顔合わせだったの。わかる?」
 お花ちゃんは静まり返っていた。
 電話の向こうが静かになればなるほど、私は血が沸き立つような心持がした。神経を興奮させるような物質が体内のどこからか分泌されて、全身を駆け巡っているような感じがした。同時に、何故電話なんだろう、という後悔の念がわいた。お花ちゃんの顔が見たい。
 この場合の顔が見たいというのは、恋人的な甘い気持ちとは真逆の、恐らく衝撃を受けているであろうお花ちゃんの面を拝んでやりたい、というむごたらしい気持ちだった。
 びっくりしたでしょうね、私が本当に婚活するなんて、夢にも思ってなかったんだよね、と追い打ちをかける自分を脳内で夢想し、「私ちゃんと言ったよね、婚活するって」とだけ言った。
 神経が高ぶりすぎて、涙が出た。悲しいことなど何一つない。
 不思議なもので、自分が激しく泣いていると、相手が泣いていることには気づかないらしい。
 こちらが泣いていることに気づかれただろうか、と思い息を殺して耳をすませると、受話器の向こうでお花ちゃんが泣いていた。
 「もしもし?」
 『いや、聞いてる』
 そう答えたお花ちゃんの声は物凄く震えていて、泣いていることを隠す気なんて全然ないようだった。
 『その話、もうどうにもなんないの?』
 「どうにもならない」
 『ほんとに?』
 「うん」
 『俺』と言いかけ、数秒黙った後『ごめん』と言われた。お花ちゃんは、ずっとしくしく泣いてた。

 ごめん、と言われたことが不思議だった。
 何に対する謝罪だろう、何を、どれを申し訳なかったと思っているんだろう。
 何が? と聞き返そうとして、私は本棚の方を見た。昔、花森先輩と真剣に別れた方がいいと力説してきた友人から贈られた、『今の彼氏と別れる108の方法』の背表紙が見えた。
 19歳の時から今に至るまで、「デブ」「ブタ」「ババァ」と言われ続けたことを思った。皆の目の前で「コイツとの結婚はねーわ」と言われたこと、「お前、名前ミナトだっけ?」と新発見でもしたかのような顔で言われたことを思い出した。「デブ」とか「ブタ」とか呼ぶことに慣れてしまって、改めて私の下の名前を呼ぶと違和感があるとのことだった。それから、幾度も繰り返されたプロポーズの応酬を思い出した。「結婚しよう」「やだ」「結婚しよう」「無理」。
 私は、謝罪を受ける権利があるのかも知れなかった。
 全ては双方合意の上だったのかも知れないけれど、でも今、お花ちゃんが、初めて謝っている。それも、恐らく心から。
 泣きすぎて錯乱状態のお花ちゃんは「せめて結婚するまでは元通りの関係でいたい」と冷静さを欠いた提案をしてきて、私は「ありがとう」と言った。
 お花ちゃんは相変わらずしくしくと泣き続けていたが、私の涙はすっかり乾いていた。

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菊池ミナト

菊池ミナト(きくち・みなと)

主婦
リーマンショック前の好景気に乗って金融業界大手に滑り込んだアラサー。
営業中、顧客に日本刀(模造)で威嚇された過去を持つ。
中堅になったところで、会社に申し訳ないと思いつつ退社。(結婚に伴う)
現在は配偶者と共に暮らし三度三度のごはんを作る日々。
フクロウかミミズクが飼いたい。 

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