(前回の続きです)
思えば地元の駅で乗り換えるときから、彼は周囲を気にしていました。エスカレーターに乗って後ろを振り返る人はそうはいません。
三条駅で降りた後も、足取りが遅く、だいたいの人が改札を通ってしまうのを見計らっているかのようでした。
タイミングを合わせるのが難しい・・、ていうか、もうバレているような気もします。
改札を出ると地上に上がる出口はいくつかあります。後ろ姿を追って、柱や売店で姿をくらましつつ様子をうかがうと、どうやら四条に一番近い出口に向かうようです。
先ほどから前を歩いていた、スパンコールを散りばめた水色のスリムパンツを着こなしているアヴァンギャルドなご婦人を隠れ蓑にして、跡を追います。
遅れてエスカレーターに乗って、地上に出た瞬間、見失ったことを知りました。
見渡してもどこにも拡声器がありません。タクシーに乗ったか、あるいは、そこに止まっているバスに乗っているかもしれません。
三条から四条までは歩いても20分ほどだと思います。
追うのは諦めて、それぞれに名前のついた路地を眺めながら向かうことにしました。
スカッと晴れて少し寒いくらいの風の吹く町は、観光客でにぎわっていました。国籍もさまざまに見えます。それでも路地をたどったので、まだすんなり行けましたが、最後に四条通に出ると、そこはまったくの人混みでした。
八坂神社の入り口が見えてくると、異様な雰囲気が伝わってきました。ひときわ目を引いたのは、2メートルはありそうな大きな白い弾幕をもって立つ人たちで、そこには「人種差別集団は出て行け!」と大きく書かれています。近づくと、小柄な女性がマイクで道行く人たちに向けて、「私たちは、ただいま行われている差別団体の発言に抗議しています」といった説明をしていました。
その左隣の円山公園の入り口は、何が何やら、圧倒的な警察官の数と、その隙間から見える日の丸や日章旗、その向かいにも人びと、そして、スピーカーから流れてくる怒号であふれかえっています。
信号を渡って、その人だまりへ向かうと、日章旗を持った人たちは数人で小さな坂の右側の塀にへばりつくように立っていて、その前を警察官たちがチェーンのように張り付いています。みな体をこちらに向けているので、彼らをガードしているように見えます。
そして対面には、松の木がまばらに生えている塀の上で、たくさんの人々がプラカードを掲げ、拡声器を持って、「ネトウヨ帰れ」とコールしています。こちらも警官チェーンが張り付いていますが、こっちはみなカウンター側に体を向けているので、抑え込もうとしているように感じます。
坂道には入れそうにないので、左の歩道に抜けると、向こうから観光客の人たちが警察官に誘導されながらやってきます。「オー怖い怖い」と先頭のおじさんは笑いながら足早に通り過ぎました。
笑う意味がわからん、とそのあたりで立ち止まると、警察官に「立ち止まらないでください」と何度も言われます。無視をしていると、小柄な若い警官に、「どちらに行くんですか、こっちですか、あっちですか」とあほみたいなことを訊かれます。ここにいます、と答えると、「ここは歩道なので立ち止まらないでくださーい」と耳元で、大声で叫ばれます。
うるさいわね、と思いながらも実際に体を押されて、塀に沿って曲がるとそこはもう行き止まりでした。
警官チェーンだけではなく、歩道の脇には臨時の柵もめぐらせていて車道に出ることもできません。向かい側の歩道も同じことになっていて、そこの公衆トイレの前に三人くらいの男がパイプいすに座っていました。それを取り囲む警察官と柵・・。
あら、あの人は川東じゃない? とその中の一人に再会しました。
拡声器を使っている様子はなく、何か出番を待っているようです。そこは控室でしょうか。いつのまにこんなところに・・。
頭上からは、彼らに向けても「帰れ」コールが起きています。
先ほどの若い警官がまたやってきて、「動いてくださーい」と自分の胸を私の体に押し当ててきます。その顔は可愛いので、なんで? と訊いてみました(あ。そこにいた警官はすべて男性でした)。
すると「通行の妨げになるからです」と言います。なってないやん、と三人くらいしか立ってないコーナーを見渡します。「そのうちなるんです!」と彼は言い切ります。じゃあそうなったら行くわ、と答えると、「お兄さんがここに立ってると人が集まってくるんです!」と怒ります。わたしそんな人気者やないし、と言うと、「はあ?」とはね返されます。可笑しくなって笑うと、「お兄さんはなんでここに立つ必要があるんですか」と聞いてきたので、彼らがいるからよ、と川東たちを指さします。
わかってるくせに、と言うと、「だったらみんなと同じように上の公園にあがったらいいじゃないですか。ここは公道ですよ」と諭されます。
それもそうね、と思いましたが、隣では、背の高い女性が腕を組んで仁王立ちで川東らをにらみつけています。
もう少しここにいなければいけない気になりました。
ヘイトスピーチのカウンターにちゃんと参加するのは初めてでした。これまでも何度か現場まで行きましたが、せいぜい遠巻きに見ることしかできていませんでした。ネットの映像をいくつか見たり、パレードやトークイベントなどに足を運んだり、何冊か関連の本に目を通したりはしていました。
何より、このコラムで、何度もその暴力について思うことを書いてきました。
先日発刊された、『抗路』という在日総合誌と銘打たれた雑誌のなかで、趙博という方が辛淑玉さんとの対談で、
「ところでさ、カウンターデモやったあとは、ほんと疲れるのよ。この頃は見てるだけの傍観者が増えた、それも疲れの一因だね」
とおっしゃっているのを読んで、いよいよ背中を押された気になりました。
まだ一人で声を出す勇気はないけれど、この塀の上で声を挙げている人たちの中には入っていくから、言わずもがな、やから、と、しきりに体当たりしてくる若い警官には動じません。
腰に手まで回してきて、私の体ごと動かそうとします。
気持ちは怒っているのに、体感としては悪くない・・。若い男子に半ば抱かれているような状態です。ここでのけぞればタンゴノアール(明菜)です。
いかんいかん、と態勢を立て直して睨んでいると、いつのまにか周囲には数人いて、隣の男性が別の警官とやりあっています。
「あいつらを先、どかせよ。トイレ入られへんやんか」とまっとうなことを言っています。原因(差別)が取り除かれれば、私も速やかに立ち去る所存です。
「ほら、集まり出したじゃないですかぁ」と若い人はもはや学級委員のようです。この状況を、この社会を、自分の頭でよく考えてみればいいのに。
すると仁王立ちしていたお姉さんが目の前を横切りました。前を見ると川東がいません。一瞬の出来事に思えました。
私は、塀の上に上がることにしました。
通りから見えた場所には、老若男女、じつにさまざまな年代の人が数十人いて、プラカードを持って「帰れコール」をしています。塀の下にいる、彼らが見える位置まで近づくと、日章旗のほかに、差別用語の書かれたプラカードや弾幕も見えます。あろうことか、あの難民の差別イラストを描いた「はすみとしこ」と言う人の、新しいイラストを拡大プリントしたものまで見えます。
ひどい・・、とあまりの状況に言葉を失います。目の前では小柄で初老の女性が、プラカードを突き出すように持っています。帽子とサングラスとマスクで顔を隠しているのは防犯のためだと思われます。同じようにしている人が何人かいました。
向こうから写真や映像を撮っている姿が見えます。こちら側から撮っている人もいます。振り向くと、ソウルフラワーユニオンの人が腕を組んで立っていました。
そこへ、川東が持っていたのと同じくらいの大きさの拡声器を下げた女性がやってきて、「レイシスト帰れ」と、あたりを切り裂くような声を挙げ始めました。
トートバッグしか持っていない私も自然に声が出始めました。けれど、「帰れ」を何度か言うと、泣きそうになってしまって困ります。悔しいのか、情けないのか、なんなのか・・。白昼堂々と差別表現をする人たちを、この社会が許してしまっていることが、もう、どうしようもない気持ちにさせます。
何度か声が詰まりました。まったく、役立たずです。
こちら側から拡声器を持って行ったり来たりしながら、在特会に罵声を浴びせている男性が何人もいます。中には何を言っているのか聞き取れないほどの早口もありましたが、相手のスピーチをかき消すという目的は遂行されているように思いました。
背後では誰が誰やらわかりませんが、乱闘寸前の騒ぎも起きて、また警察官たちがたくさんダマになって連なっていきます。
警察官だけで、100人近く来ていたとか。
前述の対談の中で、趙さんはこうも言っています。
「僕は本当に反省してるんだけど、在特会が出始めたときに、またチョロイやつらが出てきよったなあ、と思ってしまった。過小評価しすぎてたな。それはね、僕の暴力性の裏返しなんだ。街に出てきやがったら二、三人シバキまわして首謀者をシメたら終わりやないかい、差別デモやりやがったら火炎瓶の二、三本放ったら済むやないか、って思ってたわけ。ところが、こっちは手をだせないんだよ! 70年代、学生運動やっていた頃やったら、あんな奴らボコボコにやってましたよ、それで終わりや。だけど、今はできないんだ」
(在日総合誌『抗路』一号 辛淑玉×趙博 在日の体たらくをえぐれ より 2015)
それはかつて見た井筒和幸監督の映画、『パッチギ!』の、やられたらやりかえす世界と重なる話です。
火炎瓶を放り込めないのなら、声を出すしかありません。差別表現の書かれた弾幕を通りから見えなくさせるためには、こちら側からプラカードで覆い尽くすよりほかないのです。
次第に日が暮れていきます。いつまで続くかわかりません。私は、寒い、という物理的な問題を抱えていました。ここにずっと立っているには、夏服では堪えます。上着を買いに行こうと、いったんその場を離れることにしました。
長丁場になりそうです。