25年前私は考えていた。それはペニスのない私がセックスを考えあぐねた日々。
“カラダの部分で一番挿入に適している部位はどこなんだろう???”
『足の指の方が適しているんじゃないか? いや待て! やはり足の指じゃ失礼だろう』
『柔らかくも固くもなる舌がいいんじゃないか? 筋肉を鍛えて細やかで大胆な動きができるようにしよう。いや!長さが足りない。それにクンニとの違いがわかり難い』
『思いっきり太って、まんこの毛の部分をペニスのような筒状にして根元を縛ってみよう!いやそれじゃ見かけが悪すぎるんじゃないか?!!』
結局私のカラダの中で適している挿入物は“指”だった。唯一無二の“指”。勃起しているペニスがどれだけ固いのか知らない私は、イメージの中のペニスを観察した。『パンの耳くらいじゃないか?』私はペニスの固さを想像して指に神経を集めトレーニングを開始した。『私の指には骨はな~い』呪文のようなイメージトレーニングだ。当時カラダが柔らかくなると言われ流行していた“酢”の中に指を入れるオリジナルのトレーニング方法。それは半年にもおよんだ酢との戦いだった。しかしそんな私にある朗報が入った。
“ペニスにも骨がある”
私は喜んだ。私の指とペニスの形状は同じだったのだ。もう酢トレーニングをする必要がなくなった。『あとは指に肉がつけばいい。筋肉だ!』私は指にバーベルをかけ指先だけでバーベルを持ち上げるトレーニングを始めた。
『私の指もペニスに近づける!!』
私の指は勃起もできる。だっていつも立っているから。ペニスのように自由に反ることだってできる。しかし、近づこうとしても、どうしたって超えられない壁があった。指にあってペニスにないもの。それは敏感すぎる感覚だった。指の情報量は多い。形、堅さ、温度・・・。目をつぶっていたってそこに何があるかわかってしまう。鈍感そうなペニスとは違う私の指。それは私をセックスに冷静な人に変えてしまう装置だった。
『この人の膣壁のヒダは細かいな』
『あれ? 今日は粘り気が強いぞ。』
『膣が右に傾いているなぁ・・・』
私の指は内視鏡のように正確な状況を私に伝えようとする。頭の中では膣の内部が再現される。同じ膣など一つもない不思議。その様子は精密な機械並みに頭にインプットされる。そして同じ膣でもいつも同じではない。
ある夜のこと、前戯が終わり挿入へと盛り上がろうと指を膣の入り口から中へと挿入した時だ。つきあっていた彼女とのセックスで、膣の入り口を過ぎ、挿入へと進んだその時、私は動きを止め、涙を流した。
『形が違う』
それはあきらかに違っていた。狭い洞窟の入り口をくぐったら、そこは大きな鍾乳洞だったという感じによく似ている。その壁は固く、張りつめた緊張感を漂わせている。そう、それはペニスの痕跡だった。私にはペニスが入った痕跡がわかる。挿入することで知ってしまう残酷な事実。指を入れながら号泣する私にみんなが驚き、驚愕した。そう、それは真実だからだ。
知りすぎる指先。正直すぎる膣。その苦悩を私は背負う。
指でセックスをするものとペニスでセックスをするオトコの違いは、指とペニスが象徴しているように思う。鈍感で考えることがないペニスと感覚を捨てられない指。私は鈍感に生きることができない。オトコとは何か?!オンナとは何か?!
そして40代、私は第二の膣を手にしてしまった。それは口だ。ここ数年で私は性的な興奮を感じると唾液が口を濡らすようになってきたのだ。膣の感覚より早く反応する唾液。ホルモンバランスの崩れで膣が弱っている私が手に入れた新たな感覚。スケベな唾液。私は何になろうとしているのだろうか?
今年は久しぶりに豊かなセックスをしたいものだ。