雑誌の発注を任されるようになって三ヶ月を過ぎた頃、そろそろいいかしら、と誰も気にしていないのに、勝手に頃合を見計らって、ゲイ雑誌を入荷することにしました。
書店に流通している雑誌は三誌あって、それらを二冊ずつ注文しました。新宿二丁目ですら売れなくなったと言われて久しい雑誌です。勇むよりも控えてしまいました。
その中の一誌は、前に働いていた二丁目のビデオ屋で百冊仕入れていたものです。
その時もビニール袋に入れていましたが、エロの要素が強いこともあって、ウチでも入れることにしました。その作業をしているスタッフに渡すときに、少し恥ずかしくなって、聞かれてもいないのに、三誌の違いを説明してしまいました。
まあ、ヴィジュアルの違いを説明されても、興味がないことはどうでもいいらしく、他のエロ本と同じようにサクサクと処理されていきます。
やはりなかなか売れませんが、それでも一冊売れると、嬉しそうに報告してくれる若いスタッフもいます。その彼はうっかり中味を見てしまい、トラウマになった、と嘆いていました。フケデブ専の方です。
「そう? こっちのほうがエグイと思うけど」と、いろいろと剥き出しになっている男女モノの表紙を指差してみました。
それを笑いながら聞いている未成年のスタッフは、アニメの女の子に夢中です。
言っとくけど、それはコインの裏表だからね、と、言わずに思いました。
ちょうど、『決定版 感じない男』(森岡正博、ちくま文庫、2013)という本を読んでいたこともありました。著者は、自分の「ロリータ性向」が何なのか、に踏み込んでいきます。
それは、男の体に嫌悪している自分を認識するところから始まります。ヴィジュアル的にも、女の体より性的に感じる箇所が少ないと言われているという不満からも、嫌悪している。その自虐感情や劣等感を持ったまま、女性憎悪を経て、「少女」と一体化したい、というところへ辿り着きます。その願望は、ごつごつとした醜いこの体を脱ぎ捨てて「少女」になることができたら、私はようやく自分の体を隅々まで愛することが出来る、という祈りに近いものだ、という結論でした。
個人的には、彼が、自分の体への忌まわしさを慰めようと、せめてもの思いで内面も外面も「男らしさ」を強化した二十代のときに、ゲイと年上の女性にもてて仕方がなかった、という件に笑ってしまいました(ゲイの現場は、マッチョのみならず、様々なタイプの体を好きになる人たちで出来ています)。
著者近影にあるそのイチローのような顔立ちと、「男らしさ」という名の自虐と劣情が、好意を呼んだのだろうと思いました。
この本が刊行されたのは2005年、まったく知りませんでした。
先月創刊された『ROLa』という雑誌では、音楽家のヒャダインさんが、今のアイドルを分析していました。1985年生まれの彼は、『女の子たちが罵倒され、否定され、切り捨てられて、髪を振り乱しながら涙を流す姿を見て、僕はすごく興奮した』と語り、それは、『女性への劣等感から生まれた醜い感情がそうさせたのかもしれない』と言います。
その論は、女の子と一体化したい、というまでには至りませんが、共通の大人の敵(秋元康とか)を見つけて(設定して)、共に闘うことによってアイドルとファンの一体化を生んでいる、と指摘していました。
その闘いのためにはお互いに恋愛を封印しなくてはいけないし、むしろ色気なんていらない。もはやアイドルは男になんか媚びない。そこに若い男たちが萌えている(『ROLa』2013年10月号)。
2013年、も面白いです。
男の問題を女の体を使って回避しようとしているのは相変らず問題だとは思いますが、自分の問題だと捉えているところに好感が持てます。って、偉そうに。
女になりたいわけじゃない、(女の子のように)可愛くなりたいだけ、愛されたいんだ、と言っていた女装の「男の娘」を思い出します。女の子でいることがそんなに楽なことかどうか、がわからないので、なに言ってんだか、と思っていました。けれど、楽になりたい、女はずるい、という意味の裏側に、自己嫌悪がへばりついているのだとしたら、女装でも何でもして、それを剥がしていく作業は必要だと思います。
私は、それが自己嫌悪かどうかはわかりませんが、ノンケの男を好きになったときに、彼好みの女性の体になれたら、もしかして・・、と妄想して身もだえすることはよくありました(今はもう、誰も・・)。
それはどういうことだったのでしょう。女性になりたい、ほんとは女だった、という方向でしょうか。いえ、そのときだけでよかった・・。
変身願望でしょうか。いや、結局、自分の体が原因で拒絶されるのが怖かったのだと思います(本当は体が原因ではなさそうですが)。それに決まって好きになるのは、自分の性や体のことで悩んだことなんか一度もない、といったような(というように見える)人でした。
性欲や恋愛は、憧れや恨みを伴って一体化を求めてしまうものなのかもしれません。それでどうなりたいのかなんて、あとは知らないような、暴力的ものでした。
十九歳のスタッフの男の子は、アニメの中のアイドルグループの一人に恋しています。ヴァーチャルが二つ重なるともうよく分からなくなりますが、自分の欲望に忠実な結果なのだと思います。現実だって、お互いの妄想がぶつかり合うだけで似たようなものかもしれません。「傷つけあう」とか、本当に必要だったのかわからなくなります。
以前、刑務所から出てきたノンケの「男の娘」と暮らしていたことがありましたが、この秋、二年ぶりに、「また捕まりました」と手紙が来ました。現実はきびしいね、と返事を書く筆が止まったままです。