先日、小学校の時にいじめられていたという知人の話を聞いていた。今なおはっきり残るいじめの体験。その人の根底にはその経験があるという。
「いじめられていると、周りの目に敏感になるの。他の人と同じように、その他大勢の中に潜り込んでいればいじめも受けなくなる。同意して同化してそうやっていたら、人の目を気にするだけの人間になっちゃった。」
この話を聞いて私は思ったのだ。私もだって。
私は学生時代、いじめられた経験はない。小学生頃。私は大仏だった。女子はともかく、男子にはそう見えていたに違いない。男子は私とどう付き合うべきかわからず、私を見る男子の目はいつも泳いでいた。FTMだからではない。その頃の私は、おかっぱのスカートを履いた少女。しかし存在というか、ノリがあまりに他と違っていたのだろう。障害を家族に持つという中で“社会とは何か?”““弱者”が社会で生きる中で感じる理不尽さ“”人間の醜さ“について10歳頃から考えあぐねた私の存在は不気味だったのだろう。どこかクラスに馴染めない。担任の先生からも”おまえは子供らしくない付き合いづらい存在だ“と言われたくらいだった。
しかし、いじめるには私は異様過ぎたのだろう。カラダも大きく、驚異の運動神経を持っていた私はそう簡単に暴力を受ける対象にもならない。そう私は、人里離れた山の中に突如現れる大仏のようだったのだ。鎌倉の大仏のように、説明書きがあるわけでもない。藪の中で突然大仏が出てきたら、人はギョッとするだろう。人間のような、でもよく見ると人間でないような、よく見ると大仏は異様の何者でもない。本当に不気味なものに人は寄りつかないものだ。
まだ性同一性障害という言葉がなかった時代。私は社会の目にさらされていた。後ろ指を指され、いつも噂の中心で“気持ち悪い”と言葉を投げられても当然だとされた“女男”だった。そうしてもいい存在だと烙印を押されると、人は堂々と卑しい視線を向けるものだ。その中で私は自分らしく生きることの困難を知り、そして対峙し、その中で自分が自分を信じ、己を得るという体験をした。
性同一性障害とお墨付きをもらい、社会から肯定されてから、私は“男”としてこの社会に馴染む努力をしていた。男を理解するというのは、社会を理解するということだ。理不尽だと思いながらも、私がそれまで知らない社会を知ろうと、その仕組みの中で“普通”に生きようと努力した。その時期と、社会人になったのが同時期であったということもあり、仕事を覚えることと男を知ること、社会を知ることは私の中で自分を形成する大きな柱となった。
私は社会の顔色を見る人間になった。男のルールが社会のルールだと疑わない人間になった。私は社会にいじめられていたのだ。同化すれば叩かれない。うなずいていれば仲間になる。社会とはそういうものだと疑いも持てない。私はそれまでの辛い経験を二度と味わないように必死に生きていた。社会を勉強しようとしたのだ。味わった日々の苦しさは、より私に同化を促す。
そのいじめから私を救ったのは、フェミニズムのようなものだった。ようなものというのは、けして学問としてフェミを知ったわけではないからだ。フェミの友人と出会い、“それおかしいんだよ”そう思えるようになって自分が楽になった。必死に社会に同化しなくてもいいんだ。社会がおかしいんだよという言えることは、心を軽くする。そして何よりも“そっち側”に仲間がいることで私には私の社会ができた。
しかし、なかなか昔の癖は抜けないものだ。自分を取り戻す。その作業は私にまだ必要だ。
いつもどこかで標的になる人を探している。刑務所のグランドを照らすサーチライトのように、その明かりを私たちは内在している。そして社会において探す権限があるものの多くは男だ。女が標的にされ、そしてその行為の蛮行を裁くのも男だ。ルールを作るのはいつも男で社会という実在を把握できない巨大なものに、私たちは従わされる。その方が楽で、それに抗うのは疲れる。だから私も、時として思考を止めたりすることもある。二度と味わいたくない、社会に突き放されたあの時間。でもその中に私は理想の自分を見る。大仏になろう。もう二度と、社会にのまれないように。