今になって思い返してみると、母は母なりに精いっぱいだったのだろうと思う。未曾有の大災害、凄惨な被災地の状況を流し続けるテレビ、そして、自分以外全員帰宅難民と化し自宅に一人ぼっちの母。父も弟も、何とか母と連絡はついていたらしいが、当然、その日のうちに帰宅はできず、私同様その日のうちに自宅にたどり着くことは諦めていたらしい。母の実家は2県離れており、すぐに行き来できる距離ではない。母の性格上、あまりご近所づきあいもない。同情できる状況である。
けれど、私は私で精いっぱいだった。
受話器から錯乱した母の怒声を浴びせられ、私はよろよろと支店長室を出て自分の席へ戻った。
意味が分からなかったし、得体の知れない虚しさで一杯になっていた。
私の席には何故かロビン先輩がいて、「菊池ちゃん、電話通じたぁ?」と聞きながらチョコレート菓子をくれた。ポケットから取り出したところを見ると、今日の営業先で貰ったようだった。
「通じました」と言って私は頭を下げ、「あの、災害用の電話機すごいですねぇ」と続けた。
「課長がね、菊池ちゃん、今日中に処理する伝票持ってないかどうか、念の為確認しろって言うから」
営業鞄の中身出しちゃった、ごめんね、とロビン先輩は肩をすくめて見せた。
「ああ、いや、なんかすいません」
「未処理の伝票ないよね」
「はい」
「これとこれは預りにつける伝票だよね」
「はい」
預りというのは、当日中に処理しない伝票などを、何月何日に処理します、というメモと共に一括で保存しておく銀行内の仕組みである。
改めて机の上を見ると、伝票はお客様の名前毎にきちんと整理され、処理する順に並べられて、あとは管理簿に記入するだけで課長のところに持っていける状態になっていた。私が支店長室で電話をしている間にロビン先輩が準備してくれたのである。先輩のありがたみが身にしみて、頭の下がる思いだった。実際、頭を下げた。
私が預りの管理簿をつけていると、ロビン先輩は横にしゃがんで、ヒソヒソと話し始めた。
「菊池ちゃん、この近くにご親戚の方とか、いる?」
「いや、いないです」
「さっき食堂のテレビ見てきたら電車は止まってるし、課長の話だと会社には泊まれないみたいなのよ」
「えっ」
てっきり泊まれるものと思っていた。
「マジですかー」と呟いて目線をあげた瞬間、課長と目が合ったが、こちらの気配を察してか、目をそらされた。まだ営業先から戻っていない課員がいて、それどころじゃないのだろう。
幸い、粗品が入っていた段ボールと、一週間分溜まった日経新聞がある。もう、それに包まってATMコーナーで一晩過ごすしかない。ATMは24時間稼働しているし、ATMコーナーも24時間開いている。
「わかりました、一晩くらいならホームレスもできます」
「いやいやいや、菊池ちゃん、何言ってんの」
「はぁ」
「母の友達の家が早稲田にあってね、来てもいいって言ってくれてるみたいなのよ。菊池ちゃん、迷惑でなければ一緒に来る? 5kmくらい歩ける?」
途方もなくありがたいお申し出であった。
「歩けます、歩けます」
「ふふ、じゃあ決まりね」そう言ってロビン先輩はもうひとつチョコレート菓子を置くと、少し離れた自分の席へ戻って行った。
昔、支店の近くで飲んでいて終電を逃し、同じ方面のロビン先輩とタクシーで帰ったことがあった。あの時は2万円くらいかかった。結構な距離である。苦労して帰ったら帰ったで、怒髪天状態の母がいる。つらい。場所柄、支店の近くにはそれなりの数のホテルがあったが、こういう非常事態にすんなり泊まれるとは到底思えない。
私は管理簿に書き込みながら、どうなってるんだろうなぁーと思った。
こんなにしっかりした建物があって、ガラス一枚も割れていなくて、電気もちゃんと来ていて、従業員何十人もいるのに、全員自己責任で寒空の下に放り出されるとか、もうちょっとうまいことできるんじゃないかと思った。
ふと辺りを見回すと、証券から出向してきている証券マンと、天災が株価に与える影響について話している人がいた。家族と連絡をとろうとしているのか、電波が入る場所を探して携帯片手に執務室とロビーを行ったり来たりしている人もいた。平静を保って普段通りに仕事をしている人もいた。マミーポコはまだ泣いていた。
私は、もの凄い唐突に、株価なんてどうでもいいな、と思った。本当はどうでもよくない。担当顧客の資産が目減りしてしまう。でも、その瞬間はどうでもよくなっていた。株とか債券とか為替とか、金融市場自体に自分は本当は興味がなかったんだということがわかって、私は呆然とした。入社試験をパスしてから今の今まで、一度も考えたことがなかった。それは閃きだった。
チョコレート菓子の包みを剥いて口に放り込み、もぐもぐと口を動かしながら、担当先のお客様の顔を思い浮かべた。恵美子さんのように私を「孫的な何か」として扱ってくれるお客様たちである。
箪笥の上に、石垣のように箱を積んでいたり、壁に大きな額縁をいくつもかけていたり、危なそうな室内にちょこんと座っているご老人の姿が、脳裏に浮かんでは消えた。脳内にリスト化された安否が不安なご老人のお宅を自転車で訪ねて回りたいのに、今日はもう営業に出られない。課長が外出禁止令を出したからだ。
管理簿に自分の判を押し、課長の検印箱に書類を入れながら、私はもう銀行員としての要件を満たしていないな、と漠然と思った。
そこから実際に支店を出るまでの3時間、課長からの指示は二転三転した。
「会社には泊まれないから、自力で今夜一晩泊まれる場所を探してくれ、俺は寮まで歩く」と言っていたのが
「俺が入ってる単身寮のロビーに若干名なら泊まれるらしい、でも男だけだ」となり
「本部から連絡があって、支店に泊まっていいことになった、でも俺は歩いて寮に帰る」と一転し
結局「やっぱり俺も支店に泊まる」ということに落ち着いた。
課長は単身赴任者用の寮に入っていたので、たぶん寮に帰りたかったんだろう。
私はインターネットへの接続も、電話をかけることも諦めて、ロビン先輩が帰るまで手書きで顧客リストを作っていた。地震があったのは金曜日なので、週明けから自転車で回りたい、担当顧客中の独居老人リストである。
独居老人ではないが、恵美子さんもリストに入れた。
そこで初めて山田仕郎のことを思い出した。それまですっかり忘れていたのである。
話が本格的にまとまった時に、「これからは直接連絡とりなさいね」とメールアドレスを教えてもらっていたので、メールを打たなければならないような気がした。
「菊池です。大変な地震でしたが、大丈夫ですか」と打った。絵文字も何も入れなかった。何度か試みて、送信済となったことを確認したが、何となく文面が適切でない気がした。
支店を出て、ロビン先輩と早稲田まで無心に歩いている時に返信が来た。
「緊急事態につき、不要不急のご連絡はご遠慮ください。私は大丈夫です」という簡潔な文章が、画面の中で光っていた。やっぱりあの文章はダメだったか? というか、そもそもメールを送るっていうのがダメだったのか。
隣のロビン先輩が「携帯繋がった? この辺り、電波きてるのかしら?」とのんびり喋るので
「なんか、すごいがっかりするメールが来ました」と画面を見せてみた。
ロビン先輩は「なぁにこれぇ」と言い、送信元の男性名を確認した後、一言
「期待しちゃだめよ」と言った。そして続けた。
「菊池ちゃん、今日、課長の指示がグダグダになってるの見たでしょ。こういうときに本性が出るのよ。期待しちゃダメ。裏切られた気持ちになると、自分が損するんだから」
私は、ロビン先輩が今しがた非難した、数時間前の課長の様子を思い出した。それから、怒り狂っていた母の怒声を思い出した。それから山田仕郎からのメールをもう一度見た。
そうして、他人に期待しないこと、と自分に言い聞かせた。