LGBT業界では古典のようなタイトルになっている「性別って何?」。この疑問は当事者の私にとつては簡単そうで難しい。最近私は性別変更のことを考えてる。
10数年前に私は手術をした。性別適合手術が日本で初めて公に認められた病院に通い、ホルモンを打ち、乳房を切除し、卵巣卵管、そして子宮を除去した。女が好きな“女”として生き、女が好きなら自分は女ではなく男ではないか?そんな想いと、女性とはこういうものを好きなはずとされるあらゆるものに違和感を感じていた私は、自分は、本当は男ではないかと思うようになった。“カラダの性別”とは違う“心の性別”という新たな性別を認識するようになったのだ。
その違和感は、社会から拒絶され孤立していくうちに、自分を守る砦となった。そして、砦を守る門番として、私は非常に優秀だった。押し寄せる好奇の目に対し「こんな攻撃に負けるくらいなら自分は“偽物”だ」という不屈のエネルギーが私を支え、低音を出し続ける発声練習のおかげか、なぜか声変わりまで果たし、ホルモンを打たなくともほぼ女性に見られることはなくなった。どんなに蔑まわれても、難攻不落のアンティル城はビクともしなかった。
改名も終えさらに生きやすくなったその頃、公の医療機関で日本初となる性別適合手術が行われるようになった。カウンセリングを受け、性同一性障害と認定されればホルモン療法へ進みそして手術。かなり長く厳しいカリキュラムをであったが、とうとう体の性別変更が可能になった。しかしこの時、私はすぐに病院に行くことができなかった。胸をとって“さらし”を巻いて胸を潰すあの不快な生活から解放されたい!その気持ちは強かったが、ホルモン療法を受けるのがとにかく嫌だったのだ。
自分をさらしながらも手に職をつけ、周りの人の理解を得て家族にも受け入れられていたその頃の私は、自分の困難な人生を自分が選択し、勝ち取っていったという自負が自分を支えていた。「ここまで苦労して今の自分があるのに、ホルモン打って自分を楽に男の見た目にして社会に溶け込む道なんて、なんかこれまでの自分の努力をパーにする行いじゃない?!!あんた!自分を裏切るの?!!」あのつらい発声練習の風景が「巨人の星」のテーマソングと共に蘇る。私の自負が手術へと続くホルモンへの道を拒んだのだ。
きっとピストルが出回り始めた頃の剣の達人も、こんな気分だったのだろうと思う。「何がピストルだ!」ピストルを手にすることなく終えた剣豪たちも多かったのではないだろうか?ピストルを刀で受け止める練習をしたりして。この頃の私を振り返ると、“なんてかっこいいんだろうー”と拍手したくなる。「辛いの勘弁、ちょっと悪口を言われてもシュンとなるガラスのハート、楽しく楽に生きたい。一石二鳥大好き!」そんな今の私に、昔の自分が会えるならきっと涙するだろう。
しかし、そんなお気楽人生的な“だらしなさ”を生み出したのは、良くも悪くもやはりホルモン療法であり、手術であり、“見た目の性別”なのだ。