(前回からの続きです)
現場を横に抜けるとすぐに八坂神社に入ります。白い衣装をまとった神主さんが二人で通行の整備をしています。心なしか浮かない表情をしているように見えるのは、この騒動のせいでしょうか。
八坂さんの顔とも言える西桜門を出ると、その階段ではアジアの観光客らしき人々が談笑しながら写真を撮っていて、それは観光地のあるべき姿に見えました。
そのまま四条通を直進しようとしますが人が多くて早く歩けません。
歩道の途中に若い人たちが、これまた2メートルくらいの弾幕を持って立っています。それも、ヘイトスピーチに抗議しています、という内容で、一人はチラシを配っていました。
今回、カウンターに参加して、感じ入ったことのひとつに、直接の抗議と並行して、道行く人たちへの告知と説明が各所で行われていて、その数の多いことがありました。
何も知らない人たちに向けて、この対立を可視化しています。
どう見渡しても、あんみつと土産物しかないような四条通をつっきって鴨川を渡って、とうとう百貨店のマルイまで来てしまいました。
ネットでの情報では、マルイ前でヘイトスピーチが行われるというのもありました。
入り口脇でやっていた真鍮小物フェアに気を取られつつ、メンズファッションのフロアへ急ぎます。チェックのシャツと白いカーディガンのハンガーセットをそのままレジに持っていき、会計のあとその場で着替えました。
ちょうどいい体感温度になって、夕暮れ時の通りを逆戻りしていると、道路を挟んだ向こうから装甲車やってくるのが見えました。
どうやら在特会のデモが動き出したようです。3台ほど連なる車の、どれが街宣車で警察の車なのかよくわかりませんが、日の丸と日章旗が歩いてくるのが見えます。その横や後ろには、プラカードを持ったたくさんのカウンターの人たちも見えます。
円山公園で止める、というメッセージもツイッターでいくつか目にしていました。間に合わなかった・・、と一瞬、場を離れたことを悔いました。
しかし、あれだけの警察官の数です。DJブースのついた車両まで用意して、彼らを誘導しています。許可されたデモはなんとしてでも遂行するという意志まで感じます。「表現の自由」の遵守が皮肉に見えます。
なぜか在特会らの行進に、黒い液晶テレビを引き連れているのも見えました。画面は歩道側に向けられています。なにを流しているのでしょうか。
現代撫子倶楽部という団体の代表、中谷良子という人の姿も見えます。
そのときはわかりませんでしたが、あとでネットに上がった映像を見て、彼らが先頭で、あの、5年前の京都朝鮮学校襲撃事件を揶揄した文句を垂れ幕にしていたことを知りました。
2013年の民事訴訟で在特会側に1200万の賠償と学校周辺での街宣禁止命令が出ています。
刑事訴訟では刑罰を受けた川東もそこを歩いています。犯罪者の差別デモを警察官がガードしている・・の? 一体なにから・・。
デモ行進が行われている道路側に渡ろうかと思いましたが、デモは車道を淡々と進んでいて、カウンターの人たちは観光客といっしょにいくつかの信号で足止めを食らいます。こっち側に移ってきたカウンターの人たちもいます。
立ち止まって様子をうかがうたくさんの沿道の人びと。顔をしかめている人、にやにやしながら見ている人・・。
DJブースから、「そこの拡声器を持った男性はいますぐ歩道にあがりなさい」と注意を受けながら、軽快に罵声を浴びせるカウンターの男性は、この先何度も、信号や辻で、「私たちは差別集団に抗議しています」と周囲の人たちへの説明も欠かしませんでした。
白人のやせた男の子がチラシを配っている女性に、状況の説明をしてもらっていたかと思うと、大きくうなずいてカウンターに参加するようにデモに並走していきます。禿げたおじさんも、なんやなんや、と加わります。
デモはマルイの前を曲がり河原町通に入りました。
バスは足止めを食らい、警察官はチェーンとなって信号の前で人々を制御します。
ついていく私は並走するカウンターの人たちと気持ちは同じですが、傍から見たら、何も持っていなくて「ちょっと関心をもった人」になっています。
プラカードがいるわ・・と、新しくなったBALビルを横目に通り過ぎました。
先ほどから、中学生くらいの男の子がデジカメを持って飛び跳ねるように、写真を撮っています。事件だ事件だ! と言っているかのようにデモについていきます。
そのまま河原町通も通過したデモは、市役所前に舵を切りました。
どこまで行くねん、とその長さにうんざりします。目の前を、宇宙兄弟のアフロ君のような背の高い男の子と、その肩までくらいの身長の女の子が、カウンターに参加していきます。
プラカードを何本かまとめて持っている女性を見つけて、私はひとつ分けてもらいました。
縦50センチ、横30センチほどのプラカードは竹の持ち手がついていて、多少の風にはしならないほどの強度を保っています。
片面には赤い紙に白抜きで、「Show Racism the Red Card」と書かれていて、その裏は黄色い縁取りのなかに、「ヘイトスピーチ、差別・排外的なデモ&街頭宣伝に反対しています。NO HATE DEMO & PROPAGANDA」と書かれています。
これでようやく私も可視化されました。
車道のほうでは、テレンス・リーみたいな風貌の男が声を荒げていますが、何を言っているのか聞き取れません。というか、もう最初から、彼らが何を言っているのか、まともに耳に入ってきたことはありませんでした。
それだけカウンター側の声が大きかったということと、もしかすると聞きたくないから聞かないように、無意識のうちにシャットアウトしているところもあったかもしれません。
それで彼らも、垂れ幕とかテレビとかの映像でも差別を発信しようとしていたのだと思われます。
当事者でない私は、直接被害を受けるわけではありませんが、これが、「同性愛者は死ね」と叫ぶデモだったら、その場にいれる気がしません。
あるいはここが外国で、そこの土地の人らが、「日本人は出て行け」と叫んでいるデモに遭遇したらと思うと、どれだけ非人道なことが今おこなわれているのか、想像がつきます。
その人にはどうにもできない属性を取り上げて排除しようとする言動を差別と言い、人権の侵害と言うのだと思います。
光沢のある黒い歩道のタイルの上を歩いている人たちは、いつのまにかほとんどがカウンターに来た人たちになって、車道にはもう誰も歩いていなくて、何本目かの辻で、動きが止まりました。
彼らの姿は見えませんが、横断歩道の前は警察官が遮断していて、カウンターの人々は「帰れコール」を続けながらそこにとどまり続けています。
私も足を止めて、見えない彼らに向かってプラカードを掲げコールしました。
ビルの前では2メートルの横断幕も到着しています。
20分ほどそうしていたでしょうか、ほどなくして拡声器を持っていた男性が、「どうやら在特会は帰ったようです」と周囲に報告してくれました。
帰り道の衝突を避けるために、前回は警察が駅の改札まで彼らを送りに行ったと、聞いたことがありました。辺野古に来ている機動隊もそうですが、彼らには脳みそがないのかしら、と疑います。
そしたら帰るか、と私は三条駅に向かいました。
通りを渡ると、ママチャリではないスポーティなチャリに乗った白人の男性が日本語で、「今のデモはなんですか」と尋ねてきました。説明をすると、「なぜ彼らがデモをすることがわかったのですか」と訊いてきます。「彼らが自らネットで告知するからです」と翻訳口調で答えます。
「あと、もうひとつ。彼らの人数はどれくらいでしたか」「20人くらいだったと思います」そう答えると、彼は、ぷっ、と噴き出して「ありがとう」と去っていきました。
笑い事じゃないんだけど・・と、ぶぜんとしてしまいました。差別は人数の問題じゃないんだけど・・と言い換えてみます。カウンター側には人数がいりますが。
それにしても2時に着いてから3時間あまり、日もとうに暮れました。
とても疲れました。
駅に近づいてきてふと、プラカードを持ってきてしまったことに気が付きました。
どうりで呼び止められるわけです。すみません、今度返します。と貸してくれた女性に心の中で謝って、違うか、こんなことに「今度」があったらいけないんだわ、と、もやっとしました。
(了)
*長い話を読んでくださってありがとうございました。
誠に勝手ながら来月から、月2回の連載を、月イチに変えていただくことになりました。申し訳ありません。更新日は第一火曜日を予定しております。
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。