前回、イスタンブールの静けさを書いたばかりだけれど、書いた直後の15日夜くらいから、急激に街の“一部の”空気が変わっているように思う。というか、16日日曜日のお昼、私は催涙ガスをまともに浴びました。
その日、“オーガニック素材にこだわった地中海プレート”を街の中心から外れた、海の風が心地良い小さなカフェで食べた。空と海が溶け合うような青い世界にいて、もうね生きているだけで幸せよね、という時間を噛みしめながらオリーブを何個も何個もほおばった。古い本が壁に無造作に並び、若い人たちがiPhoneをみたり、本を読んだり、友だちとゆったりしゃべりながらチャイを飲んでいる。真っ赤なトマトや力強いアボガドや重たい~チーズが皿いっぱいに並んでる。ああ、き・も・ち・い・い! きっと私はへらへらしていたと思う。食後の散歩をかねてタクシム広場に向かった。
前の晩に警察は、催涙ガスや放水を使い公園にいた人々を強制排除していた。私が見たフェミニストグループやLGBTのグループはどうしているんだろう、、、、知りたくてタクシム広場に向かったのだけれど、イスタンブール旧市街の細く急な坂をのぼるうちに、目がチカチカしてきた。喉もピリピリしてきた。催涙ガスを浴びたことはないけれど、明らかに空気が暴力的。昨晩の催涙ガスが残っているのだと思った。
たどり着いたタクシム広場は案の定ロープで封鎖され、警官がずらりと並び一般人は入れないようになっていた。ロープの外側には、行き場を失った若者たちが道ばたにぽつぽつと座るようにして“何かを待って”いた。マスクやヘルメットやゴーグルを売りに来ている人もいるけど、二日前の空気とはまるで違っている。誰ももう、しゃべっていない、踊っていない、語り合っていない。ただ疲れたように座っている。何かを、待っている。
ふだんは買い物客であふれる通りだけど、ほとんどの店がシャッターを閉めたり、鍵を内側から閉めた状態で店員たちがガラス越しに外を見ていた。広場に向かう一番大きな通りでは、野太い声の男たちが、士気を高めるかのように突如歌い出したり、何かを叫んだり、閉められた店のシャッターをばんばん叩いている。「アタテュルクを忘れるな!」というかけ声を誰かがあげると、それを合図に歌がはじまり、歌い終わると通行人やお店の中の店員たちが一斉に拍手をする。その横をブランドの紙袋を片手にアフリカ系女性(たぶん観光客で、モデルっぽい)が二人、のんびり歩いていたのだけど、”普段通り”の彼女たちが異様に見えるほど、街は興奮してた。
もちろん私だって手ぶらの観光客だ。マスクはしているけど、ワンピースを着て、サングラスして、サンダル姿。とにかく早く帰らなきゃ、という気持ちで大通りの端をガシガシ歩きホテルに向かった。私はこの街に来て初めて緊張していたと思う。一気に“オーガニック素材にこだわった地中海プレート”が過去に飛んでいってしまった気分だし、猫の姿も見えなくて、空の色ももう青くない感じ。
しばらく歩いていると巨大な人の塊が前方に見えた。幅50メートルほどの大きな通りいっぱいに人人人人人人。後で見たニュースによると3000人くらいいたそうだ。数千人がタクシム広場に向かって、睨むようにこちらを見ている。彼らの視線の先には私・・・ではなく、私の背後にいる警察隊・・・。何かがもうすぐ起きる、そのことはわかったので、すぐに大通りを交差する細い路地に入った。
そこにはデモ隊の仲間やメディアや、私のような通行人が息を潜めるようにして大通りをのぞいていた。私もその中の一人になって、警官とデモ隊のちょうど真ん中あたりを走る路地で街の様子を見た。
しばらくすると警官が拡声器を使いデモ隊に向かい話しはじめた。何を言っているかはわからないけど、何かを警告しているのはわかる。デモ隊からはブーブーブー野次が飛ぶ。そして警官が「最終催告」をしたのだろう。催涙ガス銃を手にした重装備の警官が放水車と共にデモ隊に向かい進みはじめた。
テレビやニュースではわからないことだと思う、でも。数千人のデモ隊に向かう警官は、たった、たった、たったの20人ほどだった。もしかしたら20人もいなかったかもしれない。もちろん街のあちこちに警官はいる。でも、巨大な人の波を散らすには、たった20人の重装備をした警官と放水車一台で十分なのだ。そのことに私は衝撃を受けた。
もし警官が何百人もいたら、もし警官でなく軍だったら、そもそも通行人の私はこんなところにいなかっただろう。だけど、この日は明るいトルコ日和で、海の風が届く優しい街中で、まだ通行人がいる状況で、買い物袋をかかげた人もいる中で、警官とデモ隊の距離はじりじりと縮まっていったのだった。街そのものが目撃者だ。路地裏からビルの上から色んな目が警官とデモ隊の衝突を見守っている。緊張感はあるけれど、誰もが固唾をのんで見守るくらいのゆるさを残しながら、催涙ガスはデモ隊に向かって発砲された。彼らの間は、たった数十メートル。
・・・って、ここまで書いたところで。一緒にここに来ている友だちが呼んでいるので、一息入れてトルコ石を買ったりアナソフィア見に行ってきます。なんかじらしてるみたいでイヤだけど、結果的には私は今、のんびりとホテルの部屋でこうやってチャイ飲みながら原稿を書いているわけで。私もイスタンブールも元気。
ここには世界中の人が集まっているのを感じる。イスタンブールの人が誇りを持って言う「世界がもし一つの国だったら、首都はイスタンブール!」というナポレオンの言葉を、街を歩きながら何度も何度も実感する。ナポレオンに”共感”できるなんて、歴史って、すごい、街って、すごい! よね。