Sとのセックス。それは私にとっては応用編ともいうべきものだった。
Tとのセックスは基本編。ヘテロセックスをお手本に私がオンナであるということを感じさせてはいけないセックスだった。挿入する指は中指と薬指と小指の3本でできるだけペニスに近い形を作り、ペニスがあるべき所に指で作った偽ペニスを施し、挿入する。その基本形にエッセンスを加える。エッセンスは今となってはTの癖だったとわかる。しかしその当時はただただ必至に“これがセックスというものなんだ!”と思っていた。自分が感じるより、期待を裏切らないセックス、毎回同じような品質を守り抜く安定品質が命のセックスだった。
Tが望むプレイの数々は、以前、このコラムでも、坂井恵理さんに描いていただいたこのコラムのマンガにも登場したが、今振り返ると「よくやったなぁ」ということが多いセックスだった。どこかに泊まりに行った時、または休憩に入った時、Tは部屋に入るとまず、部屋全体を見渡す。挿入するものを探すのだ。ある時は、古い旅館の窓際にひっそりあったちゃぶ台。私はちゃぶ台の脚を、小さな洗面所で必死に洗い、爪切りのヤスリでTの膣を傷つけないように研ぎ上げた。Tがお風呂に入るまでにそれを仕上げる。指定するのはTだが、その準備の姿は見せてはいけない。まるで「鶴の恩返し」の鶴だ。開いた脚の前で、私はちゃぶ台の4本脚を時計回りで交互にTの膣に挿入する。かなりの力仕事だ。
ちょくちょく、このような突飛な注文は入ってくるが、基本はヘテロのセックスをまねた、脈々と世の中に受け継がれているセックスがベースだ。伝統芸能の型を守る歌舞伎役者のように私はそんなセックスを勉強した。
Sとのセックスは、Tとのセックスで作り上げた基本から少し自由になれるセックスだった。挿入する指の位置なんてどこでもいい。Sの膣の形に一番合う位置で、3本の指でいろんな形を作ってみる。私がオンナだと相手に感じさせないようにすることが、相手から嫌われないことだと思い続けた私は、当初、鎧を着ているかのようにカラダを隠し、セックス中に注意を怠らなかった。胸を潰すコルセット、その上にサラシ、そして厚手のTシャツ。下半身はトランクス2枚履き。しかし、Sは序序に私の鎧を脱がしていった。まずはTシャツ。Tシャツを脱いで初めてするセックスは爽快だった。
相手のカラダと触れあえる場所が増え、カラダが密着する感覚は性的興奮に直結した。次はサラシ。万が一コルセットが取れて胸が露わにならないために、そして胸の感触が伝わらないように固めるために巻いていたサラシ。それを取られた時、私は裸を見られるような恥ずかしさを感じた。数ミリのサラシの厚みが、何枚もの服にも相当するものだったと知った。最後はトランクス。濡れていることを隠すために、2枚履きをしていたトランクスが1枚履きになった。そして、私は自分がキモチよくなるにはどうしたらいいのかを追求した。
Tの時は、指を“挿入”し動かしている動作の時に、偶発的にパンツがクリトリスに触れた時、私はTからの警告を受けることなく、安全に“気持ちよく”なった。警告とは別れ指す。オンナのカラダを感じさせることがないよう、慎重に気持ち良くなるには、偶発的なパンツとクリトリスとの出会いしかない。しかしSとのセックスでは、挿入しながらSの太ももにクリトリスをあてて、擦ることができた。自主的な快楽だ。Sの息づかいに合わせて私もオーガズムを目指す。それは私にとっては応用編ともいうべきセックスだった。
私はSとのセックスを楽しんだ。しかし、お客といちゃつくSを見るたびに、Sは、本当はペニスのない私とのセックスでは満足していないのでは、と、不安になった。応用編になってもあの頃と同じ。ペニスの不在。欠損感。Sが男を選ぶかもしれないという不安・・・・人間の脚に憧れる人魚姫のように、Sがいない夜、私はペニスのない下半身に涙した。