このラブピースクラブで『無敵の女力』というエッセイを連載していたときに、「芸能人は、一般人からの愛と軽蔑を同時に受ける存在」といったことを書いた記憶があります。最近はネットの発達でノイジーマイノリティが目につく頻度が増えたから、より「軽蔑」のほうを受ける機会が増えているわね。アンチと呼ばれる存在が、その対象に気軽にコンタクトできる(ような気になっている)から。
芸能人のジャンルの中でも、毀誉褒貶がいちばん激しいのが「アイドル」という職種だと思います。まあ、演技力とか歌唱力とか、ソングライティングの能力とか、そういったことが二の次とされがちな分野だから、どうしてもアンチの存在は出てきてしまうわね。
そんなアンチに、どう対応するか。これは大きく分けて3つのやり方があります。
ひとつ目は「徹底的に無視する。完全にいないものとする」。例えばデビュー当時の松田聖子は、「人気・支持」と「ぶりっ子バッシング」がかなり拮抗していたのだけれど、聖子(およびスタッフ)は、バッシングなどまったく目に入っていないかのようにふるまっていたわ。それはそれで異常なほど胆力のいることなんだけどね。「そもそもアンチなんてこの世に存在しない。私(ぼく)のことを嫌いな人なんて、この世に存在するはずがない」という、壮大すぎる大前提の下に生きているわけだから。だから、このスタンスでやっている人が、うっかりツイッターなんかで「私は好きな人だけに向けて仕事をしていくんだ」的な宣言をしてしまうのは、アンチを喜ばせるだけになってしまうのよね。「自分のことを嫌いな俺ら(うちら)のこと、頑張って目に入らないようにしてるだけじゃん」というのは、アンチにとっての大ご馳走だからね。
ふたつ目は「アンチという存在がいることを知っていることを大前提にして、対抗策を生み出す」。AKBが『アンチ』という曲を(カップリング扱いではあるものの)リリースしたり(歌詞はネットを検索すれば出てくるので出しません←著作権対策)、前田敦子が「私のことは嫌いでも、AKB48のことは嫌いにならないでください」と涙ながらに絶叫したり。
つい最近だと、24時間テレビで、関ジャニ∞の大倉忠義が募金の列に並ぶ一般人の女子に、握手のために差し出した手を思いっきり叩き落とされていたあとで、ムカつく表情を一切浮かべず、なんとか苦笑いで切り抜けようとしていたわ。個人的には、大倉が関ジャニ∞の中ではいちばんルックスのレベルが高いと思っているので、テレビ見てるこっちも「ほかの関ジャニのメンバー差し置いて、そこまでやる子がいるのね」と驚いたけれど、とっさの出来事への対応としては、大倉はかなり上質だったと思うわ。
ちなみに、この2番目の方法の先駆者は、あたくしは小泉今日子だと思っているの。90年代の中盤あたりの『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で、デビュー当時の営業回りのことが話題になったとき、キョンキョンは「(営業先で)『てめえなんかこんなとこ来んじゃねえよ』とか言われましたよ」と言い、司会のダウンタウンから「うわ。そんときどう思った?」と訊かれると、「『来たくて来てんじゃねえよ!』って言いたくなっちゃった」とサラッと答え、きっちり爆笑を生み出していたわ。さすが、「自意識のコントロール」と「嗅覚」にかけては、当時のアイドル界のみならず芸能史上でもトップ集団に位置するだろうキョンキョンの実力をまざまざと見せつけられた思いがしたものよ。
で、三つ目の方法は、最近出てきたばかりのもの。それは「アンチの存在をはじめから勘定に入れたうえで、そちらの側にも一定のサービスを施す」というやり方。「アンチも笑わせる。楽しませる」わけだから、かなりきつい業務よね。この3番目の方法に関して、トップを独走しているのが、NEWSの手越祐也です。
ちなみにあたくしは、NEWSはけっこう好き。『チャンカパーナ』あたりは歌謡曲のいい部分をきちんと引き継いだ作りでレベル高いし。あたくしのようなババアにも大変やさしい「サービス」になっているから。KinKi Kidsの初期の曲や、修二と彰(亀梨和也と山下智久のユニット)の『青春アミーゴ』あたりに通じるステキさね。
さて、そんな手越が出演する『世界の果てまでイッテQ』(日本テレビ系)。これは、出演者が世界のさまざまな場所に出向き、体を張っていろいろなことに挑戦するバラエティ番組。どうやら現在、バラエティ番組の中で1,2を争う高視聴率番組だそう。その番組に唯一の「イケメン枠」で出ている手越ですが、その扱いがもうね、ひどいのよ、いい意味で。
手越が何かカッコいいことをやり遂げた後に、「孤高のアイドル・手越祐也」という煽り文句とともにNEWSの持ち歌が必ず流れるのが、この番組のお約束。もちろん、生粋のファンにとってはたまらない絵ヅラでしょう。しかしこれ、『めちゃイケ』で体を張りすぎて事故ギリギリの結果が生まれてしまったときに、スロー映像とともに『空に太陽がある限り』を流される「スター・にしきのあきら」と文脈的にはまったく同じだからね。しかも、練習の途中で起こる小さな成功に「オッケー!」と喜ぶ手越には、狩野英孝の「オッケー!」がかぶさる編集になっているし。
また、「手越が課題をやり遂げるまでの悪戦苦闘」のシーンに挟まれるナレーションがいちいちひどい(繰り返しますが、いい意味で)。両サイドの操り手によって幅を変える2本の竹の間を、ステップしてダンスの形にする「バンブーダンス」に挑戦する回では、練習早々に「いけるでしょう」という手越のコメントのあとに「神様、どうかいけませんように」というナレーションが入る。で、手越が失敗するごとに入れられる「イエーイ」というナレーションが、どんどんボリュームが大きくなっていくの。休憩中、「視聴者の中学生から届いた」という「どうしたらダンスが上手くなるのでしょうか」という相談メールに答える手越が、ナルシシズムをあふれさせていく場面では、容赦なくそれを途中でぶった切り、画面一面のラベンダー畑に切り替えたり(しかもそれをワイプで見ていたウッチャンが「ありがとう!」とスタッフの判断にお礼を言っていた)、けっこうなやりたい放題ぶり。そして、これを許容し、一緒に楽しむファン。日本の「アイドル賞味法」は、ここまで進化というか洗練されたのね。一般人の「メディア空間で空気を読む」能力は、世界中で日本がいちばん高いような気がするわ。それがいいのか悪いのかは、また議論の余地はあるだろうけど。
8月17日にオンエアされたスイスロケ編でも、バブルサッカー(大きな透明ビニールの風船の中に入って行うサッカー)でボッコボコにされるたびに「イエーイ」をかぶせられ、滝からロープで下りるというかなり危険な撮影に「絵柄が地味。ごめん、やんなくてよかったわ」とナレーションを入れられ……というご丁寧な扱い。これ、「手越祐也のことが嫌い」という層はもちろん、「好きでも嫌いでもない。というか、どうでもいい」という層(すべての芸能人は、この層がいちばん多いもの)にも非常に親切な作りね。それをアイドルに対してここまで念入りにやっている点で、いままでの海外ロケ番組とは明らかに一線を画していると思うわ。もちろん、制作側が手越のことを好きであることがすぐに伝わってくるイジり方ではあるし、だからこそ番組自体も「視聴率」という評価につながっているのでしょう。
あ、そうそう。「AKBは視聴率を持っていない」と、いろんなメディアで言われていますが、そんなAKBも、年に1度の(AKB的)大イベント・総選挙のテレビ中継では、20%に届こうかという平均視聴率を稼いでいるそう。でも、実はそれ以上に『めちゃイケ』の抜き打ちテスト企画のほうが、視聴率が高いというのも象徴的ね。要するに「AKBの人気者決定戦」ではなく「AKBのバカ決定戦」のほうが高人気。「アンチ」や「どうでもいい」層に向けてのサービスが含まれていないと、数字を取ることができないなんて、厳しい時代になったものね。
あたくしの周りに、もし、いまから「アイドルになりたい」というオンナの子、オトコの子がいたら、全力で思いとどまらせたいわ。若くて可愛い(だけ、と思われてしまう)子は、今後、ヘタな芸人以上のタスクを背負わされることになるだろうからねえ。