さて、この度、目出度くLOVE PIECE CLUB執筆陣の末席に滑り込み、おっかなびっくりの連載スタートと相成った。ご縁というのは不思議なもので、一介のボンヤリ系主婦が、まさか女の園で私生活を赤裸々に晒すことになろうとは……。なんということでしょう。
書かれたものが一たび世に出てしまえば、それは書いた者の手を離れているので、お読みになった方が何をどうおっしゃろうと別段構いやしない。私は構わないのだけれど、そういった私自身のずうずうしい傲慢さとは別の問題で、これから綴っていく内容が、お読みになっている方のお立場や環境によっては、一種の地雷原となる可能性があるかも知れない。念の為、おおまかな筋だけご案内させていただく。
金融業界で働いていたアラサ―が、ある時、お見合いで士師業の年上男性と結婚した。ここまではありふれた話なのだけれど、結婚相手は童貞だった。これも、たぶん、珍しくない。ただ、結婚してから数年経ったけれど、結婚相手はおそらく未だに童貞で、何故なら我々は、結婚してから一回もセックスしていないのだった。
結婚前も童貞だったら未だに童貞だろうなぁ、もしかしたら童貞じゃなかったかも知れないけれど、結婚の世話をしてくれたおばあちゃんは「あの子に彼女がいた筈ないわ」と私の目を見て断言していたし、付き合ってない女の子とその場の流れでガッとセックスできるくらいの性欲があるなら、結婚してから2年間もセックスしないでいられないよなぁ、どっか他に女でもいればそっちで性欲の方は処理してくれているんだろうけれど、残業もそんなにしてないし、休日のお出かけ先と言えば実家だけだし、いったいどうなっているんだろうなぁ、と、当事者の私はボンヤリしており、配偶者の性欲やその他もろもろは謎に包まれている。
掲載カテゴリは「LOVE&SEX」と聞いているが、残念ながら配偶者との「SEX」は出てこない。「LOVE」はよくわからない。
ここまでお読みになって、続きも大丈夫そうな方はどうぞよろしくお願いいたします。
まず、なぜお見合いで結婚したかを書こうと思う。
結婚する前、私は花森くんという男の子と8年くらい付き合っていた。付き合ってしばらくは下の名前で呼んでいたが、いつの間にか「お花ちゃん」という呼び名で定着した。お花ちゃんは大学時代のサークルの先輩で、学年はふたつ上だったものの特に面倒見が良いわけでもなく、いつも何となくふざけた様な顔をして、実際にちゃらんぽらんな様子が散見されるので、後輩である我々からは評判が悪かった。そうした我々の不満は本人の耳に届いていた筈だが、花森先輩は特に気に留める様子もなく、飄々としていた。練習中の抜きん出た身体能力にひとめ惚れした後、拝み倒して付き合ってもらい始めた私は、そのいきさつも含めて同期の女子から「あんた、花森先輩のどこがいいの?」と、事あるごとに責められていた。
サークル自体は普通の体育会で、同輩は皆一様に、先輩にぼろぼろになるまでしごかれていたので、結果的に同輩同士は男女の区別なく皆おしなべて仲が良かった。一度、同輩の一人の女子から『今の彼氏と別れる108の方法』というタイトルの本をプレゼントされた時、私はそのあまりにダイレクトなタイトルに思わず笑ってしまい、瞬間、正義感に駆られてその本を持ってきた友人がムッとしたのがわかった。
「あんたそうやって笑ってるけどね、花森先輩よりいい男いっぱいいるでしょ」と、鼻息も荒く詰め寄る彼女に、私は真面目に答えた。
「あのね、動物の赤ちゃんがかわいいのは、成長過程にある赤ちゃんの顔のパーツの位置と体型が、遺伝子レベルで絶対にかわいいって思わせるように、人間ができているからなんだって」
「花森先輩の顔が好きってこと? 花森は別に童顔じゃないでしょ?」
「別に童顔じゃないよ。でも、なんか、動物の赤ちゃんとか見て、かわいいなーって思うのって抗えないじゃん? 人でも猫でもやっぱりかわいいじゃん? そういう、よくわかんないけど、もうなんかそう思っちゃうようにできてるって感じで、花森先輩見てると、なんか本能的に、うわ、欲しい! って思うんだよね」
後に、その自己啓発本は、私以外の女子全員で相談した後私に贈られたことが判明し、同輩の将来を思いやる優しさには素直に感動したが、お花ちゃんに遺伝子レベルで鷲づかみにされている感覚は、社会人になって、お見合いをする直前まで約8年間、一瞬も途切れることはなかった。
遺伝子レベルの刷り込みは未来永劫変わらないかも知れないが、社会の取り巻く環境は本人の意向とは関係なく変わっていくもので、何の話かと言うと、社会人になって何年も経つうちに、私はすっかり、ゼクシィのCMを見るだけで焦りと不快感から頭を壁に打ち付けたくなるような婚活系女子に成り下がっていた。地球上のどこか未開の地に住む部族は2より大きい数字を持たず、3より先の数はカウントできないらしいが、ややもするとお花ちゃんを前に思考力が停止しがちだった私も同様に、色んな数が数えられなくなっていた。
お花ちゃんにプロポーズした回数も思い出せない。でも多分、両手両足を使っても数えられないくらいは「結婚しよう」と言ったと思う。そうして結婚できていないということは、つまりそういうことなのだった。
金融業界で営業で、ほとんど女子で占められていて何となくいい匂いがしそうな事務方とは違って、男所帯でバリバリ稼ぐことが生きがいだったので、私はお花ちゃん一人くらいなら養っていけると、けっこう本気で考えていたというのもあるし、営業中の顧客との雑談の中で「あなた、何年も付き合っているなら、結婚しましょうって自分から言わなきゃだめよ」とご年配の奥様に諭されたこともあったからだ。
最後にプロポーズした時も、いつもと同じだった。
その日、私はいつものように、仕事あがりに都内のビアバーでお花ちゃんと待ち合わせた。お花ちゃんは私よりも先にちゃんと大学を卒業してはいたが、何となくふわふわしたアルバイト暮らしのような体だったので、時間の都合がつきやすかった。むしろ、様々な要因で、私の方が待たせてしまうことの方が多かった。その日もお花ちゃんに遅刻する旨を記した詫びメールを簡単に入れると、「うん」と返事が返ってきて、平然とビールを飲んで待っていてくれる様子が容易に想像できた。
店の扉は大きなガラスになっており、武骨な取っ手に手をかけた瞬間、店の奥にいるお花ちゃんが見えた。
今日プロポーズして最後にしよう。結局、『今の彼氏と別れる108の方法』ちゃんと読んでないけれど、でも、きっと、108も方法があるんだったら、何十回も女の方からプロポーズして、心が折れて諦めるという方法だってある筈だ。そう思った。