新宿二丁目のバーで会った人たちの中で、私のいま働いている書店を知っている人が一人だけいました。店名を聞いた彼は、「民主書店じゃないですか!」とにこにこしながら叫びました。
あいにく私はその呼び方を知りませんでした。知りませんでしたが、なんとなく意味はわかりました。けれど、やっぱり耳慣れない言葉なので、はあ、とか、へえ、とか言っていると、「有名じゃないですか!」と彼は畳み掛けるように言いました。
有名じゃないと思う・・、誰も知らなくて当然だと思っていて、知っている人が現れたことに驚いている最中に念を押されても・・。
聞けば、彼は前に出版社に勤めていて、その会社が「民主系」だったそうです。言ってみれば、同じサークルの人なら知っていてもおかしくない程度の話でした。
はっきり言ってしまえば、日本共産党関連の書籍を販売している書店という意味になります。
初日にレジに入った私は、官能小説の売れ行きに驚きました。文庫が良く売れているようです。民主書店・・!
経営が厳しいので、それまで置かなかったコミックとエロ本を取り扱うことにしたのが、二十年くらい前の話だったでしょうか。私が子どもの頃には、漫画は手塚治虫と藤子不二雄と「はだしのゲン」しかありませんでした。
いまや、コミックは店舗を別に構えて、本店の半分は一般書のスペースになっています。
一般書とは、その名の通りどこでも取り扱いのある書籍のことです。雑誌、ビジネスに文芸、実用、資格、パソコン、人文、文庫に新書、取次ぎから毎日のように配本される新刊と補充分を選別しながら置いています。
もうひとつ、学校の先生(おもに小学校)に向けた授業や学級づくりの専門書を取り扱う顔もあり、本店は屋台村のように、三つの店が集っているような趣です。
その中央に、「フランス書院」などの文庫棚が鎮座しているわけです。
共産党支持者と、小学校の先生と、「一般」のお客さんに客層が分かれています。
エロはすべてに重なるかしら、と思っていましたが、エロはエロだけを買う人が圧倒的に多く、とするともはやそれもひとつの屋台で、しかも売り上げが好調なので屋台骨のひとつになっています。場所としては中州のようですが。
それにしても・・、橋下徹(と「原発」)はどれだけ出版業界を稼がせてくれたのでしょうか。
一般書でさえアホほど本が出ているのに、共産党系の出版社からも、これでもか、といった具合に彼と彼らへの批判本が続出していました。出すということはそれなりに売れるということでしょうか。双方に共通しているのはバッシングで、これだけ叩かれているのに選挙に勝っていくということは、維新の会に投票するひとたちはウチの本屋に来ていないということかしら、と思いました。
左か右かで言えば、共産党の人気雑誌「前衛」と、一般書で入荷している「SAPIO」や「WILL」などの右派系の雑誌が同じフロアーで積まれている現実に少し眩暈を覚えます。奥の屋台では「慰安婦」への戦争責任を問うパンフレット本が山積みにされて、手前の新刊コーナーでは、「慰安婦」はなかった、捏造だ! と花盛りです。
けれどこの節操のなさがなぜか嫌いになれません。
先日、表に差している「アエラ」が二冊入荷して二冊返品されていく様子に、思想的に物足りないせいかしら、と理由を考えてしまいました。隣の「プレイボーイ」はよく売れて、奥の屋台に運ばれる「週刊金曜日」は二十冊入って、残ったらバックナンバーとして店頭に取り置きされています。
公共施設で働いている友人が、待合室に置く雑誌として「アエラ」を提案したところ、「思想的に偏っているから」と却下された、と言っていましたが、「アエラ」で・・! と驚いたのは言うまでもありません。
入り口付近の雑誌コーナーにはミリタリーや自衛隊の雑誌もあります。戦記モノの文庫も充実していて、奥に行けば、峠三吉の詩集や「九条を守る会」のコーナーがあります。
昔からのお客さんにはどう見えているんだろう、と思っていたら、やけに声の大きなおじさんがやってきて、先述の雑誌、「前衛」の今月号はあるか、と訊いて来ました。
その号から不破哲三氏の連載が始まったことで、いつもの二倍近い数(二百冊)が売れて、ちょうど品切れして入荷待ちの状況でした。元委員長の不破さんはカリスマのようです。
「なんでないんや。ここに来たらあるか、と思って、わざわざ奈良の隅っこから出て来たんやで。ここになかったら、どこにもないやんか。ないってあんた、そんなことある?」と矢継ぎ早に攻めてきます。「ほな、『民主文学』は? それももう売れ切れ? なんやそれ。どないなってんの?」
ないのはわかっていましたが、レジの前で声が大きいので、なんとなく奥の売り場へ誘導してしまいました。
三十年ぶりにご来店されたとかで、「今や共産党は、こうやって奥のほうへ、追いやられとるわけだな!」と言います。そこでまた、「不破が書きよるからいうて、そんなに売れるか、やっぱりなぁ!」と音量は変わりません。ふと、そこにいた別のお客さんが反応しました。もう少し若いおじさんです。あっという間に意気投合して自己紹介が始まりました。名刺交換を始めます。二人とも文筆家だったようで、先生と呼び合い始めました。別の場面に変わった気がして、私はその場を後にしました。
「共産党は過去のことばかり言うとるからアカン。そうですやろ、先生!」「いやいや、過去の検証も大事ですねん!」と盛り上がっています。遠ざかる声を背中で聞きながら、なんとなく二丁目のビデオ屋を思い出していました。そこにベンチでもあれば、同好のサロンがつくれそうです。
ここはゲイのエロがまったくない本屋で、私としてはそこが物足りませんが、対象(と言葉遣い)が変わっただけで、なにかに共感を求める気持ちは大して違わないような気がしました。