酢豚弁当を食べて眠った翌日から私たちはレンタカーを借りLAを巡った。メルローズ、ハリウッド、ユニバーサルスタジオ、ビバリーヒルズ・・・気持ち良く伸びる幅の広い道が私たちの行き先を示してくれる。まさにフリーダムだ。東京では喧嘩ばかりだった私たちの間にも笑い声しか起こらない。
ある夜、私たちは友人宅があるウエストハリウッドに向かった。ウエストハリウッドにはゲイタウンがある。新宿2丁目のレズビアンバーのオーナーの古い友人で、LAに永住しているレズビアンのレイゴンさんの家を訪ねた。そこはウエストハリウッドの一角にあり一軒家が綺麗に立ち並ぶ住宅街だった。まさに絵に描いたアメリカの街並みが眩しい。ただの住宅街がゲイタウン?ゲイタウン=2丁目のイメージしかなかった私には少々意外な風景だった。ゲイの家が集まるその場所は、生活の場としてのゲイの街だった。かわいらしい住宅が並び、家の前にこぢんまりだが芝生が広がる。郊外の日本の新興住宅地のようだ。しかし、よく見ると何かが違う。人が歩いていない。綺麗な家にそぐわないあのモーテルよりも厳重な鉄格子が窓についている。レインボーフラッグもない。
♪ピンポーン 「Sです!アンティルです!」
呼び鈴を押して名前を告げる。出てきた人はカーリーヘアな大きな人だった。
オジーオズボーン級のメタルのボーカルといった風情だ。会った瞬間私は彼女にレイボーンとあだ名をつけた。無論、心の中でだが。
レイボーン「よく来たね。」
武闘派レズビアン風のレイボンは私たちを部屋に招き入れた。2階建ての一軒家。
まずは、お宅拝見タイムだ!レイボンは真っ先に2階にある寝室に続く階段を昇って行った。
レイボーン「ここが私の自慢の寝室よ」
2人「えっ!」
私たちは思わず声を上げてしまった。壁には手錠がぶら下がり、ベッドの四隅には拘束具がぶら下がっている。部屋は蝋燭で彩られ、赤と黒の世界が怪しげに繰り広げられている。そうここはSM部屋兼寝室なのだ。
レイボーン「いいでしょう。ここにこうやって壁にカラダを貼り付けて、こういうものが丹念にあそこに入るの。ふふふ」
その時見たディルドが生まれて初めて見た本物のディルドだった。他にもバイブにムチに、猿ぐつわに、ハーネス・・・数々のアダルトグッズをレイボーンは初対面から5分後の私たちに披露した。唖然としている私たちにレイボーンがむしろ驚く。
レイボーン「まさかこういうの買ったことないの?!」
私「ローターくらいなら」
レイボーン「2人で使ったりしないの?」
2人「・・・・・・・・・」
レイボーン「じゃあ出かけるよ!用意しな!」
レイボーンの気合いの入ったアメ車に揺られ、私たちは気がつくと生まれて初めてのアダルトグッズショップにいた。どこにでもある街の中にあるその店。そこがカフェでもおかしくない店構え。しかし、ガラスケースの中にさっきのディルドが入っている。大きさの違う存在感のあるディルドにバイブ、ムチが壁に飾られている。ショーケースにはあやしいパイプも置いてある。
レイボーン「なんか買いナ!」
レイボーンに言われるままに私たちはショーケースから買うものを選んだ。私が選んだものは媚薬。Sが選んだものはローションだった。そう私たちにはまだバイブやディルドを買う勇気はなかった。
レイボーン「じゃあ私はこの新作のディルドを買おうかな」
私たちの動揺など気にもしないレイボーンは、直径8cmはあると思われる黒々としたリアルディルドをお買い上げした。
家に戻るとレイボーンのパートナーが帰って来ていた。とても小柄なレイボーンのパートナー。レイボーンの半分ほどしかない思うほど、小さく細い人だった。レイボーンがその小さなパートナーを壁に拘束する絵が勝手に浮かぶ。あまりにリアルに浮かんでしまうから、私は思わず口に出してしまった。
私「あの部屋で何が好きですか?」
パートナー「そうね。みんな好きだけど今のお気に入りは、ムチね。あの赤い綺麗なムチ。見たでしょう?あれでレイのお尻を叩くと最高に興奮するの。」
えっ!レイボーンが叩かれるの?!その時私は初めて、見た目で性癖を判断することなど愚かなことだと知った。
レイボーン「私もよ♡」
パートナー「ディナーを用意したからリビングにどうぞ」
パートナーに勧められるまま、1階のリビングで私達は乾杯をした。
すっかり打ち解け、お酒が進む。その勢いで私はレイボーンに気になっていたことをたずねた。
私「この鉄格子はなんでついているの?」
牢獄並のすき間のない鉄格子を指さした。
レイボーン「ここは今ロサンゼルスでも有数の危険地帯でね、この前も前の家が襲撃されたばかりなのよ。」
この住宅街で襲撃?あまりにピンとこなくて言葉を出せないままでいると、レイボーンは、続けて話し始めた。
レイボーン「アメリカはゲイ文化が進んでいるっていうけど、そんなことはないよ。確かにこういう風に、セクシャルマイノリティの家が集まっている街はなかなか他の国とか日本にはないけど、マイノリティを許さない奴らの行動は日本じゃ考えられないほどひどいんだよ。窓を割られる、ひどい言葉を吐いて通り過ぎるなんてのは大したことじゃない。当たり前。最近は家に銃弾が撃ち込まれる事件が多発しているし。だからこんな鉄格子じゃ命は守れない。だから私たちは銃を持っているのよ。アメリカでセクシャルマイノリティであるということは死と隣り合わせなのよ。」
言葉による暴力は私も散々味わった。でも命の危険を感じるほどのことは体験したことはなかった。あの鉄格子でさえ防げない危険の中で、この人達は生きている。
S「日本に帰る気はないの?」
レイボーン「ないね。私はここでの生活が気に入っているし。」
私「でも日本だったら、そんな怖い思いはしないでしょう?」
レイボーン「でも日本には自由がないから」
こんなに危険な状況で生活しているのに、日本には自由がないと言ったレイボーン。その意味を90年代前半、20代の私が知る由もない。安全だが自由のない日本。そして自由と引き替えに危険が近くにあるアメリカ。
あの時、レイボーンが言った“自由”という意味を私はまだ理解していない。
身の危険の中にあっても存在する自由とは何だろう。
40代になった今、あの当時には考えられないほど私は楽に生活している。理解する人に囲まれ、直接的な悪口や陰口を吐かれない日常。でも今の私は自由なのだろうか?今の日本はセクシャルマイノリティにとって自由なの?今ならレイゴンは日本にいることを選ぶだろうか?まだアメリカを選ぶだろうか?
自由とは何だろう。自由とはどこにあるのだろう。
そう書きながらふと外を見た窓にあの鉄格子が浮かんでいるように思えた。
鉄格子は私と社会の間に昔も今も有り続けているのかもしれない。