「織田裕二にベビーが! すでに妊娠8か月!」
短く簡潔にすることで、逆に余計な「意味」がくっついてきてしまう……。そんな文面のメールを友人から受け取ることで、あたくしはこのニュースを知りました。
そのとき、あたくしはちょうど実家に戻っていて、自分の父親とお茶をしていたの。うちのパパンは、あたくしが20代のころは、「長男(あたくし)の結婚および跡継ぎの誕生」にそれなりに期待をかけていたのですが、今はきちんとあきらめて、「お前がいいと思う人生を頑張って生きていきなさい。金は大切だから、計画性を持て」と、非常にまっとうなアドバイスをしてくれる人になりました。まあ、妹が女の子を2人産み、「ジイジ」としての喜びを存分に味わっているから、いまさら40超えた人間にどうこう言う気がなくなっているだけなのかもしれないけれど。うふふ。
メールを見て、
「へえー、織田裕二、赤ちゃんができたんだ」
とつぶやいたら、向かいに座ってお茶を飲むパパンが「ほお」と声を挙げたの。
「あら。数年ぶりに『結婚しろ。孫作れ』スイッチ押しちゃったかしら」
と、一瞬ヒヤッとしたものの、パパンは、「織田裕二って今何歳だったか?」とのんびりと訊いてくる。
「確か45とか46とか、そのあたりだったと思うけど」
「そうか。頑張ったなあ」
と、話はそれでおしまいに。
パパンとしては、その年齢で赤ちゃんを持つ男に対するねぎらいのような感情と、「すでにチャンスらしいチャンスもなくなっただろう息子に、かける言葉が見当たらない」という思いがあったのかもしれませんが、あたくしはあたくしで、心の中で「あら、おゆうったら、頑張ったなあ」と、パパンと文字面だけはまったく同じ感想を持っていたのです。
「頑張ったなあ」。この、ひらがなにすればたった7文字に込められた、パパンとあたくしのニュアンスの差をわかっていただきたいわ!
ひとつの行動が、同じ言葉で消費されるのに、そのニュアンスにここまでの差ができる……。これもある意味「スター」の条件ね。マドンナが50歳手前で着倒したレオタード姿に、ノンケのオトコ友達とあたくしが同様にもらした「すげえ」が、まったく違う意味だったようにね。あたくしたちの30年くらい先輩のオネエさま方は、ヒラミキ(平山みきではなく平幹二朗)と佐久間良子の間に子どもが生まれたとき、同じ感慨を持ったのかもしれない。こう
やって「ニュアンスの差を味わう」という文化も脈々と受け継がれていくものなのね。
あ、もうお気づきでしょうが、「おゆう」とは、あたくしたちが織田裕二を呼ぶときの略称です。そうね、ブラッド・ピットを「ブラピ」、ジョニー・デップを「ジョニデ」と呼ぶようなものだと理解してください。誰ですか!「悪意を感じる」とか言ってるのは! うふふふふ。