0歳児の赤ちゃんに飲ませるのは「母乳」か「粉ミルク」があり、二つを比較すると「母乳のほうがいい」と言われている。30年くらい前は「粉ミルクのほうが栄養が優れてる」みたいなことになってて、わざわざ粉ミルクを飲ませていたって話も聞く。とりあえず現在は「母乳がいい」ってことになっていて、私は妊娠中から 産婦人科や保健所や育児雑誌に「母乳を出しましょう」教育を受けた。母乳の中でも、粉ミルクを一切飲ませない「完全母乳育児」っていうのがあって、粉ミルクも飲ませるのは「混合」と言う。私は母乳の出る量が多くなかったので最初から「混合」だった。おっぱいをあげる作業というのは、私にとって重労働だった。抱っこしてあげても、添い寝してあげても、どうしても不自然な姿勢になるので、背中や腰がバキバキに疲れる。
ネットには、「赤ちゃんの顔を見ずに、携帯や本やテレビを見ながらの授乳なんて母親としてあり得ない」と言う意見が書いてある。「児童虐待の背景には『ながら授乳』が影響している」「『ながら授乳』は、子供の心身の発達に影響を与え、引きこもりにつながる」とか、おどろおどろしいことが最もらしく書いてある。読むとびっくりするけど、「ながら授乳」反対派はたいがいが中高年のオヤジらしい。言ってる人がオヤジだと思うと、「『ながら授乳』は美しくない! ワシの見たい授乳じゃない! “正しい”授乳をして、ワシらを安心させておくれ!」っていう単なる駄々こねに見えてくる。「ながら授乳はやめろ」と主張するジジイは、まず“実践”して欲しい。乳首付近に哺乳瓶設置し、飲んでいる赤ちゃんの顔を背中丸めて見てほしい。24時間脈略なくランダムにタイマー鳴らし、その度に5キロの米袋を抱いたまま15分間、自分の乳首をガン見するだけでもいい、その“実践”を1ヶ月続けたあと、「ながら授乳」について何かを述べて欲しい。
しかし、「粉ミルク授乳」に関しては、あれやこれや言ってくるのはオヤジではない。ミルクを哺乳瓶であげる時は、「お母さんは優しく哺乳瓶を持って、赤ちゃんの顔を見ながらミルクをあげて」という“決まり”がある。そこには(あなたがあげるのは母乳ではないのだから、そこはしっかりやらないと)という責めみたいなものとか、(そこまでしてあげれば、母乳と同じくらいの温もりを赤ちゃんへ与えることができるから安心して)というフォローみたいなものが含まれてる。「粉ミルク育児」には常に「母乳ではないのだから」という、“完璧なものではない”感がつきまとっている。
私は、4ヶ月頃から母乳が出なくなってしまった。仕事を再開して外に出るようになって、乳首を吸わせる回数が減ったのが大きな原因かなと思う。娘が手で哺乳瓶を支えるようになって、しばらくすると自分で持って飲むようになった。私も母乳授乳は疲れるし、哺乳瓶を飲みながら寝る。いつしか私の乳首を顔に近づけると泣くようになり、「母乳は吸わせれば出る」と言われても吸うところまでいかないので、しばらくは搾乳機でしぼったりしていたが、1滴2滴しか出ないので、あきらめて完全粉ミルク育児になった。
娘が私の乳首に吸い付いておっぱいを欲してるのに出ない、とかじゃないから、特に気にしてなかった。けど、雑誌で「生後4ヶ月までなら間に合う! 完全母乳への道!」という特集が組まれているのを見て血の気がひいた。そんなに目指したほうがいいものなのか。「ミルクで育てている」ということを、人に言えなくなってしまった。近所のおばさんとかは結構「母乳?」とかサラッと聞いてくる。「んあ~」とか言って、ごまかし続けた。頭では「私は娘に対してじゃなくて、世間に対して罪悪感があるだけなんだ」って分かっていても、「粉ミルクだけで育ててることがバレたらどうしよう」みたいな気分から抜けられず、夫以外には誰にも言えない数ヶ月を過ごした。
夏に、断食道場に行った。そこにいた断食の先生が個別に健康相談してくれるというので、母乳についてちょっと言ってみた。たぶん私は「出ないのは仕方ないよ」と誰かに言ってもらいたかったんだと思う。断食の先生は「出したほうがいい」と言う。「赤ちゃんに吸ってもらえば出るよ」「赤ちゃんが吸わないなら旦那に吸ってもらいなさい(笑」「哺乳瓶で育った子より、母乳で育った子のほうがあごの発達がいいって言うしね」と言っていた。
私は男の人、しかも専門じゃない人に相談しても仕方なかったなと思った。しかし最後の「あごの発達」というのがすごく気になって、ずーっと気になってしまった。「人間の乳首は哺乳瓶よりも乳が出にくいから、吸う力やあごの力が鍛えられる」という理屈だった。あごが発達しないかもしれない…娘に対して「申し訳ない」と思った。
しかしある時「母乳が噴水のようにジャージャーと、赤ちゃんが飲みきれないくらい出る」とい人の話を聞いた。断食先生の理屈でいくと、そういうお母さんの赤ちゃんは、哺乳瓶を飲んでいる赤ちゃんよりもあごが発達しないんじゃないだろうか? 神田うのは「完全母乳育児」をしてるとテレビで言っていて、仕事をしている時は「保存しておいた母乳」を別の人が哺乳瓶であげると言っていた。「あごの発達」に「母乳か粉ミルクか」はまったく関係がないんじゃないか? と思った。
そして、娘が10ヶ月になった今、バナナや芋をむちゃむちゃと口の中でほぐして食べていて、「母乳か哺乳瓶だけの時期」がたった半年くらいで終わってしまったことに驚いた。毎日、生きてることが奇跡、みたいな人生の最初の半年間で、「あごの発達」に何か影響が出るとは私は思えない。
子持ちの人の間では、「粉ミルクより母乳のほうがラク」という定番のフレーズがある。粉ミルクは寒い夜に起きたり、外出先で「調乳(お湯で粉ミルクを溶かして作ること)」をしなきゃいけないけど、母乳はその場ですぐにあげられる、ということ。でも、私は粉ミルクの調乳もそんなに大変じゃないと思う。寒い夜に服からおっぱいを出して妙な体勢で飲ませながら寝るのと、ちょっと台所まで行って作って自分も布団に入りながら哺乳瓶を飲ませるのと、体力的負担に大した差はないと思う。外出先も、水筒にお湯を入れていけばすぐ作れるし、ベビーカーに座らせたまま哺乳瓶をあげられるけど、母乳だと抱っこしておっぱいを吸わせられる場所を探さなきゃいけない。粉ミルクには、金がかかる、買いに行かなきゃいけない、という決定的なデメリットはあるけど、「ラクさ」だけでは個人差もおおいにあるから「母乳と粉ミルク」だけでは比較できないと思う。
だけど、「母乳はラクだ」という話はよく耳にする。それは、母乳の人たちが自慢してるとかじゃなくて、「粉ミルク育児」をしている人たちが、「粉ミルクもラクだ」とは言えない雰囲気があって口に出さないから、「母乳のほうがラク」ということになってるだけだと思う。実際、私自身は母乳よりも粉ミルクのほうが「ラク」だから、粉ミルク育児になってしまった。だけどそれは人に言えない。「B(ミルク)は、A(母乳)がどうしてもできない人のための補助案」みたいなことになってるし、「赤ちゃんの健康を考えたら母乳のほうがいいのに、そうじゃないことを『ラク』だなんて言ったら不謹慎」という空気を感じるから。ネットでは、「実際、ミルクのほうがラクだよね」って言う人がたくさんいるけど、公の場では誰も言わない。
情報って一体なんなんだろう、と思う。