支店の会議室は、そもそもは応接室だったらしい。
それが、支店の規模が大きくなり、人が増え、二つあった応接室を一つ潰して会議室を増やした。その後、人が減って、一時的に物置になり、大量の棚が据え付けられた。金属製の書類棚なので、万が一の時にも倒れないようにL字型の耐震ストッパーでしっかりと固定されたのだ。そして現在、支店の統廃合に伴い再び人が増え、物置としての棚を残したまま会議室に戻したのであった。棚の据え付け方があまりにも強固だったので、取り外すよりも物置兼会議室にした方がいいと判断されたらしい。
室内をぐるりと囲むように堅牢な書類棚が置かれ、部屋は一回り狭くなっている。そこに、以前置かれていた会議机と椅子がそのまま戻されたせいで、人が入れる隙間は異様に狭い。
課長は机と棚の間に体を押し込んで座っていた。
部屋に入ると、いつものように「今日もお疲れさん」と言ってくれたが、何だかぎこちない。
私は課長が座る角と対角に座り、持ってきた手帳を置いた。課長の前にも手帳が置かれている。
「ご予定伺いがメールになってしまって、すみませんでした」
「いや、それは別に構わないんだけどな」
そう言うと課長は口角だけを上げて笑顔を作り、「で、どうした」と言った。
「実は、お見合いのお話をいただきまして」
一瞬、会議室が静まり返り、ロビン先輩が何かに爆笑している声が、ドア一枚隔てた遠くに聞こえた。
笑い声が消えると、課長が「お見合いかぁ」と、のんびり言った。
あれっと思ったが、考えてみれば普通の反応だった。ただのお見合いならば、何の問題も無い。それに、人事面談ならまだしも、このタイミングで報告する必要はない。酒の席で十分だ。
拍子抜けした様子の課長がほっとしたように笑うので、情報が足りなかった、と思い直し、私は手帳を開いて行内の顧客管理システムから印刷した恵美子さんとお嬢さんの書類を取り出し、机の上に並べた。
課長は書類の氏名欄を一瞥すると、「あ」だか「う」だか短く一言発し、黙ってしまった。何か、不穏な空気を感じ取ったようだった。
「お客様から、お見合いのお話をいただきました」
「あ、そういう」と言いかけて、課長は一瞬言葉に詰まったが、一拍間を置いて「このお二人からか」と続け、形式的に手帳を開いた。胸ポケットからボールペンを抜いて、構えている。
「そうです」
「債券買ってくれた、あのお孫さんか。あの、追加の」
「はい」
考え込むように口の周りをごしごしとこすった。そうして、ペンをクルクルと回し始める。
「菊池、彼氏いなかったか?」
いた。しかし課長に直接話したことはない。
銀行員は口が堅そうなイメージがあるが、身内には結構軽い。誰かから聞いたのだろう。
「別れました」
「そうか」
課長は、「やめとけ」とも「よかったじゃないか」とも言わない。
そうだよな、他人の人生に責任持てないもんな、と思い、私は安心した。こちらも気にしなくて済む。
「個人的なお付き合いが発生すると、校内ルール的に問題があると思いまして、ご報告したんです」
「いや」と課長は言い、すぐに「いや、問題が、ないわけじゃないけどな」と続けた。「それはほら、あれだろ、菊池がどうしたいかだろ」
「お話、ありがたくお受けしたいと思っています」
即答した私を見て、課長は困ったような顔をした。
このイレギュラーなお見合いに対して、課長から確認されたことは二つだった。
まず、仕事はどうするのか、と聞かれた。
「続けるつもりです」と答えたが、課長は思案顔だ。身内を担当することはNGだからだろうか、と思ったが、よくわからない。
それから、この見合い話は誰が知っているかと聞かれた。
私が机上の書類を指差し、「このお二人と、私の両親だけです、社内では課長に最初に報告しています。今のところ公にするつもりはありません」と伝えると、課長は一瞬いつもの軽い調子に戻って、「ほんとかぁ~?」と笑った。「皆、応援してくれると思うけどな」とも。
神に誓って本当であるし、誰にも言うつもりはなかった。
応援してくれるだろうか。本当に? 走馬灯のように同僚から婚約報告をされた時の記憶がグルグルと脳裏を過った。
誰の結婚も婚約も、心から祝福したことも、応援したこともない。もちろん、実際にその場に行けば表情筋は笑顔を作り、口は「他人の幸せは自分の幸せ」といった意味のことを喋る。けれど感情がプラスの方向に動くことは一切ない。同僚どころか、血縁関係のある従姉の結婚さえ、全く祝う気が起きなかったことも思い出した。
ちなみに、数少ない、気の置けない友人は誰も結婚していない。
改めて少し考えたが、やっぱり私はこの話を誰にも報告したくないな、とぼんやり思った。不用意にはしゃいで誰かの気分を害するくらいなら、黙っていた方がずっといい。
課長からは、支店長には報告しておくということと、お客様との個人的な関係構築はやはり問題があるので、一度、支店長に随行する形でお客様のところを訪問することになるだろう、と言われた。
「じゃ、支店長に報告したら、また話すから」と告げられ、面談が何となく終わった雰囲気になった後で、課長がぼそっと「最近は珍しいよなぁ、こういう話は」と呟き、「でもまぁ、お医者さんだったもんなぁ」と続けた。
更に何か言いたげな視線だったが、私は妙に高いところに飾られた洋画を眺めて無視した。
こちらとしては「日曜にメールしてきたということは土曜のうちに会っていたんじゃないか、業務時間外でお客様と接触をはかるとは何事か」くらいの追及を受けるだろうかと身構えていたのだが、そういうことは一切なかった。
それに、お見合いの話を知っているのは誰かと確認された時に、山田仕郎本人のことを言い忘れたのだが、その点に関しても何も言われなかった。
課長も動揺していたんだな、と、私は自分の机に戻って呆然と考えていた。