先日地元に帰った。すっかり様変わりした街の中で、これまたすっかり性別が変わった私は、誰にも知られていない“地元民ではない人間”として街を歩く。そんな日々をここ20年ばかり過ごしていた。ちょくちょく帰っているので、そんな状態にも慣れ、よく見知った街を安心して歩いていたのだが、先日異変が起こった。
「ね、あなたアンティル子ちゃんでしょう!」
顎髭に無精髭、短パンにTシャツという出で立ちの私を誰かが、私を“アンティル子”と呼んでいる。目の前にいたのは、子供の頃、家族ぐるみで仲が良かった4軒先のおばさんだった。
「久しぶりね。元気なの?」
私は急いでTシャツを口で咥え、不自然に顎髭を隠し、80歳を超えたおばさんに挨拶をした。
「ぽぴさしぷりです(おひさしぶりです)」
Tシャツを咥えているので、うまく話せない。
「何年ぶりかしら。こんなに背が高かった?うれしいわ。会えて」
髭のことや、見かけのことを聞かれるんじゃないかと、ドキドキしている私をよそに、おばさんは普通に懐かしい“アンティル子”との再会を喜んでいた。
「今何してるの?たまには遊びにきなさいね・・・・・」
いっこうに“不審”がっている節がない。それはそれで不安になる。
「じゃあね。また会いましょうね」
一回りも二回りも小さくなったおばさんが、見慣れた家に入っていった。「おばさんは痴呆症になっているんですって」そんなことを母が言っていることを思い出した。私への“???”に対し、聞きたいことをぐっと我慢してくれている。そうとも考えられるが、おばさんの様子からは到底そうとは見えない、あの自然な再会。痴呆症になるということは、見かけに囚われることなく、その人自身を見るということなのだろうか。性別を超越し、人間と人間との触れあいができるということなのだろうか!私はそんな風に思えてならなかった。去っていくおばさんの背中に私は小さく呟いた。
「おばさん・・・・。」
「あら、アンティル子ちゃん?」
しばらく歩くと、今度は10軒先の文房具屋のおばさんに声を掛けられた。これまでも何回もすれ違っているのに、目が合っても一度も気がつかれたことがない相手だった。
「アンティル子ちゃんよね。やっぱり。まぁあああこんなに大きくなって・・・・」
45歳も過ぎて“大きくなって”とはどうかと思うが、痩せ型人間が相撲取り系になった私を見れば、正しい表現には違いない。私はまた急いでTシャツを咥え挨拶した。
「ぽぴさしぷりです。ぺんきそうですね。おぱさんげんきそうですね(おひさしぶりです。おばさん元気そうですね)」
先ほどのおばさんに比べ、今度のおばさんは明らかに疑いと好奇の目を輝かしている。ギラギラと光る目線の奧には、好奇心が溢れている、やっかいだ!お母さんは元気なの?今何しているの?質問攻めにされ、私はその場から逃げるように去った。
アンティル家には姉妹がいる。という事実を知っている馴染みのご近所さん。
アンティル家には2人の子供がいる。というくらいしか知らないご近所さん。
アンティル家があそこにある。くらいしか知らないご近所さん。
そんなグラデーションの中でもっとも多い、2番目と3番目の人々と関わる機会がここ10年、頻繁にあった。実家の電気工事をしてもらったり、大工工事をしてもらったり。そんなご近所さんは、私を男として認識し、“アンティル家には男と女の兄弟がいる”という情報をインプットしている。そのほとんどは男。
元々付き合いの薄かったこれらの人達は、ふつーにそれを事実として受け入れていた。この街に子供の頃からいる“アンティル”は男。そんな事実が定着した今、問題が起きた。
「アンティルさん、次の町内会の寄り合いに出てくださいよ。」
ひょんなことから仕事を共にすることになった、すごーく近所のおじさん。近いわりには、これまでまったくアンティル家と交流がなかったその人とは、ここ数ヶ月でぐんと距離が縮んでいた。
「アンティル家にこんな立派な長男坊がいるとは知らなかった。地元の自慢だよ、こりゃ」。
と、小さいながらも会社経営をする私を褒め讃えるおじさんは、私に1年に1度の町内会の寄り合いに出てほしいというのだ。おじさんと私が知り合って、初めてとなる町内会。そこには、街で声を掛けられたおばさん2人、そしてアンティル家に2人の姉妹がいるということを知り尽くしている家が3軒を含む、15軒の人が集まる。
おじさんは間違いなく私のことを話す。そして「そんなはずはない!アンティル家は姉妹2人しかいない」と誰かが言い出すはずだ。そしてトドメは先ほどのおばさん。
「私見たわよアンティル子。あのこ、性転換したわね・・・・」
ぎゃああああああーーーーー
どうしたもんか。私は真剣に悩んで知る。今年から近所に出来た公民館の部屋を借りて、ゆっくり会議をするらしい。私はそこに行くべきか、行かないべきか。おじさんにカミングアウトしておくべきか・・・・。と書きながら、若干の希望の光が私の頭に灯った。隠し子・・・・。ってことに。
お父さんお母さん。親不孝をお許しください。