Sの仕事を待ち落ち合ってから朝まで酒を煽る生活が1年を過ぎた頃、私達はロサンゼルス旅行に出かけた。Sの夢はロサンゼルスで暮らすことだった。そんな夢を実現するために、店に出る前に英会話を習っていたSは自分の英語を試すべく私との旅を決めた。そんな夢があることを初めて聞いた私はSの夢を共有する喜びに浮き足だっていた。しかも太陽が上がっている時間にSとゆっくり過ごせる!客に邪魔されることもない!夢の旅が始まった。
時代は90年台前半。ロサンゼルスは危険な街として有名だった。Sがいつも泊まっているというモーテルは、LAの中心地にあるTHEアメリカンモーテル。海外でホテル以外の場所に泊まったことがない私は初めてそのモーテルを見た時、絶句した。駐車している車のフロントガラスに銃痕が。モーテルの窓には鉄格子を張り巡らせている。幸せいっぱいのSの顔と反比例するように私の顔は恐怖に満ちていた。
『まぁこんだけ鉄格子があれば逆に安全だろうし、アメリカカルチャーを楽しもう?』そんな風に自分の気持ちを励まし、部屋に向かった。
外階段を上り部屋のドアを開ける。「部屋が最高なのよ!」と上機嫌のSの後ろで私が見たものは、映画で殺人を犯した犯人が逃げ込むようななんともアメリカンな部屋だった。私はホテルや旅館に泊まるとき、かならず絵画の裏をチェックする系だ。何気なくかけている絵の裏に何かがある、ベットの下に何かが貼り付けてあるなんてことがないように丹念にチェックする。しかしその部屋は、探すまでもない。確かにここで何かが起きていると確証できる部屋だった。起きていないはずがないというような部屋だったのだ。壁にある変な染み、バスタブには2cmほどの穴がポツポツ空いている。もちろん窓には鉄格子。しかも2重だ。
「お腹すいた!前のチャイニーズで何か買ってきてよ!私は明日のレンタカーの予約とかしてるね。」
うん、と言いながら私は“遊ぶ!美味しい!LAガイドブック”と書かれた本の最後部をチェックした。
“比較的安全なエリア=無印”
“夜の外出は控えた方がいいエリア=緑”
“朝夜共に避けた方がよいとされるエリア=黄”
“絶対行ってはいけない犯罪多発エリア=赤”
『う?ん、私がいるところはこのエリアで、あっそうそうここに教会があるから、このストリートでしょ。で、このアベニューってことは・・・・・』
私が今いる場所は赤エリアだった。
朝も夜も、車ですら通らないほうが良いとされるエリア。しかも今は深夜0時。一人歩き。まさにガイドブック的には自殺行為だ。Sはウキウキ気分でレンタカー屋と話している。『この旅は最高の思い出としなればいけないんだ!客や酒が立ちはだかる私たちの日本での生活の荒波を越える糧にしなけえればいけない!だからここでSの期待に応えなければいけないのだ!』
私は自分に言い聞かせ、チャイニーズレストランに行く決心をした。まずは準備だ。クローゼットから胸ポケットがあるシャツを選び、部屋の灰皿を無理矢理差しこんだ。もし心臓めがけて打たれても、これがあれば命は助かるかもしれない。よくドラマでお守りがあって助かった主人公がいるように。そしてタオルを筒状に巻き、トランクスの中に入れた。もし、女だろうとカラまれた時、ペニスのフェイクになるかもしれない。髪の毛を思いっきり乱し、ヘアスプレーをかける。怪しいオーラを出せば近寄らないかもしれない・・・私は考えうる全ての完全防備をし、チャイニーズレストランに向かった。
LUCKY GARDEN=ラッキーな庭
と書かれた看板の前には不思議な程、人がいない。アフリカの荒野にたたずむライオンのように、ポツポツと暗闇に立つ人の目だけが私の姿を捉える。私の恐怖はMAXまで90%。扉を押して中に入ると、2m近くあるのではないかと思う若者が、大騒ぎしている。それはまるでヒップホップのPVに出てくるストリートギャングだ。私を見た数人が、肘をつつき合っている。私はアジア人。しかも外見で女とも男とも見えるセクシャルマイノリティ。日本でさえ、中学生に間違われることがある小者だ。
しかし、目標は達成せねばならない。コーラと弁当を必ず買って帰らなければいけな
いのだ。まずはコーラ。ショーケースの前にいる男達に向かわなければ、私とSの未
来などない!私は覚悟を決めて真っ直ぐに歩き出した。男達の視線が私に集まる。そ
んな視線に負けずと私はコーラに手を伸ばした・・・・
成功した。私の気迫に負けたのか、私のコーラまでの道はモーゼのように開かれた。
しかし、まだ終わってはいない。弁当を買わなくては。私は緊張のあまりめまいを起こしそうになりながら、カウンターに向かった。しかしここで私は思い立った。
『声を出したら女だということがわかり、マイノリティだと攻撃されるかもしれない。
ここは声を出さずに注文しよう。』
私は、店員の頭上にあるメニューを必死に指さした。
それは漢字も書いてある英語メニュー。6つ程のメニューがある。私は必死に指を指す。しかし、その距離1m20cm。わかるはずがない。しかし声は出せない。50代くらいのアジア系の店員の苛立ちが伝わってくる。そんな時だった。コーラの前にいた男達が私に向かって全員でやってきたのだ。私の頭の中ではヒップホップが流れ『ファックファックジャップジャップ』と言っている。みんな顔がコワイ。『あぁ私もここまでかぁ』と極楽浄土に想いをはせた瞬間、一人の男がカウンターに乗っかった。
『あ!そうか私が目的ではなく強盗だったか。』
そう諦めてしゃがみかけた瞬間。男は看板を指さした。
「THIS?」(たぶんこう言ってた)
私は思わず頷いた。
「OH! SWEET PORK」
男達が拍手した。
酢豚弁当を2つ、コーラを2本持ちながら私はモーテルに戻った。
「美味しいね!」
と無邪気に笑うSの前で、私は絶対Sと幸せになるとSWEET PORKに誓った。