前回、椎名林檎のサッカー応援ソング『NIPPON』を単なるプロパガンダに思えない、と書いたとは言え、そのPVにはためく日の丸には躊躇しました。
歌詞の「万歳! 万歳!」が「フレーフレー」と発音されていること、それが掛かるのは「日本晴れ」という天気に対してだということ、次の、「列島草いきれ」はサッカーのグラウンドを思わせること、「混じりけのない気高い」血ではなくて、「青」だということ、それはどうやら炎で、闘志にスライドしていくイメージを持つこと。
「淡い死の匂い」に至っては、むしろ、「特攻賛美」の世の中をそのまま表していて、そんな世の中では、平和の象徴である(はず)スポーツ精神がいっそう輝く、と歌っているんじゃないかしら、などと、このめくるめく言葉遊びを解釈しました。
NHKがもしも他の人に依頼していたら、そんな解釈の余地も見当たらないような、「そのものの歌」(軍歌)が出来上がっていたんじゃないか、と思うほどです。右傾化を避けることなく取り込んで外す(関節を?)、といった技は芸として見事だと思います。
そういう意味でも、CDジャケットの日の丸はそのものではなく、赤いサッカーボールがはみ出たデザインにしているし、広告に使われている旗はレインボーだし、PVはモノクロで全体は映りません。最初の時報画面をのぞいては・・。
それは真っ青な空にはためく日の丸です。
先月、出雲大社に遊びに行ったときに、巨大な日の丸を見ました。
友人が「怖いし、気持ち悪い」と指を差した先に、多少の風では、はためかなそうな大きさの日の丸が見えました。
「出雲大社ってこんなことになっていたのね・・」と言うので、「え、隣の家のじゃないの、あれ」と私もようやく驚きました。
国家神道だったの? ここは靖国なの? 八百万の神々はいずこへ・・と、勉強不足な私たちはおののきました。
後でネットを見ていると、あの日の丸は日本で一番大きくて、75畳ほどあるとか・・。さらに長らく、NHKの一日の放送終了画面に使われていたと知りました。
そこで、『NIPPON』のPVにつながりました。あれがこれだったのかもしれません。「さあ、みなさん、NHKの歌が始まりますよ!」と宣言していたのか、と思いました。
私が日の丸から目を逸らしてしまうのは、それが日本の植民地支配の象徴であった歴史を消化できないままでいるからです(するつもりもありませんが)。
日の丸を見て、つらい思いをする人がいるなら、そんなものは掲げなくていいと思っています。君が代の唱和についても同様です。
だったら新しい国旗をつくればいい、という動きもありましたが、私はそこで、そんなものはいらない、と思ってしまいます。国旗も国歌も国境もいらない、というのが理想の最終形態です。右翼も左翼のことも、結局よくわからないのは、私には国家と一体化する思想がそもそもないからでした。
中学生のときに担任だった先生は、入学式や卒業式での日の丸の掲揚と君が代の唱和に反対していて、式の当日には他の先生たちとともに、日の丸を出そうとした校長を体当たりで止めた、と個人ノートで教えてくれました。
個人ノートは先生と一対一で交わされる交換日記で、40人はいたと思われるクラスで行われていました。それと、6つに分けた班ノートとそのすべてに返事を書き、週に一度は学級新聞を発行して、精力的な先生でした。
個人ノートを続けているうちに、先生が日本共産党を支持していることを知りました。というか、ウチの書店のお客様でした。
その流れもあってのやりとりでしたが、今でもあのエピソードは、「戦後左翼のイデオロギー」がなんちゃら、というより、教育の現場に政治思想を持ち込ませない抵抗だったと思っています。
日の丸が日の丸であるだけで、すでに何らかの思想を背負ってしまっている、ということです。
それは、できれば公の場で目にしたくない思想の一つです。
そうやって目を逸らしてきたあいだに、公教育の現場では、すっかり掲揚と唱和が当たり前になってしまいました。
インターネット内では「大東亜戦争がアジアを西洋諸国から解放させた」という修正主義が広がり、さらに路上に出てきて隣国を罵倒しているような状況です。まるでいいことをした、と言わんばかりの言説に、また日の丸が使われています。そんな、人殺しを正当化する思想に対しては抵抗していたい。
椎名林檎の『NIPPON』の歌詞と映像によって付きつけられたのは、これが現実で私たちはすでにその一部である、という再認識かもしれません。
本当は、林檎さんに関しては、先日の、石川さゆりとのコラボが素敵だった件について書きたかったわ・・、と思いつつ。